エデンのアップルパイ

竹尾 錬二

第1話

 この世界にはふしぎがあふれている。

 動物さんたちのふしぎ。

 フレンズさんたちのふしぎ。

 そして、わたしたち人間のふしぎ。

 そんな、たくさんのふしぎに少しでも答えることができるように、ジャパリ図書館をつくることにした。



「ミライさん、この本はどっちに運ぶ~?」

「うーん、この本は社会科学だから、サーバルちゃん、あの上の『3』って書いてある所に運んどいて」

「は~い」


 サーバルは身軽に書架の棚を飛び上がる。

 ジャパリ図書館の書架を壁一面に配置したのは、ミライの設計だ。

 敢えて人の手の届かない位置にまで書架を設えたのには意図がある。

 ラッキービーストだけでなく、フレンズたちも司書となり、利用者が求める本を探すのを手伝う。

 そんな、人と、未だ幼い個体が多いフレンズたちが共に支えあう学びの場を、ミライは夢見ていた。


「う~ん、この字は、6だっけ、9だっけ……?」

「これは、まるが上についているから、9なのです」


 サーバルが本のラベルの分類番号に頭をひねっていると、その背後に音も無く現れた影が、肩越しに声をかけた。


「わわっ!?」


 サーバルが取り落とした本を、空中で危なげなく拾い上げ、該当する棚に静かに挿す。

 音もなく羽ばたく頭部の羽は、彼女が鳥のフレンズであることを示している。斑の混じり茶色い羽毛、大きな瞳、特徴的な羽角。


「あら、ワシミミズクのフレンズさんね。あなたも手伝ってくれるの?」


 小さく、ワシミミズクは頷いた。

 

「字、まだ少ししかわからないです。ミライさん、教えて欲しいのです」

「ええ。もちろんよ。よろしくね。可愛い助手さん」


 ミライはそう微笑んでワシミミズクの頭を撫でた。



 ワシミミズクは勤勉で、図書館設立にあたって、ミライの助手としてくるくると働いた。

 そして、仕事の合間に合間に、ワシミミズクは文字の勉強をねだった。


「すっごーい、ワシミミズク、よく字なんておぼえられるね。

 字はいっぱい種類があって、すっごくむずかしいのに」

「サーバルちゃん、ワシミミズクちゃんは、とってもかしこいフレンズなのよ」

「……私は、かしこいですか?」

「ええ。あなたはとってもかしこいフレンズさんよ。動物博士の私が言うんだから、まちがいないわ」


 ミライがそう褒めると、ワシミミズクは小さくはにかむような笑顔を見せた。


「ミライさんは、博士なのですか」

「ええ。私はジャパリパークのパークガイド。フレンズさんや動物さんのことなら、きっとジャパリパークで一番詳しいわ」


 えっへん、と大袈裟に胸を張って見せると、ワシミミズクは目を輝かせた。


「じゃあ、私はジャパリパークで一番フレンズや動物に詳しい博士の助手なのですね!」

「ええ、これからも期待してるわよ、助手さん」



 

『分からないことや調べたいことがあれば、森林地方にあるジャパリ図書館を訪ねること』


 そんなきまりごとが、フレンズたちに広がるまでに長い時間はかからなかった。

 ジャパリ図書館の設営が進む間も、火山は幾度となく噴火し、パークのあちこちで新たなフレンズたちが生まれた。

 自分が何の動物なのか分からないフレンズが、幾人も図書館を訪れた。ワシミミズクはミライの助手として。またある時は、学んだ知識をつかって、自分からフレンズたちの疑問に答えていった。


