ツチノコ、服を脱いであなたはヒトになるのです

五条ダン

ツチノコがツチノコになった日

「用件は想像がついているはずなのですよ、ツチノコ」


 さばくちほーの外れにある、辺鄙な地下遺跡。わざわざ彼女らが足ならぬ羽を運んでやってきたことに、ツチノコは心底驚いていた。


 アフリカオオコノハズクの博士と、ワシミミズクの助手。二人はツチノコが何も答えずにいるのを見て取ると、互いに顔を見合わせ肩をすくめた。


「我々はあなたと情報を共有したいのです。ヒト、について」


「ヒト、だと」


 ツチノコは訝しむ。たしかにツチノコは、ヒトの痕跡を追って遺跡探索をしている。調査に協力してくれるなら願ったり叶ったりだが、持ち前の人見知りセンサーがツチノコを警戒させる。


「我々は、ラッキービーストと会話をする方法を探り当てたのです。もっとも、まだ仮説段階ですが」


「つい先日、ギンギツネから驚くべき情報を手に入れたのです。説明するよりも、見せた方が早いですね」


 博士と助手が交互に話す。

 ほう、とツチノコは声を漏らした。ラッキービーストはヒトとしか話さない。その原則を打ち破る手法が見つかったとすれば、たしかに大発見だ。


「助手」


「はい、博士」


 博士から指示を受けると、助手はツチノコの目の前で、おもむろに自分の毛皮へと手を挿し入れた。手をゆっくり滑らせると、パチン、と弾ける音がする。


 首元からおなかへと。手が完全に下がりきったときには、上半身を覆っていた毛皮がぺろんと捲れた状態だ。助手は両手を使って毛皮を完全にはがしてしまうと、地面に放り投げる。


 助手のつるつるとした皮膚が、ツチノコの目にもはっきりと確認できた。


「このように、我々が認識をすれば、毛皮が取れる仕掛けとなっているのです。ヒトはこれをと呼んでいたそうですが」


「あまり驚かないのですね。もしかして知っていたのですか」


 博士と助手が、やや不満げな顔をする。期待したリアクションが得られなくてがっかり、といった感じだ。脱ぎ損とばかりに、助手は慣れない手つきでそそくさと毛皮を付けなおしている。


 その様子を見てツチノコもようやく警戒心を解いた。


「まあな。ヘビにはもともと脱皮する習性があるから、な」


 納得したように頷いて、こほん、と博士が咳払いをする。


「ツチノコ、服を脱いであなたはヒトになるのです」


「はあっ!? どうしてそうなる」


 唐突な提案に、ツチノコは素っ頓狂な声をあげてしまう。


「先ほども言ったのですよ。我々は、ラッキービーストと会話する方法を探り当てた。ツチノコはフードと服を外せば、ヒトと見分けがつかなくなる」


「なのです。我々、鳥のフレンズには頭の羽が、他のフレンズには角や耳があるため、ラッキービーストには動物のフレンズとして認識されてしまう。ですが、あなただけは違います」


「本によれば、ツチノコは未確認生物なのです。存在が確定されていない状態。つまりツチノコは、別の存在にもなれるはずなのですよ」


「いや、そんな馬鹿な話があるわけ」


 ツチノコは両手でフードを押さえて、ぶんぶんと頭を横に振る。かかないはずの冷や汗が、いまや全身を伝うのを感じる。一度意識してしまえば、皮膚と服とがこすれ合う感覚が、より鮮明になってしまう。それは尻尾さえ例外ではなく、お尻の部分にどこかむずむずとした違和感が生じる。


