門出の逢瀬。二人の出会い。
大和環奈
門出の逢瀬。二人の出会い
桜咲く季節。
私は新たな門出を迎える。
元々九州地方に住んでいた私は就職する関係で都会に近い場所に引っ越すことになった。
九州地方の中でも田舎の方に住んでいた私は都会に近い場所への引越しにわくわくしていた。
とある会社の一般社員になる予定の私は引越し準備を済ませ、同居していた両親に別れを告げて家を出る。
駅に併設されているコンビニで簡単な食事と飲み物を買い、電車に乗り込む。
ここに来てようやく名残惜しさを感じた。
私、
取り柄といえば指で数える程しか思い出せないくらいに土地勘に疎く、ただ、都会に憧れて育ってきたのだ。
育ってきた環境も相まって、幼い頃から親の言いつけで勉強しかしてこなかった私は友人こそいたものの中学に上がるまで趣味と呼べるものもなく、暇な時間にはただただ漢字の写し書きをしたり、本を読んだりと面白みのない人間だった。
『本当は他の人のように自分の好きなことをしたい』
毎日のようにそう嘆きながらも何も行動に移せないままでいた。
金銭面の問題もあり、家にはパソコンも無く、携帯も持っていなかった私には《ネット環境》の《ネ》の字も無かった。
ゲームだって古いものを数える程しか持っていない。
そんな理由から友人の話しにもついていけず、毎日のようにストレスを溜めていく日々だった。
唯一CDを聞くための音楽プレイヤーがあったくらいだ。その頃、一人のシンガーソングライターを好きになっていた。
肌身離さずのように音楽プレイヤーを持ち歩いてその人の曲を聴き、一人でいるときにはどこであろうと口ずさむようになっていた。
歌だけが私にとっての生き甲斐にも感じれていたかもしれない。
中学生になった頃のこと。
従姉妹に憧れを抱き、興味があった部活に入部した。そこで今まで勉強しかしてこなかったことのボロが出た。
人間関係が上手くいかずに部活メンバーやクラスメイトから毎日のようにいじめに遭うようになったのだ。
それは一年間ずっと続いた。
学校に行ってきちんと靴箱に上靴が入っていたことがない。机の中にしまっていたはずの教科書がゴミ箱から出てきた。体育の授業中では怪我しなかった時がないし、プールの授業では溺死しかけたことだってあった。体育の授業から帰ってくると制服が隠されているかビリビリになっていた。あざができる程に暴力を振るわれたことだって少なくない。
この頃から何度部活を、学校を辞めようと悩んだか分からない。
今まではそう思う度に好きなアーティストの好きな曲を聴いたり歌ったりすることで気持ちを切り替えてこれていたのだが、流石に限界だった。
我慢出来なくなった私は担任の教師に相談した。
いじめのことを全部話した。
私の相談を聞き教師は言った。
「お前は頭が良いだけで役に立たないし鈍臭い。
そんなだからいじめの対象になるんだよ。
悪いのはあいつらじゃなくてお前だ」と。
その直後、
「失礼しまーす」
そう言って同じ部の先輩が職員室に入ってきた。
「先生、最近松本さんが無断で部活休むのでそれを注意してあげてください。もし明日来ないようなら何したって構いません」
「ほら、お前だってやるべき事をやっていないじゃないか。こんなことを話に来る暇があるならさっさと部活に行け」
そう言って私を職員室から追い出した。
先輩は私を引きずるようにして部室に連れていくと、私の制服を引き剥がし辱め、後で来た数名の先輩達と一緒に私を犯した。
以降、毎日毎日部室に呼び出されては慰み物にされる日々だった。
「……ぁ……ぅ……ぇ……」
そんな日々を送って精神的にダメージを受けてしまった私は声が出なくなった。
絶望した。
人と会話できないこと何かよりも歌えなくなってしまったことの方がショックだった。
どれだけ必死に声を出そうとしても
掠れた声しか出ない。
曲を聴いて落ち着こうと思っても曲を聴くことで歌いたくなってしまい、再び歌えないことに絶望してしまう。
その日、家に帰り両親に筆談で話をした。
いじめを受けていたこと。それによって声が出なくなったこと。歌を歌えないことや曲を聴けないことが辛いことなどを。
両親に全てを話した時、私は期待をしていたのだ。
この人なら私を庇ってくれる。声のことだって心配して病院に連れて行ってくれる。
私の心の傷を何とかしてくれる。
そう、思った。
「なんで嫌なら嫌って言わないの?
