異世界転生ドラフト会議
高坂はしやん
第1話 普通じゃないボーイミーツガール
「ねえねえ、悪い話じゃないからさ、死なない?」
晴天と言えば聞こえはいいけれど、過ぎたるは猶及ばざるが如しなんて言葉がある通り、真夏の太陽はやり過ぎだ。昼食を摂ろうとコンビニに向かっているが、この陽射しに
だから、恨めしく手を翳しながら太陽を睨み、そうめんか冷やし中華しか食べられないな、なんて事を考えていた。
そんな俺の目の前に現れたのは、太陽光の熱をたっぷりと吸収していそうな黒いスーツ姿。スカートから伸びる足は白くて長く、黒いハイヒールも相俟って随分と長身だった。少しだけ開けた胸元、白のワイシャツから乳房が溢れるものだから、スーツ姿とはいえ堅気の空気がない。おまけに、腰まで伸びた髪の毛の色が真っ赤なもんだから、この邂逅は人間関係の交通事故と形容していい。
なんたって、その一言目だ。挨拶という文化をこの女は知らないのだろう。開口一番「死なない?」と発する場面は、古今東西創作の世界にしか存在しない。
なんだ、俺が知らないだけでそういう挨拶が流行っているのか? それとも人気のギャグ? ああ、そういえば、外国人っぽい顔つきをしているから「SHINANAI?」なのかも。どこの言語だろう。世界はまだまだ未知だ。
「ねえ! ポカーンと馬鹿みたいに口を開けてないで、なんとか言ったらどうなの? それとも、突然美女に話しかけられて舞い上がってしまった?」
美女、ああ確かに美形だ。すっと通った鼻筋に、二重ぱっちりの両目。これは確かに美女を名乗っていい。いいが——
「自分で美女とか可愛いとか口にする女は、さばさばしている風にみせかけて、実際は常に相対的な価値観で生きているから自分が劣った時に面倒くさい。絶対的に自分の容姿を妄信している奴は、態々口には出さないからな。故に、俺はあんたとは関わらん」
と、すっと喉から言葉が出た。
「な!?」
暑さの所為もあったと思う。それと相俟ってこの美女の物言いが鼻についたものだから、鋭利な言葉がなんの躊躇いもなく飛び出したのだ。
自信に溢れた表情でもってこの口振り。その優れた容姿から分かる様に、光の当たるタイプの人間。俺の苦手なタイプだ。世界の中心が自分だと本気で思っているタイプ。
「なによこのボサボサ頭のモブ顔メガネ!! あんたなんかにそんな口聞かれる謂れはない!」
「ほら、俺の事見下してる。心の中で俺の事を無意識に格下扱いしてるから、思わぬ反抗を受けた時に必要以上に怒るんだろ? 図星じゃないか」
俺は溜息交じりに言う。
「そんな人とは対話する気にならん。俺は昼飯を買いに行くんだ、そこをどいてくれ」
唇を噛みしめながら俺を睨む美女を指差して言ってのける。詰まる所、俺の現在の行動原理は、美女に対する怒りよりは空腹だ。俺は飯が食いたい。
むっと口を真一文字に結んだ美女の横を抜け、俺はコンビニに向かう。しかし、その足はすれ違い様の一言で止まる。
「待ちなさい! 江川真澄!」
名乗った覚えがないのだから、足が止まるのは当然だ。声に振り向くと、まさに息を巻くといった様相で、美女が仁王立ちしている。
「貴方、お金ないでしょ?」
「……はあ?」
「お金ないよね? ない筈! ない!」
確かに俺には金がない。今年大学に入学し、詰め込まれた授業は先輩や友人という存在が居ない事から、出席が必須となっている為、バイトに割ける時間は多くない。
元々惰性による進学だったので、学費を出して貰う代わりに仕送りはなし。だから、俺に金がないのは当然の帰結だった。
名前に加え、財政状況を見透かされたのは驚愕ではあるが、このみすぼらしい俺の姿を見れば、ある程度は予想出来る筈。しかし、名前はそうはいかない。
