第6話 完璧なフィードバック ver1.02(完結)

完璧なフィードバック


 高層ビルが立ち並ぶビジネス街の交差点の監視カメラが見える。今は帰宅ラッシュで無数の人々が信号待ちをしている。

 しかしそのカメラに映る物は違う。きっと信号で待つ無数の人型ロボットが映るだろう。僕もその内の一人だ。

 この信号は長い。この間にニュースでも確認しようか。


(登壇する男)『テレライフ時代!自宅にいながらロボットを操作し、物理的な仕事もプライベートもあなたの分身が代わりに行う時代になって久しいですが、今晩からついに大型アップデートが適用されます!これからは完全なるフィードバックが行えます。あなたが物に触れれば、その感覚はあなたのロボットを通じ、あなたの自宅のあなた自身に伝わります。あなたの五感はあなたのものです。後ろから肩を叩かれれば、振り向くことができます。握手からは誠意が伝わります。愛する人の温もりを感じることができます。』


 「やっと実装するのか。」と一息吐いた。


 遠隔生活システム。それがマンションの僕の一室に設置されている。

 人間の身長より少し大きいくらいの正方形の透明プラスチックのプール。それがこの装置の見た目である。

 ひと昔、いやふた昔のバラエティで芸人が息止めに挑戦したあのプールのような見た目、自宅の一室にあるものとしては異質なものだった。しかしこれが今や当たり前になっている。

 この朝、僕はこのプールに入った。寝間着のままで、足からズブブっと。プールはジェルで満たされていて、僕の身体はそれに包まれていく。そして頭まで。ここから思い切ってジェルを肺に入れる。大丈夫だ。ジェルに含まれたナノマシンが肺に酸素を供給してくれる。大丈夫なのだけれども、この行程は今でも慣れない。液体が肺に溜まる感覚。「水では呼吸できない」という既成概念により、心臓の鼓動は跳ね上がった。肺がジェルで満たされると視界が切り替わる。ソファに置いていた、ロボットの方の視界に。これでロボットとの接続が完了した。

 さっきまで鉄の塊だったロボットだが、接続が完了すると見た目は僕の顔、身体そのものになる。視神経のジャックにより、ロボットの表面を僕の身体の見た目で上書きするのだ。TVの暗い画面に映った僕も、僕の顔だ。そして僕は自分の腕の動作を確認した。右手のひらを確認し、小指から親指まで動くことを確認した。


「しかし、この位置から見る自分の姿というのはいつ見ても不思議なものだな。」


 プールに自分の体が浮いている。ソファーに座っているロボットと同じ格好で浮いているが、試しにソファから立ってみると、自分の本体の足もすっと伸びた。プールの中の自分はふわふわと回転しそうになったが、それを固体液体自在のジェルが止め、頭を上に、足を下へにと正す。このジェルが体の位置を直してくれるので、走る歩くを本物のように行えるのである。

 さて、今晩からはこのジェルが感覚のフィードバックをしてくれる。皮膚に触れている部分のナノマシンが電気信号を発し、ロボットが触れたそのままの感覚を僕の体に伝えてくれるようになったのだ。ロボット同士のふれあいで自分の体温を相手に伝えることもできる。


 信号が青になった。

 過去と変わらないスーツの人々の行進。過去では考えられないロボットの行進だ。

 今夜も僕は、俺の戦場へと鉄の脚を使って歩みを進める。


 都内、地下42.3m。廃棄された地下鉄の駅。男たちの咆哮が聞こえる。非合法のファイトクラブ、これがテレライフ時代の新しい文化だ。


「よう、ファイター。」


 受付の男が話しかけてきた。


「今日の調子はどうだい?」

「ああ、仕事でしっかりとストレスを溜めてきて、よく発散できそうだよ。最悪で、最高だ。」

「そりゃ良かった。今日はお前さんに賭けてんだ。しっかりやってくれよな。」

「言われなくてもやってやるさ。いつも通り、楽勝だ。」

「はは、期待してるぞ。しかしーー」

「どうした?」

「今日はいつもより楽勝かもな。」


廃駅のホームから下を覗くと、格闘する男二人を囲んでヤジを飛ばす群衆がいる。その円から離れたところにポツポツと、横に倒れ、膝を抱えてうめき声をあげる男が数人いた。


「例のアップデートか。」

「そう。興味本位で感覚機能をオンにした奴らがあまりの痛みにギブアップだ。結果は見ての通り。あの光景を見て、感覚機能をオンにして参加するやつはいなくなるだろうな。」

