わかばと双葉
輝竜司
わかばと双葉
角の煙草屋があいているのを久しぶりに見た。
ここを通るのはいつ以来だろう。いつも仕事上がりに寄っていたが、突然いつもの銘柄を扱わなくなって、それから足が遠のいていた。
「わかばのおじさん」
その銘柄の名前で、ガラスケースの向こうに座り、身を乗り出して幼女が俺を呼ぶ。
店番の祖母の足元に、いつもちょこちょこまつわり手伝いをしていた子供も随分と背が伸びた。背中には真新しいランドセル。
「ばあさんは?」
「そこ」
視線を追うと、今時珍しい長屋の奥、小上がりの居間には電動ベッドと真新しい木の台座。
白い布に包まれた桐箱、しわくちゃの見慣れた笑顔が花付きの枠に収まって、こぢんまりと並んで飾られていた。
葬儀はいつだったのだろう。ショウケースに並ぶ煙草も随分と虫食いだ。
「いつもの、あるかい」
駄目元で聞いてみると、少女は腰に手を当て頬を膨らます。
「またタバコなんて、すってるの。からだにさわりますよ」
「おまえさん、煙草屋だろ?」
どこで言い回しを覚えたのだろう。思わず吹き出した。
「今日でおしまいだもん」
「……そうかあ」
「もう。しょうがないわねえ」
ばあさんの真似だろうか。とってつけたような女言葉が微笑ましい。
ちょっと待ってと少女は奥へと駆けていく。
ばたばたと音がして、大切そうに胸に抱えて持ってきた一箱には、見慣れた緑の双葉の絵。
「これで、さいごですからね」
随分ともったいぶって、俺の手をその小さな両手でぎゅっと包んだ。
角の煙草屋、無くなるってさ。
あのばあさん死んじゃったよと、なんとはなしに口にすると、食卓の向こうで茶碗を抱え、妻は眉を曇らせた。
「お孫さん、どうするのかしらねえ。他に親族の方、あるのかしら」
「……え」
「お父さんに続いて、おばあちゃんまで」
噂話で仕入れたところ、父一人子一人、祖母の家で共に暮らしていたという。ところがしばらく前に、父親が肺癌で亡くなった。
また、タバコなんて。
身体に障りますよ。
これで、最後ですからね。
それは、祖母が己の息子に言いつづけた言葉だったのだ。
もしや、と。
貰ってきた煙草に顔を寄せると、強く線香の香りがした。
日も傾いた晩春の午後。
角の煙草屋は、白い布に覆われて、重機の爪にばりばりと音立て崩れていく。
ランドセルの少女はガードレールに腰掛け、それをぼんやりと眺めていた。
口に何かを咥えた俺に気づくと、腰に手を当て、怒ったように言う。
「まだたばこなんて、すってるの」
「それが、あれで最後ですからねえ」
口調を真似ると、はっと少女は顔を上げ、ぶっと吹き出した。
煙草をやめてまだ程ない。今は良い治療薬が保険適用とはいえども、どうにも口寂しさは抜け切らないものだ。棒付き飴をくわえたおっさんはなかなか様にならない。
ポケットから同じものを取り出し、ぽいと手の上に載せてやる。
「お代、まだだったろ」
棒付き飴をためつすがめつ、俺を見上げる白い笑顔。
赤い飴玉が、夕焼けのように輝いている。
「もう、わかばのおじさんじゃないね」
「そうだなあ」
「おじさん、死なないでね」
「死ぬもんかあ。長生きするよ」
「ずっと、ずっとだよ」
「おう」
やがて、迎えにきた叔父の車に乗り込んで。
後部座席で、棒付き飴をくわえた少女はもう、振り返ることはなかった。
わかばと双葉 輝竜司 @citrocube
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