大いなる災い 星乃御子 其ノ八


 白き鏡は常に望みを叶える石にあらず、現在と過去の彷徨う心を映し出す。


 女はまごうことなく武器を望んだ。鏡は確かに願いを叶え、心の奥底へも光を当てた。遥か昔に無くし、諦めた、決して叶えることができなかった望み。具現化された力は同時に人の娘の姿で現れた。血の繋がらない、しかし確実に伴侶との子である娘にちゆりと名を与える。

 刀剣であれば鍛冶を行えばよいし呪術であれば修練をすればいい。されど人の子に必要なのは心のり所とよき思い出。女は母となる事を余儀なくされる。

 結果をいえば、女は母になる事は出来なかった。効率だけを強引に推し進めて来た半生は、箸一つうまく扱えぬ娘に腹を立て、仕舞いには存在そのものを消し去った。

 

 娘はなおも同じ姿で現れた。女は二度と母になろうとは思わなかった。


…………


 畑に囲まれた小高い丘で、志乃は矛を握りしめ「それ」を見ていた。


 杭の刺さった奇妙な箱は火花を散らし、すぐ横には管の付いた珠が光を点滅させていた。珠は大きな目玉のようにも見え、茨のようなつた雁字搦がんじがらめめにされている。

 半永久的に生き続けることを選んだ一族の成れの果てであり、巻き付いている蔦が声の言っていた「くさび」であることを志乃は理解した。


「……」


 何も考えず矛先で払うと、蔦の巻き付いた珠は管を斬られてゴロリと転がる。それでも珠は光ることを不規則に繰り返す。何か訴えかけているのか、生きあがいているのか、志乃にとってはどうでもいいことだ。砕けば全てが終わるのだから。


 珠に矛先を向け突き立てようとした時、志乃を小さな影が囲んだ。



 童子たちだった。親同然であった主を失い、武器を向けている。あれ程志乃を慕っていたアザミでさえも、今にも襲い掛からんばかりに睨みつけていた。

 志乃は全く動じない。恨みたければ恨めばいいし、刺したければ刺せばいい。自分にはこうする資格も、覚悟もある……。


『邪魔すんな──っ!!!』


「──!」


 イロハの声が響き、志乃を囲んでいた童子らは吹き飛ばされた。


(イロハ……どうして……)


 志乃が振り返るとイロハと莉緒、そして比紗瑚ひさごの二柱が立っていた。

 四人は童子たちが近づけないよう、志乃を守るように囲む。


「まだ終わってねぇ! 手出しすんなら誰だろうとオラが叩き斬るっ!!」


ザクッ!


 地に刀を差すと腕を組み、どっかりと腰を下ろす。



 志乃に背を向ける形で腰を据え、イロハは黙って前を睨んだ。志乃に向かい止めを刺せともやめろとも言わない。何を言っても動揺させるだけとわかっていたからだ。

 自分は運よく生き別れの母と再会することが出来た。だが志乃はどうだ、見つからないばかりか存在すらしなかった。本人は絶対認めないだろうが、志乃を生み出したあさぎが母であったといえなくもない……。


──今から友が行うのは母殺しだ


(志乃、オラは志乃が何者でも、どんなことあっても友達だと思うし、これからもずっとそうだって思い続けたい。だから志乃もオラの事をそう思って欲しい……)


 荒れ吹雪く那須山霊で命を拾われ、人里へと目を向ける自分を受け入れてくれた。共に妖怪と戦い、未熟だった自分に喝を入れてくれた。何度も離れては再び会うことを繰り返してきた。同じ屋根の下で暮らし、互いに冗談を言い合ったことも楽しい思い出だ。

 一年程だったが、志乃と一緒に居たことがどれだけ自分の中を占めていたことか。友がいるという事が如何に尊く、如何にかけがえのないことか。



(…………)



キンッ



 かくして握られた矛は、地を目掛け突き刺された。

 矛にもたれ掛かり崩れるように腰を下ろす。少しだけ亀裂の入り、楔の解けた珠はまだ光り続けていた。志乃はこれを見ないように拾い上げて、イロハのすぐ横を通り歩いて行く。そして動けなくなっていたアザミに渡された。