「俺の見立てでは、メリットしかないと思っていたのだが。」

「やめとけ。勝率も感覚機能オフの方が100%。使うのはありえないね。相手がオンだったらラッキーだ。」

「いや、俺は使う。」

「やめてくれ。言っただろう。お前に賭けてんだよ。」

「俺のそういうところも含めて、賭けたんだろ?」

「そりゃそうだが、ん?そうなのか?いや、やめとけって。」

「自分の感覚を大事にしないからそんな風にボケるんだぜ。」

「クッソ。給付金全部賭けたんだぞ。クッソ!終わった!」

「まぁ見とけって。」


 ホームから飛び降り、感覚機能をオンにする。スーツの温もりが体に伝わる。ジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。映像の服を脱ぎ捨てることの意味は、これまでただのルーティンだった。その方が気分が出る。それだけ。

 しかし、今は違う。肌が外気に晒され、興奮した体を冷まさせる。日常の枷を外し、体が軽くなる。

 右足を二回踏みしめ、反動を感じる。

 群衆をかき分け、中心へと向かった。


「次は俺の番だ。」


 野太い歓声が上がる。パーカー姿の男が殴りかかってくる。俺はそれを頬で受けた。


 脳が揺れた。目玉がグルングルンあさっての方向を向いたのがわかった。とてつもない衝撃と痛み、身体はよろけて地面に倒れた。

 呼吸はさらに荒くなり、口の中に生暖かい血が広がる。線路は冷たく、手についた砂利はザラザラする。全身で地面を感じ取れる。失いかけた意識が、急速に戻っていく。

 確かに、生きている実感が湧いたのがわかった。

 俺は立ち上がり、笑った。


「ハハッ。ああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアーーー!!!!ははははっ!」


 俺の奇声にパーカーはたじろいだ様子だったが、すぐにファイティングポーズをとり、ボディフックを繰り出す。

 それを脇腹で受け、肝臓が揺れる。俺は殴り返す。パーカーも殴り返す。俺も殴り返す。パーカーも殴り返す。俺も殴り返す。

 痛みが教えてくれる。これは防御しなくてもいい拳だ。これは絶対に防がなくてはいけない拳だ。

 フィードバックを生かし次の行動、制御を変える。殴る殴られる殴る殴られる殴る殴られる殴る殴られる。

 避ける避ける殴られる。

 避ける殴る避ける殴る殴られる殴る。

 殴る殴る殴られる殴る殴る殴る避ける殴る殴る。


 パーカーの右腕が吹っ飛び、ついに動かなくなった。

 俺は群衆に殴るのを止められる。

 無数の腕が自分の身体を止めるのも、感じることができた。

 メカニックが出てきて、パーカーの機体を確認し、ずるずると円の外に運び出した。

 俺は右腕を上げ、勝利の雄叫びをあげた。


 一週間後、俺は家には帰っていない。ファイトクラブと、オフィスを行き来する日々だ。

 身体の管理はジェルが問題なく行ってくれる。ファイトで損傷した機体はその場でメカニックに任せ、俺は眠る。起きたらそのままロボットでオフィスに向かう。

 帰宅する時間が惜しい。リアルな感覚を得た今、わざわざ家に帰る意味など見出せず、わざわざ自分の身体に意識を戻す必要など感じず、俺はファイトに没頭した。

 システムを維持する最低限の金だけ確保し、あとは戦いの快感に身を任せる。

 連戦連勝。痛みを恐れる者、痛みを効果的に使えない者になど、負ける気がしない。


 人との接触が失われたあのパンデミック以降から、俺はやっと現実を取り戻したのだ。

 俺の左腕が吹っ飛ぶ、右膝が逆に曲がった。その痛みは本物で、修理の金は決して安いものではなかったが、翌朝には元どおりだった。

 なんて便利な身体なのだろう。怪我をしても、再び感覚を感じることができるのだ。一生、闘うことができるのだ。


「もうお前に賭けても儲からないぜ。オッズが低すぎるんだよ。」

「じゃあ賭けるのをやめるか?」

「いや、確実に勝てるのに賭けないバカはいないだろ。」

「じゃ、今日もよろしく。」


 闘技場へ向かおうとしたその時、頭に衝撃を感じた。

