白群に揺れる

せな

~白菊の札 00

 時は幕末。

 悪霊跋扈する世に安寧齎す為に寺社仏閣は『寺社奉行』によって統括されていた。

 職にあぶれることなくうまい汁をすすることが出来る次男坊。その立場に生まれ落ちた事を好機と見たか稽古をサボり、学業はそこそこに行う決して褒められない所業を行ってきた鬼柳きりゅう一派の正統なる後継者……彼を、後継者と呼ぶのは余りにらしいと力ある陰陽師たちは言った。

 だからだろうか、そんなにも危機が訪れる事となる。


「は? 寺社奉行の政策に反対? 何言ってんだよ」

 鬼柳一派を統率する女首領は柔らかな笑みで「言葉の通りよ」と微笑んだ。

 鬼柳 篠きりゅう しのはぽかんと口を開けた息子を地獄へと叩き落す様に、天使の笑みで「ウチは寺社奉行の統括から抜けますからね」と告げる。わざとらしく小首を傾げて甘えた仕草をする彼女の様子からはそれは重大なことにも思えなかった。

「待って」

「待ちません」

 しかし――それは思いの他、ぐうたら次男坊にとっては重大な事件だ。

 家を継ぐのは長男の役目。陰陽師という職だけで食っていける程に鬼柳家の力は強くない。寺社奉行の許しを得て神職へ就いた兄の元でそこそこの陰陽師を行って暮らしていけばいい。そうだ、嫁を貰う必要もなければ、アホ息子と呼ばれながらだらだらと暮らしていける次男坊という立場で居れたはずなのだ、それなのに――それなのに、寺社奉行の政策に反対すれば最悪家はお取り潰し、自分は『ニート』になってしまうのだ。

「お母様……?」

「篠ちゃん」

「しのちゃん?」

 震える声で次男坊――鬼柳 菊次郎きりゅう きくじろうは母親の顔色を窺った。

 嗚呼、いつ見ても涼しい顔をしている母である。

「分かってる……? 最悪、ウチ無くなるんだよ?」

「だって、菊はウチを継ぐつもりはないでしょうし、花はそもそも力がないんですもの」

 家が潰れたって損はないという様に母は綺麗に笑った。

 花――兄の花太郎は残念ながら幽霊を見る力が無ければ妖怪を祓う事も出来ない。

 しかし、そんな神職位どこにでもいる。要は家柄さえ何とかなればOKなのだ。花太郎が何となく神主になり、母が何となく祈祷を行って、自分が何となく祓う生活を続けていけばそれで家は続き、自分は楽をし、花太郎だって職に就ける。全てにおいてが幸せになるはずだ。

「花兄ィが無職になっちゃ困るだろ……ウチはお役人になれるほどに頭良くないわけで、しのちゃんは陰陽師出来るけど、オレはさ、その……」

「菊が陰陽師になればいいのよ」

 母は、またしても綺麗な顔をしてそう言った。

「は?」

「菊は陰陽師になれるから大丈夫。篠ちゃん、菊の為にお役所に頼んできたからね」

 ほら、と手渡された札と鞄。

 菊次郎の表情には嫌な汗が流れ始める。じんわりと掌に滲んだ汗をぬぐう事も出来ないまま、彼は「しのちゃん」と己の母親の名前をゆっくりと呼んだ。

「これは?」

「――かわいい子には旅をさせろって言うでしょ」



 ◇◆◇


 ライオンは子供を崖から落とすらしい。ならば母がかわいいかわいい息子に行った非道なる行為もそれの一角だろうか。

 お取り潰しを免れるために自分が奉公――言い方は悪いがこれがぴったりだ!――しろというのは母による体の良い厄介払いか。

 懸命なる抗議は母お得意の式神たちによって封じられた。何だかんだで彼女は聡明な陰陽師と言う事か……母の術を見るとそこから彼女の言葉を曲げさせることが難しいのだと良く理解させられる。

「……それで?」

 それでから、どうだ。

 行って来いと手渡された紙には奉行所の場所と、訪ねるべき部署名が記載されている。

 ――名から漂う下っ端臭が菊次郎を不安にさせた。

「ようき、どうしん……」

 帰りたさが心の底から溢れ出した。

 町中だと言うのに奉行所の前には豆粒ほどの小鬼がと言いながら大きな風呂敷を運んでいる。

 妖ならば祓ってやらねばどうにもできない。表情を固く凍らせた菊次郎は己の荷物の中に数枚の札が入っていたことを思い出し、いざという時はと後ろ手にそっと握りしめた。

 小鬼は奉行所の中へと風呂敷を運んでいく。その体には似合わぬ大きな風呂敷はずるりずるりと引き摺られ中から小豆をぽろぽろと溢し続けているではないか。

 視えない人間からは勝手に豆が飛び出た様に思えるのか……いや、そもそも豆如きに気付かないか。

「……おい」

 ゆっくりと小豆を拾い上げ、菊次郎は小鬼に落としたぞと差し出した。

 その声に大きく肩を震わせた小鬼が「ひぃん」と鳴いたのは予想外のことだったのだが。

「儂が見えるんで!?」

「残念なことにバッチリみえてるよ……。お前、こんなトコで何してんだ?

