3題ワード短編『夜明け・ビー玉・電信柱』
神代零児
すくうのはビー玉とあなたの気持ち
「ウェーイ、祭りだ祭りだ~い!」
「も~、ひろ君はしゃぎ過ぎだってば」
軽い、浮かれた感じで
しかしそんな一見穏やかに見える彼女には、向こうをちらりとも振り向く余裕が無かったのである。
今日はお祭り。夜の公園に並ぶ屋台、家族連れや今のカップルなど、皆わいわいと楽しんでいるにも関わらず、理瀬は顔を引き
「び、ビー玉すくいで二十個取らなきゃ……私と、別れる!?」
震える声で発した言葉に、男はうんざりした様子で返す。
「ああ、すぐそこに屋台が有るだろ。二十個――丁度、理瀬の歳の数と同じ。俺の事好きなら出来るだろ」
「そんな……私そういうのって得意じゃないのよ! せめて、せめて十個にして!」
唐突に切り出された別れ話に理瀬は気が動転してしまっていた。動転するあまり、そもそもこの変な復縁の条件にツッコミを入れる事も出来ずに、ただただ数を減らして貰おうとするのがやっとなのだった。
「……この期に及んで半分もサバを読もうとするなんてがっかりだよ」
男の無情な切り返しが炸裂する。別れる方へ、別れる方へと話を持っていきたい魂胆が有り有りと出ている。
「私これまであなたに嘘とか吐いてこなかったでしょう? 今それ位、許してくれたって良いじゃない!」
そんなよく分からない理屈を振りかざしてでも、理瀬は男と別れたくは無かったのである。
しかし彼は大きく溜め息を吐く。
「そういう変な所でも生真面目に返してくる所が。……もういい、やらないなら今すぐ別れる」
「待って! や、やるわ……」
理瀬は浴衣の袖をまくってやる気を見せた。急いでビー玉すくいの屋台へと向かいつつ「ちゃんと見ててね」と、釘を刺すように男に告げる姿が何ともいじらしい――そう見える者には見えるだろう。
「そんなにみっともなく足掻いて……本当に生真面目過ぎて嫌なんだ」
男の言葉は、理瀬には聞こえなかった。
「一回百円だよお姉ちゃん」
「はい」
「早っ」
さっと小銭入れを出して、ぱぱっと百円玉を屋台の親父さんに渡した理瀬。気合が漲っていた。
緊張の面持ちで水面に浮かぶビー玉を見つめ、恐る恐る紙製のすくい用網を近付ける。
「一回勝負だからな」
後ろから男がプレッシャーを掛ける。
「うん」
理瀬は静かに頷いた。嫌味も気にならない程真剣なのだ。
「……よし」
網に一つ目のビー玉を乗せる。そのまま手元の受け皿へと運ぶ。
「ほぉ、お姉ちゃんやるね。良い網捌きだ」
親父さんがそう言って褒めてきたが、理瀬は表情を崩しはしない。
「はい、頑張ってます……!」
声は静かに穏やかを心掛けて、返事をする。
親父さんはこの時、このお姉ちゃんはきっと昔からこういうすくい系でならしてきたに違いない、と思った。そして、それは当たっていた。
二つ目、三つ目とビー玉をすくっていく。
そう。理瀬は男に対し基本的には誠実に付き合ってきたが、実はここで初めてともいえる大きな嘘を吐いていたのだ。
ごめん、私本当は子供の頃から金魚すくいやビー玉すくいが得意だったの。その時のあだ名は、すくいのりっちゃん!――
理瀬はその事を知った彼が、万が一条件を厳しくする事を予測して、わざと得意じゃないと嘘を吐いたのだった。
良心が咎める思いは有った。しかしそんな心は、他でもないビー玉が支えてくれた。
キラキラ、キラキラ――一つ一つ模様の違うビー玉の輝きが、彼女の嘘を吐いたという罪の意識を軽くしてくれた。理瀬がビー玉をすくう時、ビー玉もまた理瀬を救っていたのだ。
「そんな! 十七個目!?」
男が驚愕の声を上げる。
「理瀬、お前もしかして本当はビー玉すくいが得意だったんじゃ……」
男はそこまで言い掛けて息を飲んだ。
理瀬の浴衣の背中が――そこに描かれたアサガオが、とても強く咲き誇っていた。
さっきまで、そんな風には見えなかったのに!?――
十八個目をすくい上げる。
「ふぅ……ふぅ……」
理瀬は極限の緊張の中、呼吸を整えていた。体にも力が入りっ放しだったのだろう。――腕は痛く、網が重く感じられいてた。