 ぐるぐると回る視界で捉えたのは一週間前のあのパーカーだ。


「よくも!よくも!」


 別方向から、拳と蹴りを入れられた。つまり、複数人だ。


「一人じゃ勝てないからって、徒党を組んで不意打ちか。」

「黙れ。再起不能にしてやるよ。」


 この時代に再起不能とは、機体を壊すよりも心を壊した方が早いのではないかな。

 殴られ続けているが、普段の思考をしっかりと行えた。すっかりと、痛みに適応した。

 そう、痛みに慣れたというよりも適応したというのが正しい。はっきりと痛みを感じ、痛みに比例して思考が加速する感覚だ。

 俺は両手で自分の顔を叩き、気合を入れた。


 水槽の中で溺れる俺、いや、ジェルが酸素を供給してくれるんだった。

 屈折した俺の部屋が眼に映る。

 俺は水槽から上がろうと、水をかく。

 しかし一向に上に上がらない。

 もがけど、もがけど、視界は動かない。

 そこで気づいた。俺の手がないのだ。

 頭を動かし、自分の体を確認しようとする。

 どこにも自分の身体は映らない。傾けた頭は、見えない力によってまっすぐに戻った。

 僕はパニックになり、全身を動かそうとした。

 でも何も起こらない。

 何も、ないのだ。

 ここには何もない。

 何もないはずなのに心臓の鼓動は速くなり、肺は伸縮と膨張をやたらめったらに繰り返した。

 ここには何もないはずなのに。

 何もないはずなのに、頭上から声が聞こえた。


「おい!」


 メカニックが僕の頬を叩いた。

 視界が戻る。


「神経の機能が戻ったみたいだな。」

「俺は勝ったぞ。」

「ああ、見てたさ。だがやり過ぎたな。」


 そして俺は自分の腕の動作を確認した。右手のひらを確認し、小指から親指まで動くことを確認した。

 俺の身体は存在することがわかった。しかし視界ジャックに「ブレ」が生じ、映像の生身の手の中に、機械の手が見え隠れする。


「修理は終わった。だが、完璧ではない。様子を見たいから仕事は休んで家に帰れ。」

「必要ない。ここで寝る。」

「もう十分寝たんだぜ?9時間だ。勘弁してくれよ。あの連中みたいなやつがまた来ないかヒヤヒヤしたぜ。このクラブより外の方が安全だ。わかるだろ?」


 非合法のクラブよりも社会の監視が届く外の方が安全、か。


「ふん、金は?」

「500万だ。今回はちっとばかし骨が折れたぜ。」


 俺は立ち上がり家路に着いた。よろよろと歩く。一度機能が吹っ飛んだ後遺症か、しこたま酒を飲んだ翌朝の気分、という感じだ。

 始発電車に乗り、揺れる頭を揺れる電車に身をまかせる。

 座席で寝る者、談笑する若者。

 この中で本当に生きていると言えるのは俺だけだ。

 痛みをオフにして、自分に都合のいい感覚だけを享受するというのは生きていると言えるのか。


 一週間ぶりのドアノブに手をかける。

 待てよ。何か忘れている気がする。意識がないとき、俺は何かを見ていた。何もないことを見ていた?

 ドアがゆっくりと開く。

 何もないはずなのに心臓の鼓動は速くなり、肺は伸縮と膨張をやたらめったらに繰り返した。

 何もないはずなのに汗が流れるのを感じる。

 何もないはずなのに足が震えるのを感じる。

 ジェルのプールの角が見える。足を引きずり部屋へと入る。

 そこにはあった。

 バラバラになった僕の体が。

 頭だけがまっすぐ垂直方向を維持し、手足と胴体は好き勝手に水槽を漂っている。


 僕は目を閉じ、呼吸を整える。

 大丈夫だ。ここには何もない。変わらない。

 今、僕は正しく生きている。痛みを感じて生きているのだ。

 身体はここにある。五感もここにある。僕はどこにでも行ける。今までと何も変わらないのだ。


 俺は変わらず、生きている。

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宇宙のテラリウム 髙 仁一(こう じんいち) @jintaka1989

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