あなたがちゃんとそれを言えていたらこんなことにならなかったでしょうに」
「母さんの言う通りだ。
だから声が出なくなったのもお前のせいなんだから我慢しろ。病院に連れていく金が無駄だ。自分で声を出すように努力しろ」
だが、私が期待したようなことは全くなかった。それどころかこの人たちまであの教師と同じように私のせいだと、私が悪いと言うのだ。
この晩、私は自殺未遂で病院に運び込まれた。
首吊り自殺を図ったものの偶然家を訪れた祖母が首を吊って意識を失っていた私を発見してすぐに救急車を呼んだらしい。
病院で丸裸にされた私を見た祖母は母に対して憤りを覚え、病院の一室で激怒したらしい。祖母に叱責され恐る恐る病室を訪れた母も私の体を見て初めて事の深刻さに気づいたようだ。
体の一部は有り得ないほどに骨が沈んでしまっていたし、病院に運ばれるまで私が着ていた制服はボロボロ。
一度、溺死しかけて放置されたのが原因か肺を病んでしまっていた。
エコーの検査で妊娠していることも分かった。
目を覚ました私は死ぬ事が出来なかった事、それから両親達を泣かせてしまった事に酷く後悔した。
生きていることが苦痛でしかなかった。
まず肺の機能を元に戻す手術から始まり、骨の修復。そして中絶。
声以外に問題があった箇所の手術が終わり、退院した次の日、私は転校することになった。
対外的には家庭の事情と言ってあるが、もちろんこの学校を取り巻く環境の悪辣さが原因だ。
転校した先の学校ではそんなに雰囲気も悪くはなく、私もすぐに溶け込んだ。
声が出ないことがダメージになりつつもそのことを慮ってくれたり、時には励ましてくれる友人がいることが嬉しかった。
普通の学校生活が送れることに安堵したのだ。
少し季節が過ぎ去り、高校受験シーズン真っ只中になった。
私は県下一の進学校の推薦入試を受け、見事合格した。
とても嬉しかった。それはもう今までのことなんて考えなくてもいいくらいに。
けれど、合格通知が届いて二週間もしない内にそれが取り消されてしまった。
どうやらその高校宛に一通のメールが届いたらしい。内容は『松本綾衣は不順異性交遊をするような生徒だった』という短い言葉と一枚の写真が添付されていた。その写真は私が部活の先輩に犯されていた時のものだった。
脅され、強制されて生で挿入された時のものだ。
加工してさも私が誘っているように思わせるようなもので、送り主は元担任だった男だ。
つまりあの男が生徒と合作して私の合格を破り捨てたのか。
その次の日には家に一通の手紙が届いた。
『今日の12:00頃、○○公園まで来い。来なかったらあの写真をお前の通っている中学校にばら撒いてやる』
そんな私宛の手紙だった。
時間通りに指定された公園に来た私を待っていたのは素行の悪そうな男の集団だった。
私は男に囲まれるようにして人気のない地下に連れてこられた。
もう先が見えた気がして、私は逃げようとした。
だが、数いる男達に女である私が抵抗して敵う訳もなかった。
すぐに捕まり、腕を鎖で繋がれて男達の好き放題された。
頭がおかしくなりそうだった。
否、おかしくなった。
正常な判断が出来ないまま、私ら彼らに弄ばれた。
腕に鎖を繋がれたままの私に出来ることは目の前にゴミの山のように置かれた万札を眺めるだけ。
鎖に固定され、動くことの出来ない暗い地下の中で徐々に狂っていった私は三週間後に警察に保護されるまでは男達の玩具でしかなかった。
警察に保護されたのち、何回目かわからない中絶をした。
男達が残していった大金を刑事さんから貰った。
その額全部で400万円にも達していた。
狂った私は高校には行かないままに年齢を偽ってとある風俗店で働き始めた。
仕事の日は毎日毎日たくさんの男性と行為に及んでいた。仕事が休みの日にはAVにも出演していた。
最初はただエロい格好で街中を歩いて男性の目を引くだけのものだったが、慣れてくるとAVの企画にも参加した。