「ツチノコ、よく考えてみるのです。フレンズは、動物がヒト化したもの。しかし、フレンズとヒトとの間に、どれほどの差異があるのか」


「我々は今では道具を使う。料理を作る。知性や言語能力において、もはやヒトとの差異は存在し得ないのです。コツメカワウソのような例外は別として」


「さあ、服を脱ぐのです。今日はこのために、ラッキービーストを捕獲してきたのです」


 助手が、溶岩の陰に隠していたラッキービーストを持ってくる。ラッキービーストは無言で、ツチノコを見上げている。


 決断を迫られ、ツチノコはしばし逡巡する。たしかに、服を脱いでしまえばヒトと同じになれるかもしれない。ヒトという存在に変われるかもしれない。


 だがそれは、自分が今まで信じ込んできた《ツチノコ》というアイデンティティを放棄することを意味する。そもそもツチノコが実在しない動物であったとするならば、一体自分は何者だというのか。


 何のフレンズか分からずに思い悩んでいたの気持ちが、今のツチノコには身に沁みて実感できた。


 不安と恐怖に、心が押しつぶされそうだった。


「わかった。やってみよう」


 ツチノコは小さく消え入りそうな声で言った。


 ツチノコはまず、フードを頭から外す。ひんやりとした冷気が頬を撫で、思考がすっきりと解放された気分になった。と同時に、ピット器官による感知能力と、ヘビ特有の嗅覚が喪失される。


 服の引っかかる部分に指をかけ、すっと下ろしてみる。服はあっけなく開くことができた。尻尾を引っ張ってみると、それは痛みもなく外れる。


 下半身を覆っていた服も脱ぎ捨て、ツチノコはヒトと同じ姿になった。


 博士と助手が、真剣な表情でツチノコを見守っている。いつもは食べ物のことしか考えていないと思われる彼女らも《博士と助手》の名を持つにふさわしい研究者であるのだ。


 三者が固唾をのんで反応を待つなか、ラッキービーストがついに動き出す。


 そして――。


『はじめまして、ボクはラッキービーストだよ。よろしくね。キミの名前を教えて』


 しゃべった。


「やったのです。ラッキービーストの認証をくぐり抜けたのです」


 博士と助手が手を取り合って飛び跳ねている。


『キミの名前を――』


 名前を聞かれて、ツチノコは考える。自分が何者であるのか。自分は何者でありたいのかを。


「オレの名前は、そうだな」


 ツチノコは目をつむって、長い間考え込み、やがてさっぱりとした表情で、ニィと八重歯を覗かせた。


「オレは、ツチノコさ」


「何を言っているのですか。あなたは……」


 ツチノコの瞳に強い意志を感じ取ったのか、博士は言いかけて、口をつぐむ。


「正直な、自分が何のフレンズなのかは知らん。ツチノコが本当に実在していたのかどうかも知らん。それでもオレは、ツチノコなんだよ」


 ツチノコは膝を折り、ラッキービーストと目線を合わせる。


「だってヒトが、オレのことをツチノコって呼んでくれたんだ。オレはこの名前が、気に入っている」


 ラッキービーストはやや間を置いて、ぴょこんと後ろへジャンプした。


『分かった。キミは、ツチノコ、なんだね』


 そしてもう一度、後ろにジャンプする。


『ツチ、ノコ……、検索中、検索中。アワワワ。深刻なエラーが発生しました。深刻なエラーが発生しました。システムを再起動します』


 ラッキービーストはぐるぐるとその場で回転し、やがて動かなくなってしまった。


「ツチノコ。あなたはせっかくのチャンスを逃してしまったのです。ですが」


「ですが、これで良かったのでは、と我々は考えています。ツチノコはやっぱり、ツチノコであるから良いのです」


「ああ、そうだな」


 それから服を着て、三人は遺跡の外へ出た。ラッキービーストはすぐに再起動されて、何事もなかったかのように自分の持ち場へと戻っていく。


 青空のもと、ツチノコは憑き物が落ちたようにすっきりとした顔をしていた。


 けものはいてものけものはいないこの世界で、ツチノコは今日もツチノコとして生きていく。



(終わり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ツチノコ、服を脱いであなたはヒトになるのです 五条ダン @tokimaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