 ヘタすると霊能力者とかうさんくせー奴に蹴られるわ、詰られるわ、祓われるぜ」

 やれやれと肩を落とした菊次郎に怯えた顔をした小鬼は「へえ」とだけ呟き肩を竦める。どうやら意思疎通ができる上に悪いやつではないらしい――尤も、子供の頃に悪霊と友達になった以外は妖の類には精通していない菊次郎には善し悪しの判別は適当なのだが。

「まあ、見た所、悪い奴じゃねぇだろうし話を聞いてやろう。その風呂敷運ぶのか?」

「へ、へい、儂は見ての通りちっぽけな小鬼でして……妖鬼同心の兄さんに頼みごとをするために小豆を運んでおりやす」

 妖鬼同心――その言葉だけで声を掛けなければよかったと、菊次郎は死ぬほど後悔した。小鬼なんて見えないふりをして、『陰陽師の血だけ持ったボンクラ』扱いしてもらうために奉行所にやってきたというのに。

「その、小豆が……重くて運べやせんので」

 嗚呼、その次の言葉は予想がついている。

 鬼の癖にその輝かしいまなざしを向けるなんて卑怯そのものだ。

「兄さんが暇でらっしゃるなら」

 良い、言わないでくれ。

 できれば、小豆運ぶのは諦めたからまたの機会にと言ってくれないか。

「一緒に……」

 ――現実は無常だ。

 片手に小鬼、もう片手には小豆の風呂敷を手に奉行所に入ることになるなど……。

 途中で肌がちりりと灼ける感覚を覚えたが嫌悪感をそのように感じただけかもしれない。掌の上で小鬼が小躍りしているが、最早それもどうでもよかった。

 用意周到な母に渡された紙には地図が添えられてる。迷うことなく奉行所の中を歩み、人気ない方向へ進めば木々が鬱蒼と繁り始める。

「妖鬼同心の詰め所は昏いんでやすね……」

「昏いかどうかって聞かれれば最悪な職場だって思う」

 鴉の鳴き声が周囲に響き渡り、辺り一面が昏く包まれている。昼だというのに鬱蒼と繁った木々が空を隠すものだから夜と何も変わりはなかった。

 適当に吊るされた提燈が茫と光り、手招く様に存在しているがそれも不気味だ。

(……化け物部署か何かかよ。幽世かくりよの雰囲気を体現してみましたってか?)

 奉行所の中にこんな場所があったものかと首を捻りながら歩む菊次郎の手首に抱き着きながら小鬼は怯えて「兄さん」と幾度も呼んでくる。

 鬼の癖にこの空間に怯えるとは馬鹿者である。寧ろ、真人間の自分が怯えて幽世に住まう妖怪である小鬼が「全然安全でやす!」位言えないものなのか。

「あ、兄さん……ひょっとして儂は兄さんを妖しい場所に連れ込んでしまったんでしょうか」

「俺もそれ聴きたかったんだけど、お前怯えてるから悪い妖怪じゃないっぽいけどさぁ……一般人を幽世に引き摺り込んで存在を食いたいとかそんな感じ?」

 見下ろせば、くりくりとした瞳でこちらを見上げてくる小鬼は「儂にはなんとも」ともごもごと濁すように呟いている。仕草一つ一つから奇妙な外見に似合わぬ鬼である。

 いざとなれば母お手製の札の準備もあるのだ。現世に位なら幾らでも舞い戻れるだろうと奇妙な自信を胸に菊次郎は「そうか」とだけ返した。

「兄さんはこんな鈍間な小鬼を良く信じられますね……」

「なんつーか、俺もなんでお前に声かけたんだろって100回位後悔してるし、死にたいほどに後悔してるし、寧ろさ、俺はなんでお前が見えたんだ?」

「さ、さあ……」

 八つ当たりである。

 菊次郎の口撃に怯えた様にくりくりとした瞳を向けてくる小鬼は不安げに手首へとぎゅ、と抱き着いてきた。その仕草は美女であればときめくのだが――生憎、不細工と呼ぶに相応しい小鬼だった。

「大体さ、聞いてくれよ。俺は働かずにぐーたら次男坊やってたかったわけで、どう考えても霊力とかそういうの使って頑張るってタイプじゃないだろ? あの鬼婆ァが政策に反対だなんだ謂わなかったら今だって家でだらだら春画でも読んでるわけだよ」