私は風俗を辞めてAV女優になった。
ある日のことだった。
とあるAVで共演した一人のAV男優に交際を申し込まれた。
仕事上の関係より親密に関われるならばその方がいいだろうと、交際を受け入れた。
それからは暇があれば行為に及ぶような生活を過ごした。もう当然ゴムなんて使わずに生でしていたし、もし子どもができても中絶すればいいとそう思っていた。
近所の公衆トイレでも電車やバスの中でもファミレスでも……
慣れた頃には人前でも堂々とするようになっていた。
そんな日々は長くは続かなかった。
私は性病に掛かってしまったらしい。
この日に仕事で共演したAV男優との性交渉で掛かったものだろうという診断だった。
それを聞いた彼は私を捨てた。
出来なくなった私と付き合う意味が見いだせなかったらしい。
結局、私はその程度だったのだ。
性病を持ってしまった私はAV女優を辞めざるを得なかった。
あの日以来、行為に及ぶことでしか満足出来ていなかった私は何のために生きているのか分からない。
コンビニに寄って偶然見かけたゴシップの一面に私の名前があった。
『松本綾衣 声の出ないAV女優引退か』
そんな見出しから始まった記事は私が性病を患うきっかけになったAV男優とそのAVの作品名を説明していたものだった。
もう本当に笑えなかった。
風俗で働き始めた頃から家族とも会っていない。
優しくしてくれていた風俗のママさんとも疎遠になった。
もう帰る場所も行く場所もない。
ただ、こうして夜の街を歩き回るだけだ。
私は行き場を無くした。
数時間歩き、彷徨ったところで私は限界が来てしまったみたいだ。
暗い道の真ん中で倒れ、車に轢かれてしまった。
もう一歩たりとも動ける気がしない。
それどころか意識まで朦朧としてきた。
ああ、私はこのまま死ぬのかな……
そんなことを考えながら目を閉じた。
辺りが眩しくて目を開けるとと真正面に木でできた天井が見えた。
真正面に天井が見えるということは今は横になっているのだろうか。
少し目だけで見渡す。
見知らぬ天井、見知らぬ部屋だ。
確か私は路上で車に轢かれ、そのまま意識を失ったはず。
ここはどこだろうか。
そこまで考えて体を起こそうとお腹に力を入れてみるも起き上がれない。
体に力が入らないのだ。
そうして何度も何度も起きようと試みた。
けれど起きられない。
そんな時だった。
「あ、目を覚まされたんですね!」
見知らぬ男性が涙を流しながら嬉しそうに私の方へと近づいてきた。
返事が出来ない私は寝たままの姿勢で軽く顎を引くと男性の顔をじっと見つめた。
察してくれたらしい男性は私がここにいる理由を説明してくれた。
車で道路を走行中道端で倒れているを発見したらしい。服にタイヤ痕があったことから車に轢かれていたそうだ。
慌てて家まで連れてきて簡単に治療をした後、私のことを看病してくれていたようだ。
世の中にはこんな人もいるんだな……
どうやらこの人は私の素性を知らないらしい。
とりあえず私は紙とペンを貰って声が出ず話せないことを筆談で伝えておいた。男性は驚いた後に病院に連れて行ってくれると言ってくれた。
病院なんかに行ってドン引きされないかな…私……。
病院に行ったら私が元AV女優だってことが露見するだろうし、色々とまずい気がするんだよね。
そう思い、私は彼の意見を拒んだ。
「体の節々が痛くて動きたくないのだ」と嘘をついて。
彼はとても心配してくれて、私が起きれるようになるまでは私の介護をするのだと張り切っていた。
何故そこまでしてくれるのだろうか。
そんな疑問を持ちつつも私は彼のその気持ちがとても嬉しかった。
彼に介護されながら過ごすうちに体が動くようになってきた。動かなかった腕や力の入らなかったお腹に力が入るようになり、私はとても元気になったと思う。
それでも私は彼に介護をしてもらいたいがためにわざと起きれないふりをした。
一週間後、私は布団から起きてみた。