 休憩の合間に、ジャパリまんを頬張るワシミミズクの隣で、ミライは奇妙なものを口にした。三角形で、黄金色をした奇妙な食べ物。


「博士、それは何ですか?」

「これはアップルパイって言ってね。お菓子――料理の一つよ」

「料理というのは、何ですか?」

「うーん、食材を組み合わせ、加工して、別の形で食べられるようにしたもの、かな? 人の食べる、ジャパリまんみたいなものよ」


 じっ、と物欲しそうに見つめるワシミミズクに、ミライはアップルパイを半分に割って手渡した。


「はい、どうぞ」


 ワシミミズクが小さく噛みつくと、今まで体験したことのない甘味という感覚が口いっぱいにあふれた。

 夢中になってアップルパイをかじるワシミミズクに微笑んで、ミライは白い壁の輝くジャパリ図書館を仰ぎ見た。

 知恵の実の形をした図書館。これから生まれてくるフレンズたちを寿ぐための知識の社である。



 しかし、蜜月の時間は短かった。

 ジャパリパークを退去することになったミライは、涙ぐむワシミミズクにお菓子でぎゅうぎゅうになった袋を手渡して、手を握った。


「博士、まだ、習ってない字もいっぱいあるです。戻ってきたら、また字を教えてくれるですか……?」

「もちろんよ。すぐに戻ってくるわ。今度は、漢字も一緒に勉強しましょうね」

「博士、戻ってきたら、また料理を食べさせてくれるですすか……?」

「ええ。今度はキャンプ場で、一緒に料理を作ってみましょうね」

「博士、戻ってきたら……」

「もう、そんなに泣かないの。大丈夫、すぐに戻ってくるからね。それまでは、あなたがジャパリパークの動物博士よ。ワシミミズクちゃん、ジャパリ図書館をよろしくね」


 ワシミミズクは、首を振ってミライの手を握り返した。


「私は、ずっとミライ博士の助手なのです。私はかしこいので、博士が帰ってるまでの間、ジャパリ図書館の管理をきちんとやっておくのです。

 私はかしこいので、ずっと博士の帰りを待っているのです。

 だから、ミライさんは、早くジャパリパークに帰ってくるのです――」




 そして、長い時間が流れた――



「ねー博士、博士と助手は、いつも我々はかしこいー、って言ってるけど、博士と助手、どっちがかしこいの?」


 サーバルの何気ない問いに、博士と助手は顔を見合わせた。


「我々はどちらもかしこいのです。でも、博士は博士、助手は助手なのです。これは、昔から決まっていることなのです」

「昔から決まっていることなのです。博士も助手も、ジャパリ図書館を守る、めいよなしごとなのです。これは、我々のようなかしこいフレンズにしかできないのです」

「何それー。へーんなの~」


 博士と助手の関心は、サーバルの問いより、窯より立ち上る甘く香ばしい薫りに向いているようだった。

 先割れスプーンで皿をチンチンと鳴らして、二人は声を上げる。


「まだなのですか、かばん。もう焼きはじめてから、ずいぶん時間が立っているのです」

「はーい、もう焼き上がりましたから、ちょっと待って下さいねー」


 かばんがミトンで持ってきたのは、黄金色に焼き上がった丸いアップルパイだった。


「これが、新しい料理なのですか……?」

「はい、アップルパイ、っていうらしいです」

「えへへ、私もリンゴを切るのを手伝ったんだよ」


 芳しい焼き立てのアップルパイに、涎を垂らさんばかりの二人に、かばんは少しだけ苦笑する。

 

「どうぞ、めしあがれ」


 いただきます、と一同唱和して、アップルパイに舌鼓を打つ。


「甘いのです。すごく甘いのです。昔の長から、料理は皆甘い食べ物だという話を聞いたことがあるのです」

「ええ~、ほんとかなぁー、博士がもっと食べたいから、そんな嘘ついてるんじゃないの~?」

「嘘なんか言わないのです。その話は助手も聞いたことがある筈なのです、ねえ助手? ……助手?」


 ワシミミズクは、アップルパイを噛みしめて、静かに涙を流していた。


「どうしたの!?」

「どうしました、助手さん! アップルパイ、何か悪い所がありました?」

「……分からないのです」


 ワシミミズクは、すっかり古ぼけてしまったジャパリ図書館を見上げた。


「でも、ずっとこれを食べるのを、待っていた気がするのです」




おわり

 


 

 


 



 



 

 

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