うらないめ

naka-motoo

うらないめ

 30歳、女。

 今の時代ではまだまだ若い、っていう見方をされるし、わたし自身も当然若いつもり。ちょうど転職も決めたし、まだまだ人生の幅が広がる、って思ってる。

 一応、彼氏もいる。

 でも、恋愛関係というのとはちょっと違うな。

 週末にお互いの家で寝泊まりしても特に何もない。一緒にゲームしたり、普段飲まないお酒をちょっと飲んだり。朝になったらファミレスかフランチャイズのカフェに行ってモーニング食べて。

 意外なことに仕事の話はほとんどしない。わたしが転職する、って言った時も、


「いいと思うよ」


の一言で、すぐに最近ハマっているマンガの話に移って行った。

 こういう淡泊な関係がおそらく世の中の大勢なんだろう。多分、あらゆる意味で標準偏差の表の凸部分に位置しているはずのわたしがこうなんだから。




 一応首都圏だけれども、ほどよく密集地域からは離れ、ややへんぴかな、と感じない程度の街にわたしは越してきた。転職先の貿易会社もすぐ傍だ。

 土曜の夜、その最寄り駅に隣接したアーケード商店街をぷらぷらと歩いてみた。常用できそうな定食屋を物色する。”日替わり650円” なんていう看板を見つけると本当に、ほっ、と心が安らぐ。

 カフェも探す。

 一軒、個店の純喫茶店を見つけた。転職した業界知識の詰め込み作業はここでだな、と気合も入る。

 あとはスーパー、シニア向けのディスカウント衣料品店(30歳とはいえ、あったか下着は必要!)も見つけた。

 よし、よし、と満足感に浸りながら、緩やかな上り坂となったアーケードの最奥部に進んで行くと、右手に立つオレンジの灯りが目に入った。ややポップな装飾をした一人用のパイプ机とパイプ椅子。”手相・人相”、という文字が灯りのシェードに書かれている。今時占い師そのものが珍しいけれども、それだけならわたしは通り過ぎただろう。わたしはスピードを緩め、立ち止まる準備をした。

 その占い師はものすごい美人だったのだ。そして、若い。

 ちょこっ、と座る彼女の真正面に立ち、声を掛ける前にまじまじと眺める。うなじの辺りで切り落とされた短い髪と、まゆも顔も隠さない前髪で露わになったその顔は、少女、とさえ呼べそうな童顔だった。ただ、みずみずしいその色ツヤが、素肌なのかファウンデーションによるものなのかは判断できなかった。


「いらっしゃいませ。ようこそ」


 先に向こうから声を掛けられ、反射で客用のパイプ椅子に腰を下ろす。営業用なのか、にこっとした顔で彼女は会話を続けた。


「何か気にかかることがありですか?」

「え・・・と、人生全般についてお聞きしたいな、と」

「そうですか・・・なかなか難しいご注文ですね」


 そう言いながら彼女はわたしの顔を直視する。なんだか眼底の、そのまた奥底まで見られているような視線の力だった。


「あなたのお顔の相はあらかた拝見しました。今度は手の平を見させてください」


 わたしが机の上に右手を開くと彼女はちょっと首を動かし、


「両手一度にお願いします」


と言った。手相占いに関する自分なりの常識と異なったので、やや驚いたけれども、言われる通り両手の平を上に向け、机に、とん、と置いた。ちょっとユーモラスな姿勢だ。通行人がちらちらと覗いて行く視線を背後に感じた。彼女は特に眼球も動かさず、レンズも使わず、一どきにわたしの両手を俯瞰しているようだ。視力1.5以上だろうか。


「ありがとうございます」


 促され、わたしは両手を膝の上に戻す。


「では、お客様、まず最初に説明させていただきます」


 厳粛な雰囲気に組んでいた足を解いた。


「まず、これは占いです。いわゆる、”お告げ” ではありません」

「え?」


 わたしの短い疑問形に彼女は微笑で応える。


「占いとは確率論です。先人の積み重ねた人相・手相のデータから、お客様の健康状態、性格、思考傾向といったもののパターンを推定し、その結果どういう行動を取りやすいかをまずは判断します」

「・・・はい」

「その行動傾向の結果、お客様がどのような方向へ進んで行かれるのかを示唆する訳です。いま、”人生全般について” という、スパンも行動範囲も広いご要望がありましたので、わたしの示唆もやや大まかなものになります。確率も下がらざるを得ません。よろしいですか?」

「は、はい」


 高圧的では決してないけれども、肯定せざるを得ないような迫力に押された。


「お客様の人生には2つの経路があります」


 こくっ、とわたしは頷く。


「まず1つは、仕事の比重を8割とした経路です。時間・金銭・労力とも、仕事が生活の8割を占める経路です」


 生き方、ではなく、経路という言い回しがちょっと違和感があるけれども、目で合図して続きを促す。


「お客様は非常に聡明で真面目な性格です。周囲にも誠実な方々が集まりやすい傾向が見られます。誰かに足を引っ張られたりということが起こりにくい人相ですので、仕事面では報われ、成功されるでしょう。会社勤めであれば、順調にキャリアを積み上げられるでしょう」


