うぐいす嬢

冬野 周一

うぐいす嬢

「この度青葉市議会議員に立候補いたしました『山鳩澄男』でございます!」

「早朝より大変お騒がせいたします。ヤマバトスミオでございます。では行って参ります!!」

 選挙運動日初日の朝、このアナウンスとともに先導車一台に続いて定番の選挙カーが発車した。

 選挙カーに乗っているのは、立候補者と参謀役二人に運転手。そして少々年配に見えるが、声だけはまだ二十代とも思える元気で明るくそして清らかで初々しい声帯の持ち主であるウグイス嬢の『鳴木緑(なりきみどり)』であった。


 山鳩氏が市議会議員に立候補を決めたのが半年前だった。年齢は58歳、地元の企業に40年間勤め、定年を前に早期退職しての決意であった。

 出るからには「勝ちたい」。もちろん市政への熱い思いがあった。しかし知名度はもちろん、行政への知識も経験も持ち得ていなかった。さてどう戦うか。相談を持ちかけた近所の年配者に参謀役を引き受けてもらった。

 そして何人かの賛同応援者らが集まって「戦略会議」がもたれた。

「知名度も組織力もないこの山鳩さんを当選させる名案はありませんか?」と参謀役の一人が尋ねた。

 すると一人の運動員が「少々値段は高いらしいが、当選確率100%のウグイス嬢を呼んでみてはどうでしょう?」と提案した。

「当選確率100%?それはベテラン議員とか知名度のある立候補者だけではないのかね」

「いいえ、これまでに知名度も組織力もない初ものを何人も当選させているらしいです」

「噂では、幸運のウグイス嬢と呼ばれているみたいです」と運動員が答えた。

「そうか、それならそのウグイス嬢でいこう!いいですね山鳩さん?」

「よろしくお願いします」

 早速一人の運動員が、つてを頼りにそのウグイス嬢に連絡を取り、獲得することが出来たのである。

「よーし!これで大きな幸運が我々にやってきてくれた、これで勝利も間違いない!」と応援者らはすでに勝ち戦の様相を呈していた。

 

 人間という者は、軽薄で流されやすいものだ。


『鳴木緑』が契約書を交わす際に、基本的な内容とある条件を一つ付け加えていた。

「如何なる場合でも、一日三回、午前とお昼と午後に各二十分の休憩を必ず入れる事。そしてその間は何人も私に近づかない事」という条件であった。

「もちろん休憩は必要ですから大丈夫ですし、鳴木さんを監視するようなことは致しません」と契約を交わしたのである。


 市議会議員の選挙運動期間は七日間である。毎日市内の隅から隅まで走り回り、そして今日は大詰めの六日目であった。

 朝から東部地区を一回りして南部地区への移動中であった。

「この辺りで一度休憩を頂きたいのですが」と鳴木緑が参謀役に伺いをたてた。

「そうですね、それじゃその先の公園で一休みいたしましょう」

 公園に着くと鳴木緑は慌てる様にトイレの方に向かって走り出した。

「なんだトイレか」と参謀役も同じくトイレに向かった。

 男性トイレが右手、女性トイレは左手にあった。参謀役が男性トイレに入ろうとすると女性トイレの入口から「一羽の鳥」が飛び出してきた。

「山鳥か、少し緑色をしていたな」と呟きながら山手に飛んで行った姿を見送った。


 二十分後、鳴木緑が帰ってきた。休憩前には少し声が嗄れかけていたが、出発すると再び美声を連呼し始めた。

「ヤマバトスミオでございます。明るい市政、希望のある市政に必要なのは情熱と信念です。このヤマバトスミオは情熱と信念で市政を改革いたします!どうぞヤマバトを市政に送り出して下さい。ヤマバトは必ず約束いたします、どうぞよろしくお願いいたします!」と名調子で訴えた。

 通りすがりの人々は常に鳴木緑の『美声』に足を止め、うっとりとした表情で笑顔を返してくれる。


 選挙運動も残すところ一日半、少し遅めの昼食はコンビニ弁当である。公園の駐車場に車を止め、みんなは車内で食べ始めたが、鳴木緑だけは「外で食べてきます」と言って公園の奥へと歩いて行った。

「そう言えば鳴木さんはいつもお昼は一人で食べてるよな。どうしてだろう」

「まあ息苦しいのかもな、みんなから寄せられる重圧があるんじゃないか」

「幸運の女神か、もしこの選挙で落選したら100%が途絶えてしまうからな」

「おい!落選などと言う言葉を出すんじゃない!!」と参謀役の一人がたしなめた。

「いやすまん、これまで鳴木さんの声ばかりに注目が浴びて少し不安を覚えたものでつい」

「それは私の言葉が足りないからでしょう」と山鳩氏が口をはさんだ。

「鳴木さんだけにまかせてしまって、口べたの私が喋らないのは良くない。午後からは少し私も訴えてみようと思いますが、どうでしょう」

「そうですね、それじゃあ途中の西部運動公園で街頭演説といきましょうか!」

 そんな段取り話しをしていると鳴木緑が公園の奥から帰ってきた。

「それじゃあ午後もよろしくお願いいたします鳴木さん!」


「この度青葉市議会議員に立候補いたしました『山鳩澄男』でございます!」

 鳴木ウグイス嬢の名調子で南部から西部へと走り続けた。この間、山鳩氏は街頭演説の原稿を考えメモ書きをしていた。勿論これまでにも出陣式やミニ集会などで喋ってきたが、自分でも演説が上手いとは思えない。40年間勤めた職場でも「無口」な整備士であったし、人前に立つことなども滅多になかったのだから、こんな選挙に出馬することになろうとは自分自身もだし家族もそして他の誰しも思いはしなかっただろう。