「いや、お金の前に、なんで名前を——」
「昼食、奢ってあげる。お腹空いてるんでしょ?」
その一言で、疑念の半分はどうでもよくなった。今の俺にあるのは、名前を知られている恐怖とか不快感よりも、食費が浮く、という打算だけだ。
「奢ってあげるから、私の話を聞きなさい。死なない? ってのは、決して悪い話じゃないから」
相変わらず、美女の話は聞く気の起きない単語を内包しているけれど、それよりも今は欲望を優先せよ、と言わんばかりに腹が鳴る。
「……アイス」
「え?」
しかし、言いなりになるのも癪なので、少しだけ反抗。
「アイスも奢ってくれ。今日は暑い」
■■■■■■
「え、これ美味しい!! 美味しい!!! え、美味しい!」
「一回言えば分かるよ。壊れた鳩時計か」
結局、俺は食欲に屈した。そして、美女……美女と呼ぶのも嫌になってきたが、呼び名がない以上仕方がない。美女の話を聞くどころか、家に上げてしまう付け込まれ様。タダより安いものはない、という言葉が、俺の脳内を駆け巡る。
現在、昼食に奢って貰った冷やし中華を食べ終え、俺と美女は柑橘系のシャーベットを頬張っている。夏場のアイスはシャーベットに限る。エアコンにより適度に冷やされた自宅。異様なのは、目の前の美女。
「えーこれ初めて食べたけど美味しいー! 最高、最高ね」
「アイスはいいから。で、話ってなに?」
「あなたが食べ終わるのを待っていてあげたってのに、その態度はなに? 今度は私がアイスを食べ終わるのを待ちなさいよ。それくらいの気遣い出来ないの? 出来なそうよね、こんな刑務所みたいな部屋に暮らしているのだもの。モテなさそう」
確かに、俺の部屋は無機質だ。出しっ放しの布団とテーブル。テーブルの上にあるのはノートPCだけで、大学の教科書達は床に積み上げられている。必要最低限の物しかなく、お洒落とか雰囲気作りの為に作られた調度品の一切は存在していなかった。
「台所にいくつか調理道具があったところを見ると、一人暮らしを始めた当初は食費節約って事で料理のモチベーションがあったけれど、早々に洗い物の壁にぶつかって出来合いを買った方がいい事に気付いたパターンね」
「おい、俺の四月中旬を回想するな。現場検証のレベルが高すぎるだろ」
「あなたみたいに薄っぺらな人間の行動を考察するなんて造作もない。私のレベルが高いのではなく、あなたのレベルが低いのよ」
「じゃあその俺と売り言葉に買い言葉を交わしているあんたもレベルが低いんだな。争いは同じレベル同士でしか発生しないらしいぞ」
「ああ!?」
美女が木のスプーンを噛み砕きながら低く唸った。
「本当一言余計、腹の立つ人」
「弁が立つと言ってくれ」
「雄弁よりは軽口と言いたいけれど」
「それより、早くその話とやらを聞かせてくれよ」
「今食べ終わるから。本当せっかちね、モテないぞ」
言いながら、残りのアイスを美女が搔き込む。
「あー美味しかった。このアイス、帰りにも買って行こう。さて、まずはそうね、自己紹介からしましょうか」
「自己紹介のタイミングとしては蠅が止まりそうだな」
「黙りなさい、人の名前も黙って聞けないの? オホン……文句はこの辺にして。私は、リラリ、リラリ神」
「リラリ・シン?」
「あーあー、そのイントネーションだと、あなたシンを名前の一部と勘違いしている。この国の言葉で言うなら、神と書いてシン。奉られている多くのそれと同種と思って」
「……は、はあ……」
ああ、やってしまった。
夏の熱気に中てられて、見ず知らずの人間を家に上げるんじゃなかった。名前を知られているのにも合点がいく。どこからか名簿的なサムシングが流出しているんだ。個人情報なんてこのご時世どこからでも漏れる。それで、モテなさそうで金のなさそうな薄幸たる容姿に目を付けられて、強引な美女を宛がわられた訳だ。