「それを持ってどこにでも行きなさい! 私の気が変わらないうちに早く!」


 背を向けられそう言い放たれると、アザミは珠を抱き声を上げて泣いた。つられて他の童子たちも泣き始めるが、やがてアザミを支えて去って行く。主を失なった宵闇の町が今後どうなるのか、その想像はつかない……。


 一方で比紗瑚ひさごの二柱は散らばっていた金属を拾い上げ、禁の杭を引き抜き収めた。妹の変わり果てた亡骸、人の目に触れさせるべきでない、触れてはならない物だ。アザミの持っていった珠が妹の本体ではあったが、それまで取り戻そうとは思わなかった。

 こうなっては誰にも元の姿へ戻すことは不可能だ。それに妹には自分たちのいない場所で、何が正しくて何がいけなかったか、悠久に考えて欲しいと思ったからだ。それが妹に課せられた罰であるとも考えたからだ。


「禁を破り、人や妖へ近づきすぎた故に起こった悲劇か……」

「弟を失った日から始まっていたのです。この子たった一人の、孤独な戦いが」


 そんな二柱に志乃が近づいた。


 双方、互いに向き合う両者を莉緒とイロハは入り込む余地が無く、黙っていた。

 互いに全て知っているが故、何も話さない。何もかける言葉が無かった。


「これもお納めください。どこか遠くへ、人の手の触れないところに」

 

 差し出したのは天津神矛アマツカミノホコであった。黒い鏡の脅威は去った、もう自分には必要無いと判断したのだろう。二柱へ渡す瞬間、志乃の頭の中へ声が届く。


──疲れたろう ゆっくりお休み 志乃


(……さよなら)


 矛から手を離した、その時だった。


「志乃……!?」


 志乃の体がどんどん半透明となり消えていく。願いの成就された白い鏡はその役目を終えようとしているのだ。慌ててイロハは志乃を掴もうとするが、虚しくその手は空を振るだけであった。


「……イロハ、ごめんね……ここでお別れなの……。最後までイロハとの約束、守れなかったね……」


「 嘘だろ……何だよ……それ……」

「お別れって、一体どこ行くつもりなんだ!?」


「……私は元々生まれいずる存在ではなかったのよ。黒い鏡を割り、存在する意味まで無くなった私はもうここに居られないの。……消えて無に帰るわ」


「っ!」


 イロハの脳裏に、先程見せられた志乃の過去が思い浮かんだ。


「そだごど関係あんめぇっ! 今まで通り、志乃は志乃でいればいかんべっ! 人里にいられねくても、行くとこなんかどこにでもあるべっ!!」


「そうだ! 無に帰るとか生娘が柔言ってんじゃないよっ! 女が死ぬことなんざ、しっかり婆まで生きて、それから考えろっ!」


 必死に引き留めようとする二人に優しさを感じ、志乃は涙を流した。


「ありがとう……でも駄目なの。私にはかあさんも、子供の時の思い出も、始めから存在しなかった……。あいつを憎み続けた私は壊れてしまったの……。このまま私が日ノ本に居続ければ、今度は私が黒い鏡になってしまうかもしれない。だから消えることを選んでしまった……」


「嫌だっ!! オラはもっと志乃といるっ!!」


「私もイロハと一緒に居たいけど……駄目なの……。短い間だったけど楽しかった……友達でいてくれて嬉しかった……」


 志乃の体は殆ど見えなくなり、声も小さくなっていく。イロハは泣きながら志乃を必死に掴もうとするがどうすることもできない。


「嫌だっ! どこにも行かねぇでくろ! オラを置いて行かねぇでくろぉ!!」

「畜生っ! 何とかならねぇのかよっ!!」



『……確かに、まだ死に急ぐことはあるまい』


 比紗瑚ひさごの男神が瓢箪ひょうたんから水を注ぎ始める。

 すると、消えようとしていた志乃が再び姿を現し始めた!