「す、すくいのりっちゃんじゃあ……間違い無い、あの子はすくいのりっちゃんじゃあ!」
少しずつ出来上がっていった理瀬を見守るギャラリー。その中に居た、恐らく子供の頃の理瀬を知っているであろう一人の老人が、感動に震えながらそう言ったのを男は聞き逃さなかった。
「やっぱり! すくいのりっちゃんとか何かよく分からないけど、とにかく理瀬は……」
十九個目のビー玉が、受け皿の中に入った。
「くっ……」
心身共に憔悴しながら、それでもビー玉をすくい続ける理瀬から、男は苦悶の表情をしていても、目を離せなくなっていた――
「くそっ、真剣で真っ直ぐ過ぎる。そんなお前だから見てて、こっちが苦しくなるんじゃないか……! だから、俺は!」
彼の顔からは、すっかり嫌味やうんざりした感じが消えていた。彼もまた、その理瀬への秘めた真剣さが表に出ているようだった。
理瀬は後ろの彼に振り返らなかった。振り返りたかったのに、振り返れなかった。
「ごめんね……」
何故か泣きそうになっていた。ただ、男の理瀬への気持ちが伝わってくるような、そんな気がしていた。
そっと網を水面に浸けた。二十個目のビー玉の下に潜らせて、そっと網を……
無音だった。一個目をすくった時からずっと無音。
しかし違っていたのは、二十個目は網には乗らずに、逆に網に張られた紙が破れた事だった――
公園の出口に立つ電信柱の傍で、理瀬と男は佇んでいた。
二人の間には気まずい空気が漂っていたが、先に口を開いたのは理瀬だった。
「……駄目だったね。途中で、これはいけるかもって思った私が馬鹿だった」
男はしばし間を置いてから言葉を返す。
「理瀬、お前何であの時嘘を吐いた?」
「ビー玉すくいの事?」
男はもう無言で頷く。
「……そっちが別れる気満々なのは分かってたから、私が得意だって言ったら違う条件にされたかもって思って」
「理瀬が、そういう嘘を吐くとは思わなかったよ」
男は嫌味の無い、しっかりした面持ちで告げた。
「意外だった。理瀬も生真面目なだけじゃないんだって思って、逆の意味で驚いた。ここに来て新しい理瀬を見た気がした」
その言葉は、悪い意味で放ったものでは無い。
「ごめん。でも今でも真面目は真面目なつもりだよ?」
「分かってるよ。流石に、それはさ」
「真面目なついでに一つ交渉して良いかな」
「交渉って?」
「二十個中、十九個目までは取ったんだから、今日一晩は恋人のままで居て」
手に下げた透明の袋に入った色とりどりのビー玉を見せて理瀬が、やはり真面目な顔で言う。
「……分かったよ。まったく、何でこんな俺にそこまでするのか」
男は呆れた顔をしていたが、彼のそんな様子に理瀬は微笑んだのだった。
気を張り続けて疲れたからか、今の心境に浸っていたかったのか、二人はそれぞれ変に動こうとはせずお互い電信柱にもたれ掛かりながら、取り留めの無い会話を続けていた。
やがて祭りが終わって公園から人の気配も消えても、二人は構わずにどちらともなく話を振っていった。過去の思い出についても話したりしていた。
そして、夜明けの光が薄らと差し始める。
「――それで俺は、理瀬の生真面目過ぎる所に応えきれない自分に息苦しくなったんだ」
「そっか。そこまでになる前にちゃんと言ってくれれば、一緒にどう解決しようか考え合ったのに」
「そういう所だよ。理瀬のそういういつも真剣な所を見る度に、却って自分の格好悪さが許せないって思ってた」
「ごめん」
「謝るのは俺の方さ」
もう、二人が恋人で居る時間は終わっている筈だった。
「……なあ。格好悪いついでに、それを上塗りしても良いか」
「どういう事?」
男がこの時見せたのが格好悪さだったか、それとも逆だったかは……
「もう一度……一から俺を、鍛え直してくれないか?」
「……うん!」
浴衣のアサガオが、淡い朝日を浴びて穏やかに色付いていた――
―― おしまい ――
3題ワード短編『夜明け・ビー玉・電信柱』 神代零児 @reizi735
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