宗教だ、宗教勧誘だこれ。壺か? 絵か? 新聞か? 俺はこれからなにを買わされるんだ? 家に入られている以上、下手に対応すると、悲鳴と共に警察を呼ばれそうだ。なんでもない夏の昼間が一点、性犯罪者に仕立て上げられる準備万端だ。
「あ、信じてないなその顔。宗教勧誘かなにかだと思ってるでしょ? 壺も絵も売らないぞ私は!」
「図星を指すなよ。エスパーか」
「ふふ」
俺の冗談めいたツッコミに、リラリと名乗った女は笑いながら言う。
「遠からず」
余計に胡散臭かった。
「まああれだよね、神様ですって自己紹介して、はいそうですか、とはいかないもんね」
「そこまで信仰心は持ち合わせていないなあ。今は只管あんたを家から追い出す手立てを考えている」
「素直なんだか馬鹿なんだか。面倒だから一瞬で証明してあげる。これ、空だよね?」
言いながら、リラリは中身のなくなったアイスの容器を俺に見せる。
「物質生成も時間回帰も得意じゃないんだけれど、これくらいならなんとかなる」
言いながら、容器に手を翳す。
「……は?」
一瞬だった。光る訳でも、音がする訳でもない。ただ、リラリが平らげた檸檬味のシャーベットアイスは、その全てを胃に収められた筈なのに、元に戻っていた。
まるで、買って来たばかりの様に、冷気を纏いながら。
「は? え、はあ? なに、マジシャン?」
「はっはっはっ、驚け慄け跪け! これが私の力だあ!」
「嘘だろ……」
茫然と現れた、いや、元に戻ったシャーベットを見る。
「ほれ! どうだ!」
リラリは、そんな俺が開口しているのを良い事に、スプーンでシャーベットを掬って口に押し込んで来た。スプーンは噛み砕いた筈なのに、当然の様に元に戻っている。突然の出来事に、スプーンを介した間接キスじゃんか、と回想出来たのは大分後だ。
「むぐん!」
瞬間、檸檬の酸味とシャーベットの冷感が口の中に広がる。紛う事のない、本物。
「どう? 少しは信じる気になった? 能動的に行った行為に疑問が残るのなら、あなたの指示に従ってみようか? なんでも出来る訳じゃないけれど、殆ど出来ると思うから、言ってみて」
信じる信じないの前に、状況に対する整理が追いついていない。そんなものだから、リラリの言葉を受けて馬鹿正直に答えてしまった。
「エアコンを——」
最新型のものにしてくれ。俺の背後の壁、窓際に付けられたエアコンを振り向きながら指差して言おうとした。
俺は口籠り、眼を見開いてしまう。
壁に取り付けられたエアコンは、型落ちした性能の悪いものではなく、昨日の帰り道、何気なく立ち寄った量販店で見た最新モデルに変わっていた。
「な!?」
アホ面を引っ提げて、再度リラリに向き直る。リラリは、ドヤが五乗された表情で、背骨が折れそうな程踏ん反り返っている。
「読心は一瞬しか使えないけれど、これはもう信じざるを得ないでしょ? どう? どう? 話を聞く気になった!?」
納得よりはただ状況に言葉を失っていただけなのだけれど、絶句を肯定の沈黙を取ったのかリラリが続ける。
「まあここまでされちゃあ信じるしかないよね。ふふ、でも、本当に簡単な話。私がしたいのは難しい事じゃない。あなたの事指名するから、その挨拶に来たの。話はそれだけ」
「はあ?」
リラリの言葉、疑問は加速するばかり。
「ちょっと意味が分からないんだけど……」
「えー? 言葉の意味そのままだよ。なんで分からないの?」
未だに、状況は飲み込めない。
「だから、私リラリ神は、二ヶ月後の異世界転生ドラフト会議で、あなた……江川真澄を一位指名するの」
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