少しバランスが取れないもののしっかりと立てた。
ちょっと前まで全く動けなかったのが嘘のようだった。
ずっと傍にいてくれていた彼が自分のことのように嬉しそうに涙を流した。
私も嬉しくなってテンションが上がって跳ねようとした。しかし、足が上手く動かずに倒れそうになったところを彼が支えてくれた。
彼は仕方なさそうに笑いながら私の手を掴んでくれていた。
お互いに顔を向き合って笑い合う。
お互いの素性を知らないままの同棲。
それでも私はとっても幸せだった。
彼が病院に連れて行ってくれると言ってくれた。今度は素直に頷き、そのために美容院に行き、長かった髪を切って染めていた髪も黒染めした。
病院に行き、声が出ないことについて診てもらった。
私の喉は既に機能を停止してしまっていたらしい。もし、どうしても声が欲しいのなら一度声帯を取り除き、新しく人工の声帯を入れるという手術もあるらしい。
でも、今の私はそこまで声に依存してはいない。
だって声の無いこの一年はとても幸せだったのだ。声がなくたってやっていける。
私は彼と幸せに過ごせればそれで良かった。
一応、体の精密検査も行ってみたが、特に問題は見られなかった。医師に頭を下げ、診察室を出た。
とても不安そうな顔で待っていてくれた彼は私が白板に書いた診断結果を見てとても喜んでくれた。
これからも彼と幸せな日々を送りたい。
そう思う反面、彼に過去を隠したままでいるのは罪悪感が生まれた。
それはきっとこれからも……
病院の帰り道。
「話したいことがあるの、そこの公園に寄ろう」と彼に伝えて、彼もそれを了承した。
私は自己紹介も含めて自分の汚い過去を彼に話した。嫌われることへの恐怖からだいぶ字が歪んでしまった。きちんと読めるだろうか。
彼の反応を待つ。
彼は少し考えるようにして頭を抱えていた。
もし、嫌われたらどうしよう。
私はこれからも彼と一緒に居たい。彼と二人で暮らすあの家が好きだし、彼の作る料理が好きだ。
気遣わしげに私のことを大事にしてくれる彼の事が大好きだ。
だから嫌われたくない。
嫌われたくないよ。
もっと彼と一緒に居たい。せっかく動けるようになったのだから彼と出掛けてみたい。
彼は言った。
「君が自分のことを話してくれたことが僕は嬉しい。話してくれてありがとう」
予想のしてなかった彼からの感謝に熱いものが込み上げてくる。
私は大泣きしてしまった。
「もしかして自分の過去を聞いたら嫌われるとでも思っていたのかい?」
「……!!」
「やっぱりか。
だとしたらそれは間違いだ。
僕は君を嫌ったりしないよ」
嫌わないと言ってくれた。
彼のその一言が嬉しすぎた。私はそれだけ聞ければなにも要らないとそう思った。
私は元気に頷き、白板に「私、あなたの事が大好き!」と書いて彼に想いを伝えてみせた。
白板を見た彼は少し驚いたあとで嬉しそうに涙を流していた。
彼は「僕だけ聞いてしまうのはフェアじゃないから」と自分の過去を話してくれた。
彼は高嶋祐介という名前だった。
>
祐介は医者の息子に産まれ、父子家庭で育ってきた彼は幼い頃から医者になることだけを強要されて生きてきたそうだ。
高校を卒業後、大学生になった祐介は親の意に反して医者では無く、一般企業で働く事を希望したそうだ。
大学卒業時、父親からは要らぬものと扱われ、家を追い出された。
一人暮らしを初め、自分の志望通りに一般企業に務め始めた祐介は最初こそ楽しい気分で仕事をしていたらしい。
祐介が働き始めて半年経った頃のことだ。
家に帰れない日が続いた。
無給の残業と明らかに労働基準法を無視した勤務時間。
努力して仕事をしても褒められることは無く、全てリテイクだ。
会社を辞めるのは簡単だったが、簡単じゃなかった。
医者である父にあそこまで言って入った会社なのだ。そう簡単に辞めることは出来なかった。
一週間フルで働き詰めて、体がくたくたになった状態でようやく休みが取れた。
家でゆっくりしていると突然父が訪ねてきた。