「は、はあ……」

「家も追い出されて、里帰り程度しか来るなって言われて遥々奉行所ですよ。はー、何の楽しみもない社会人しごとにんげんになるってのはごめんなワケ。小鬼、判るか?」

「は、はい……」

「そんで心の底から鬼婆ァを呪ってたらお前と出会ったんだよ。無能ぶりを見せつければさっさと家に帰らされる事だろって思ってたのに計画丸つぶれだよ。なんでお前に声かけたんだよ……あー、畜生……」

 マシンガントークに小鬼はドン引きと呼ぶに相応しい反応を見せ、困った様に身を丸めていた。

 口撃は留まることを知らず、とりあえず聞いてくれと掌の上で丸まり勘弁してくれと頭を下げるまで続ける事となった……。


「で、」

 周囲を見回せば鴉がカァカァと鳴いている。鬱蒼とした木々はだらだらと続き、『妖鬼同心』の詰め所に到着する気配もない。

「ここは何処だ」

「は、はい……同じ場所をぐるぐると回ってる気がしやす」

 念の為と懐に忍ばせた小豆を落としておいたと有能ぶりを発揮する小鬼は菊次郎の前を指さし「儂の小豆でやす」と困った顔を見せる。

 どうやら同じ場所を(ストレス発散の間)回り続けていたらしい。奉行所の大きさからして、この距離を歩かされることはなかった筈だ。

「あー……」

 気づかなかった自分も情けないが何となくでも小鬼が気付いてくれていたらこの距離を歩く事もなかったのだがと菊次郎は項垂れる。

 無駄な労力を使用するのは嫌いだ。

 さっさと状況判断を終えていれば、この『迷路』のような空間から抜け出すのは簡単だった。

 先ほどのびりりと体に奔った感覚は奉行所の結界が反応したという事か。自分自身の霊力もそうだが小鬼を連れていたことも相俟っての事なのだろう。

「小鬼、お前は妖鬼同心に行ったことは?」

「な、ないでやす……」

「じゃあ、この結界の事は?」

「あ、あ……いや、仲間は紹介されたら行くことが出来るとかその……」

 つまりは、妖鬼同心に行くには何らかの『キーワード』が必要で、小鬼は『紹介』されて来た訳ではなくごく個人的に小豆を持って依頼に訪れたという事か。

 小豆を持って奉行所にえんやこらしょと尋ねたところでこの結界に阻まれ辿り着くことが出来ない。

 振り返れば奉行所の入口出会った場所がすぐ傍に見えている。

 ――力ある陰陽師か、はたまたそれに類するものの仕業か。

 ぞくりと心の底から沸き立った好奇心はこの場所に訪れてよかったと初めて感じさせるものだった。

「結界位、俺が解いてやるよ」

 唇の端が吊り上がり、母親の見様見真似で札を手にする。

 足元に下した小鬼が怯えた様に草履の上によじ登り足首にしがみついてくる。ここまでくると案外かわいいやつである。

「俺を誰と心得る!」

 一度言ってみたかった決め台詞である。

 どうせ、小鬼しか聞いていないのだし心の底から格好つけたいのが男子だ。

「俺こそ鬼柳流後継者――鬼柳菊次郎様だ!」

 シュ、と音立て木々が霧散してゆく。

 暗闇から解き放たれたように鮮やかな昼の太陽が差し込み、ゆっくりと――ゆっくりと顔を上げれば穏やかな瞳と目が合った。

「かっこいい」

 ……聞かれていたのだろうか。

「菊次郎様か」

 その男は菊次郎が札を振るった真似をする様に立ち上がり、台詞を一字一句間違えずに唱えている。

「な――」

「あ、妖鬼同心様!」

 ぴょん、と足首から降りた小鬼が菊次郎の掌を差し出し「小豆をお代にお願いをかなえてください」と頭を下げているのが見えた。

 妖鬼同心……?

 サァ、と頬まで熱が上がってくる。

 散々歩いていた、結界の中にいたというのはあくまで『こちらの話』で相手側から見れば結界の中身は全て見えていたという事なのだろう。

 何が高名な陰陽師だ。

 何がそれに類するものの仕業か。

 昼下がりの男の暇潰しの結界ではないか! よく考えればそれほど強い結界ではなかった気までしてくる!

「やあ、君が鬼柳の次男坊かい? こんにちは、君と会えて嬉しいよ」

 穏やかな笑顔に湯呑はよく似合う。のんびりと縁側に腰かけた細身の男は菊次郎を上から下まで眺めてこてりと首を傾いだ。

「……どこに行ってたのかな?」

 帰りたくなった。

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白群に揺れる せな @aya00k

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