「御子よ、確かにお主は悲劇の内に生まれ出で、多大な労苦を受けたことだろう。だがどうだろう? 今一度、今度は人の子として生きてみてはくれまいか?」


「私たちの妹がした行いは決して許されぬこと。しかし貴女を慕ってくれる者たちのため、一人の人間としての余生を送って貰いたいのです」


「……え……あ……」


 再び体が戻った志乃は驚き、自分の手や顔を確かめる。信じられずに茫然ぼうぜんとしていたところ、イロハがいの一番に飛びついた。


「えがったぁ!! 志乃が戻って来たっ!」

「え、あ、ちょっと、イロハ!」

「ったく脅かしやがって!」


 抱き付いて喜ぶイロハだが、志乃は一度消えようとしていた手前、決まりが悪くなって何も言えない。その様子を比紗瑚の二柱は顔を見合わせ笑うのであった。


「……さて、我らはもう行かなくてはならない。ケノ国は神や妖の手から離れ、新たな時代が訪れることだろう」


「一体どこへ行くんだい?」


「まずは兄弟皆で造ったこの日ノ本を見て回り、そのあとでこの星を去るでしょう。さようなら、日ノ本の子孫たちよ」


「……さよなら、神様たち」

「……さよなら」


 比紗瑚ら二柱の姿が消えていく。「兄弟皆で」と言ったがそこにあさぎは含まれているのかはわからない。今でも憎しみが消えたわけでは無い。しかしいつかは志乃も彼女を許せる日が来るのであろうか……。


「志乃! もう本当にどこさも行かせねぇかんな!」

「え……で、でも私は……」


 もう自分は星ノ宮の巫女でないし、引き取って貰える身内もいない。そんな志乃を見兼ねてか、莉緒が後ろから肩を掴む。


「志乃、まだ親が欲しいか? なら今日からあたしがあんたのおっかさんだ!」

「えっ……あ、で、でも……」

「返事は?」


「……はい……お母さん……」


 顔すら見た事のなかった星ノ宮の巫女、その先代。唐突な言葉に面食らいながらも志乃は恥ずかし気に返答し、莉緒も笑って頭を撫でるのだった。


「やったぁ! ほんじゃ今日からオラが志乃の姉上だな!」

「なに言ってるの? 私の方が背高いし、どう考えてもイロハは妹じゃない」

「そ、そんな背なんかすぐ追い越すべっ!!」

「わからないわよ。私だってもっと背が伸びるかもしれないわ」


『おぉ────い!』


 冗談を言い合いながらじゃれ合っていると、離れた場所から声がした。

 見るとそれは人でなく、その小さな姿がこちらへと向かい走って来る。


「トラッ!」

「あんた今までどこにいたのよ!?」

「まさか那珂なかからここまで歩いて来たってのかい!?」


「当り前じゃい! 誰も迎えに来んから走って来たんだ!」


 そして当然の様に志乃の背中へ飛び乗った。


「ちょっと! なにすんのよ!」

「話は聞かせて貰った! どこへ行くのか知らんが負ぶってってくれい。一晩中走り通しで疲れたわい」


「そのくらいで情けない。本当にあんたも爺になっちまったのかい?」

「こうしてみるとトラ、赤ん坊みてぇだな!」


『あははははは!』


 東の空が白み始める中を、三人と一匹の猫は歩き始めた。


「やれやれ、置いて行かれずに済んだわい。前にも言ったろ、ワシはお主の」

「わかってるわよ。『家族』でしょ」


 西の空を見ると、大分傾きかけた北極星が目に映るのだった。



 その後の志乃たちの暮らしを知る者はいない。

 那須山で生涯を終えたのか、隠者の里へ移ったのか。

 はたまた宵闇町へ行ったのか……。


 ただ志乃は人としての生涯を過ごし、その天寿を全うしたのだという。


 ケノ国から神と妖怪が姿を消し、丁度300年の月日が流れた。


 神や妖怪の目に、この日ノ本はどう見えるのか。



 星ノ巫女 ─大いなる災い 星乃御子─   完



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星ノ巫女 ~化ノ国物語~ 木林藤二 @karyou

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