祐介を嘲笑うためだけに。
祐介はカッとなって手を出してしまった。親子で揉み合いになり、父は祐介を殺そうと傍にあった包丁を手にした。そこからの事はあまり良く覚えていなくて。
気づけば祐介の握った包丁は父の腹を刺していた。
祐介は父親を殺してしまったのだ。
本来ならば正当防衛が主張できたはずなのに、この時冷静な判断が出来なくなっていた祐介は家から逃げた。
仕事も家も全てを投げ出して、飛行機に乗って誰にも見つからないような田舎に行き、身分を偽って一年の月日を過ごした。
そんなある日レンタカーで暗い道路走行中に車に轢かれた少女が倒れていた。
それを見た祐介は死体となった父を、腹に突き立てられた包丁や傷口から止めどなく溢れる血という血を思い出し、慌てて少女を抱えて家に帰った。
幼い頃に父から教わった応急措置を少女に施して布団に寝かせた。
布団に寝かせた少女は何日経っても目を覚まさなかった。
その時、祐介を襲っていたのは後悔の念だった。
もしあの時、父の言う通りに医者の道を目指していたのなら父を殺してしまうこと無く、この少女も助けられたかもしれないのに。
数ヶ月経ち、少女が目を覚ました時にはどれだけ救われたのか分からない。
ああ、良かった……、本当に良かった……。
>
祐介から過去を聞いた私は無性に彼を慰めたくなった。
年下でまともな人生を送ってこなかった私がこんなことをするのは失礼かもしれない。
そうは思っても慰めたくなったのだ。
彼に抱きつき、親が子をあやす様に背を撫でた。
私を抱き返した祐介は私の肩で目を覆うようにして泣いていた。
そんな彼を見て私も過去の自分を思い出した。
相容れないからと全てを無為にして全てを投げ出して生きてきた。
救われる道などどこにもないのだと勝手に諦めて快楽に身を委ねた。
今となってはあの時の自分が何を考えてそうしていたのか全く分からない。
けれど、一つだけ分かることがあるとすれば。
私はこの人と出会えたからこそ救われた。もし、あの道端で彼が私を助けてくれなかったならどうなっていたか分からない。
だからこの人には、祐介にはとても感謝をしているし、何か恩返しをしてあげたいと思った。
そう思った時だった。
喉に風が通るようなそんな感覚がした。
だから精一杯お腹に力を入れて声を出して想いを伝えてみた。
「ね、祐介さん。
私はあなたに救われた。あなたがいなかったから私はここにはいなかったと思う。あなた私の命の恩人なんです。
だから私はあなたに恩返しがしたい」
私の声を初めて聞いたであろう彼はとても驚いていた。
もしかしたらそれだけじゃないかもしれないけど。
私は一度深呼吸をした後で言った。
「私は祐介さんが大好き。
もし、子どもが作れないような体で良ければ、私と結婚して一緒に生きてくれませんか?」
私は祐介にプロポーズした。
今も私に抱かれたままの彼はその言葉の意味が理解出来ていないのか、唖然として私の肩に顎を乗せた。
「……僕なんかでいいのかい?」
やっとこさ返事が返ってきたと思ったら……。
「『なんかでいい』んじゃないよ。
祐介さんが良いんだよ」
彼の肩が嬉しそうに跳ねた。
その反応に安心した後、私は一度強く彼を抱きしめて言った。
「私、一度実家に帰ろうと思う。私のことを大事に思ってくれていた母や祖母に何も言わないまま家を出て、全く連絡を取っていなかったから。
だからそこに折り合いはつけたいと思う。
けど、私だけじゃ不安なの。どうしても過去を省みて母に何か言っちゃわないか心配。
だから私を支えて欲しいんです。
ダメ……ですか?」
心配してくれていた祖母や無意識に私を傷つけたと悔いていた母には何も言わずに逃げてきた。
きっと向き合うのが怖かった。
好きだった母や祖母まで他の人みたいになったらどうするんだろうなんて考えて向き合うのが怖かった。
でも今なら、彼がいてくれる今なら向き合えると思った。
私は強く抱きしめて彼に懇願した。