 この街は大人しい、大人しいから活気がないのか、それとも誰も期待もしなければ変化を畏れているのかもしれない。ここ何年か第二の市町村合併が取り沙汰されている。あまり大きな産業や企業のないこの青葉市の財政は決して余裕はないであろう。

 だけど山鳩氏は生まれ育ったこの青葉市を愛し、単独で生き残りたい、この市民と共にいつまでも暮らしていきたいと願っていた。ある日、今の市議会議員の何人かが、山林を切り開き大規模な「産業廃棄物処理場」を隣町と共同で建設しようと裏工作をしているという噂話を耳にした。そしてその裏では賄賂としての大金が蠢いているという事だ。

 それを聞いた瞬間、山鳩氏の身体に電流のような激しい波動が突き抜けたのである。これは絶対阻止しなければならない。この街を市民を守らなければならないという使命感が身体中から湧き起こったのである。


 走り続けて目的地の西部運動公園に到着した。

「それではここで『山鳩澄男』本人から皆様へのメッセージをお伝えしようと思います。どうぞ皆様お聞きください」と鳴木緑の発声に応えて山鳩氏がマイクを握った。

「みなさん私が『山鳩澄男』です。私の演説は下手くそです、しかしながら市政への情熱だけは誰にも負けません」


 山鳩氏が演説を始めたのを機に、鳴木緑は午後の休憩に入る許可を得て一人選挙カーから離れて行った。

 その姿に気付いた運動員の一人が何気なく後を追って行ったのである。公園の奥は木々に囲まれた緑一色の世界に思えた。その運動員も契約に交わしていた約束を知っていたが、毎日三回一人で休憩をとる鳴木緑に邪推な興味心を抱いてしまったのである。

「休憩時間中は近づかないこと、これは絶対に」という約束だった。

『絶対に』と言われると人間は逆の衝動に駆られてしまう。

 運動員はその衝動を抑え切れず、鳴木緑の姿を木陰から盗み目をしてしまったのである。

 鳴木緑は、大きく息を吸い込み身体に力を込めた。すると彼女の姿が綺麗な羽根をした「鶯」に成り変わったのである。

「うわーー!!鳥だ!あの人は鳥になってしまった!」と驚き叫んだのである。

 その運動員に気付いた鳴木緑、いや鶯は

「ホーホケキョ!見たわね!」

「絶対近づかないでと言ったのに。約束を破りましたね」

「約束を破ってしまったからには私はもう帰る訳にはいきません、さようなら」と告げて森の奥へと飛んで行ってしまった。


 運動員が青ざめた顔でみんなのもとへ慌てて帰ると

「鳴木さんはウグイスだった。鶯が化けてウグイス嬢になっていたんだ!」とみんなに自分が見たことを話した。

 しかし誰もその運動員の言葉を信じなかった、

「そんな作り話、今時誰も信じなければ笑い話にもならん!」と参謀役の一人が言い捨てた。しかし誰も信じようとは思わないが、10分、20分、30分経っても鳴木緑は戻ってこなかった。

「先ほどの話しは信じ難いですが、これ以上待っても鳴木さんは戻ってきそうにありません。時間を無駄にするのは勿体ないので我々だけで行きましょう」と山鳩氏が声を出した。

 その後は女性運動員が代役となり「山鳩澄男です!よろしくお願いいたします」の言葉だけをまるで九官鳥の様に繰り返しながら走ることになってしまった。

 運動員全体が意気消沈した様に口を閉ざしてしまってその日は終わってしまった。

 

 山鳩氏はその夜一睡もすることなく考えた。そしていよいよ選挙運動最終日の朝が来た。

「運だけでは勝てません、鳴木さんがいなくなっても私は自分の声で、自分の思いを伝えて行きます。もう一日だけですが、精一杯頑張りますので、みなさんもよろしくお願いいたします」といつもと違った逞しい山鳩氏の挨拶に運動員達は拍手を送った。

 山鳩澄男氏が自らマイクを手に持ち、懸命に声を出し続けた。そして自分の信念と情熱を訴えかけた。手を振り、声を嗄らしながら走り続け、そして終了の刻(とき)がきた。


 そして運命の時がきた。即日開票で二時間後には結果が報告された。

 何と山鳩氏は、18人中5位の成績で当選したのだった。

「万歳!万歳!バンザーイ!!」何度も山鳩氏は応援者らに頭を下げた。

「選挙はやってみないと分らない」のではない。立候補者が真の心で言っているのか嘘や誤魔化しで言っているのかの見極めだけである。いくら良い政策を述べてみても伝わってこない言葉は上っ面だけの言葉である。

 誠実に心の魂をぶつければ有権者には分るのである。青葉市民には「正しい目と心を持った有権者」が多くいたのである。


 人間は時には醜いが、時には澄んだ心を持っている。


 こうして選挙は終わった。その頃ウグイス嬢『鳴木緑』は、

「今回は報酬を貰い損ねてしまったけれど、当選確率は100%のままだし」

「まあ今回は私よりも立候補者の方が頑張ったのだから良しとしましょう」と。


 そして遅い北国の春の街へと、北へ北へと『うぐいす嬢の鳴木緑』は、次の選挙に向かって飛び立ったのである。

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うぐいす嬢 冬野 周一 @tono_shuichi

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