 漠然としているが、”誠実” を1つのポリシーとするわたしは素直に喜んだ。


「では、もう1つの経路です」


 彼女は椅子の背もたれに掛けていたショルダーバッグから水筒を取り出し、いかがですか、と未使用の紙コップにその中身を注ごうという仕草を見せた。わたしが手で遠慮すると、では失礼します、と自分用に注いだ。ブラックのホットコーヒーのようだ。


「2つ目の経路は、仕事をすら犠牲にする、という経路です」

「?」

「・・・すみません、私の説明がまずいですね」

「ええと、”家庭に入る” ってことですか?」

「少し違いますね。仕事や趣味やご自身の自己実現といったものを一旦脇に置いた生活をする経路です」

「自己犠牲とか献身? ボランティアとかってことですか?」

「いえ。ボランティアも結局は自己実現です。”義務” というのが近いですね」

「義務・・・」

「はい。ちょっと冷酷なたとえ話をします。たとえば、大災害が起こった時、ボランティアの方々が全国から被災地に駆け付け、本当に頭の下がるような支援をしますよね」

「ええ、そうですね」

「でも、1つ疑問が起こります。たとえば身内を被災地に残して都会や海外のビジネスの最前線で活躍しておられる方々。そういった人たちの全員が被災地に駆け付けているでしょうか?」

「・・・そんなこと、できる訳ないですよね」

「そうです。仕事があるから帰れない。当然です。ですけど、この場合、仕事ではなく、地元に帰り、身内のことは身内で始末をつけるのが本当の義務、と考える経路です」

「ちょっと極端ですね」

「そうかもしれません。そして、義務のために、ぱっ、と地元に戻れば職場に穴を開けます。その時、同僚や上司が、”分かった、後は任せろ。行ってこい!” と送り出し、懸命にカバーする。それが、”奉仕” であるという見方です。奉仕と言うのは義務を果たした上で初めて成り立つ非常に厳しいものです。災害に限らず、生家の先祖供養、神棚・仏壇を清めること、老人の介護、すべて本来一個の人間として果たすべき義務です」

「あなたはわたしの境遇が見えてるんですか?」

「いえ、見えるのではなく、データに基づく推測です」


 わたしは一人娘だ。両親はわたしに、社会に貢献しろ、と言って都会での一人暮らしを許してくれている。ただ、祖母は亡くなる晩年、よくわたしにこう語り掛けた。


「みっちゃん、この家の跡取りを残しておくれ。神様も仏様もご先祖様も、次の代にご供養をつないでおくれ。私はそれが気掛かりで死んでも死にきれん」


 転職の最終面接があったので、ばあちゃんの葬式にわたしは出なかった。


「2つ目の経路はつまり、”義務” を直視する経路です」


 目の前のこの女性の言葉すべてがわたしの鳩尾あたりをえぐった。


「あなた、何歳?」


 わたしはややぞんざいに彼女に訊いた。彼女は少し迷っていたが、


「18です」


と答えた。


「なんで?」


 そうするつもりはないけれども、ぞんざいな言葉しか出て来ない。


「なんで占い師なんかやってるの」

「・・・私の家は小さな神社でした。父は神職で、私はそのまま巫女としてお仕えして結婚し、神社の後を継いでいくつもりでした」

「・・・はい」

「ですけど、みなさん人気のある有名な神社にしかお参りされず、寄進もお祓いも減る一方です。申し訳なくも、神社の経営が成り立たなくなったんです。地域の総大社に神事や管理をお願いして、私たち一家は、”解雇” されました」

「解雇・・・」

「クビ、ってことですね」


 意外にも彼女はそのタイミングで笑った。


「父は剣道の師範でもあったので、警備保障会社の三交代勤務に雇って貰えました。母はパートでスーパーのフロア係です。わたしは・・・」

「ええ」

「わたしは高校を中退しました。祖母が易の心得があったことと、高校のOBで占い師の養成学校を経営している方がおられたので、てほどきを受けながらここでやらせていただいてます。昼間はコンビニでバイトしてます」

「昼も夜も働いてるの?」

「はい。それでも家計は厳しいですよ。父母の年齢で一般社会で初めての就職ですから」

「ごめんなさい・・・」


 ついわたしは頭を下げてしまった。彼女はあわてて頭を上げてくださいというジェスチャーをする。わたしは上げた頭で彼女に質問した。


「経路、って言ってたよね」

「はい」

「じゃあ、ゴールは?」


 少しの間があった。

 彼女が口を開く。


「ここからは占いじゃないですよ」

「うん」

「それでも、いいですか?」

「ええ。お願い」

 

 占いでないのならば、それは ”お告げ” なのだろうか。わたしは覚悟を決めた。


「仕事や自己実現に重きを置いた場合、あなたは100歳近くまで生きます」


 何だか拍子抜けした。やや心に余裕ができる。


「”義務” に重きを置くと、あなたの寿命は80歳ほどです」


 なんだ。

 なら、考えるまでもないんじゃないか。。


「ですが、100歳までの最後の20年間、あなたは重篤な病に臥せり、生き地獄となるでしょう」

「え」

「義務に生きれば途中からそれが自己実現そのものとなり、大いなる安心と充実感を抱き、80の天寿を安らかに終えるでしょう」

「・・・」


 彼女は表情無く言った。


「あなたの人生です」

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