途端、祐介が笑い始めた。
突然の笑い声に驚いてしまった私は抱き寄せていた彼の肩を前に押し、彼の顔を見た。
彼は心の底から笑っているようだった。
「ふふふ、君には敵わないな…。
君に救われたのは僕の方なのにな」
違う。
あなたが助けてくれたからこそなのに。
そんな思いを抱き、それを口にしようとしたところで……
「僕も君のことが好きだ。
こんな僕でよければこれからもよろしくお願いします」
彼は私のプロポーズを承諾したのだった。
早速次の日には実家に帰った。
私のことを心配してくれていた母は私の顔を見て泣いて喜んでいた。
祖母も同様だ。ただ違うことがあるとすれば、祖母は泣きはしなかった。
祖母は私が成長して戻ってくることを待ってくれていたらしい。
嬉しくなって思わず泣きながら祖母の胸に飛び込んだ。
挨拶を済ませた後で二人に祐介を紹介した。
二人共驚いたものの私から馴れ初めを聞いて祐介に心底感謝していた。
しばらく過ごしてから私達は家への帰路につく。
そこで祐介は決意したように私にお願いをした。
「僕は明日警察に出頭する。
そこに一緒に来て欲しいんだ。
そして、もし逮捕されてしまったとき。
君には僕が出てくるまで待っていてほしい」
「うん、分かったよ」
そう約束を交わし、祐介は明日と言わずに帰宅してすぐに行ってしまった。
祐介がいなくなってから、私は高卒認定試験を受けるための勉強を始めた。
貯めたお金はまだ残っているものの、きちんと仕事をして真っ当に生きていこうと決めたのだ。
そのためにも高卒程度の資格は必要だと知った。
>
数年後、私は田舎から都会に近い場所へと引っ越すことが決まった。
もちろん祐介の家は残してある。
荷物だけを先に運び出し、祐介のもの以外は全て無くなった家が寂しく感じた。
家に別れを告げ、鍵を掛けて家をあとにする。
この家には祐介との日々が沢山詰まっていた。
それを思いながら一歩一歩と足を進める。
少し歩いて辿り着いた場所。
そこは私と祐介が出会うきっかけにもなったあの道だ。
全てを失った私はここで意識を失い、車に轢かれたのだ。
もしかしたらあそこで全てが終わっていたかも知れないところを祐介に助けられた。
そこからの日々は本当に幸せなものだった。
そんな幸せだった日々を思い出しながら私は泣いていた。
祐介が帰ってくる前に就職の関係で引っ越すことになってしまった。
そこが悔やまれるところだった。
自分でした決断を悔いながら私は道を歩く。
そんな時だった。
突然、強い向かい風が吹き、それに流されるように私は前を向く。
前方には一人の男性が立っていた。
小汚い服を着て、整えられてない髪や眉などの顔の毛。その様子はホームレスのようだった。
けれどもその真面目な顔立ちと明るい顔からはそれも違うように感じられる。
男性は私の方を見て明るい顔を笑顔に変えた。
この笑い方を私は知っていた。
これは私が大好きでたまらない笑い方だ。常に気遣わしげで優しくて、私を救ってくれた笑顔……。
そう思った瞬間、私は荷物を置いて、徐々に早くなっていく足の動きを抑えられず、最後には飛び込むようにして男性に抱きついた。
祐介が帰ってきたのだ。
ずっと待ってた愛おしい人。
私の命の恩人で私が初めて好きになった人で私の旦那さん。
「おかえりなさい。祐介さん……」
「ああ、ただいま。綾衣」
二人で道の真ん中で抱き合い、額を重ねて笑い合う。
恥ずかしがりながら唇を交わし、私達は互いの愛を確かめ合った。
>
地元を離れ、新生活が始まった私は今日も大好きだった歌手の大好きだった曲を聴きながら、今は遠く離れた地で暮らす彼の事を想い続ける。
「『やんなっちゃうけれどいい事があんのも人生』。──本当に、そうだよね」
門出の逢瀬。二人の出会い。 大和環奈 @sakana-kanayui
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