100万回生きる

抹茶うさぎ

100万回生きたって言ったら君は笑うかい?

「もし、私が100万回生きてたって言ったら君は笑うかい?」

「は?」

突然真顔でそう言いだした彼女に僕はアホみたいな声を上げてしまった。普段のこいつからそんな言葉が出るなんてありえないことだ。むしろ僕が言ってそう。

「だから、もし私が100万回…」

「いや、うん、わかるんだけどさ」

「笑う?」

「いや、笑うも何も…どうしたんだよ急に」

そういう非現実的なことは嫌うタイプだと思っていたんだけど。いつもそういう発言をする僕に味気なくてちっとも面白くない現実と論理的で科学的な話を展開する人だと思っていたんだけど。

「いや…たまには君みたいなことを言ってみようと思って。好きでしょ?こういう話」

「まあ、好きだけど。どうしたんだよ急に」

「別に〜」

そう言って彼女は猫のようにするりと会話を切り上げて2人の間においていた紙パックのフルーツオレを一口すすった(僕にはあれの美味しさがよくわからない)。なんだったんだ、今の茶番のような瞬間は。首を傾げながら僕も自分のオレンジジュースを一口すすった。


僕と彼女はいわゆる腐れ縁という奴だ。小学校から今までなんだかんだでクラスも行動も一緒になっている。これを一般的には幼馴染というらしいけど、僕たちの関係には腐れ縁とという名の方がしっくりくる。映画や漫画のような恋愛関係に発展したりお互いの家によく晩御飯を食べにいったり、異性だけど特別仲が良いという友人関係でもない。どちらかといえば性格は正反対だし考えていることも正反対。長い付き合いだけど恋愛関係に発展するどころか友人関係ですらないと思う。事実、僕は彼女と遊んだことも勉強会をしたこともないし、もちろん一緒に通学をしたこともない。携帯の連絡先だって知らない。

ただ一緒にいるだけ。それだけだ。他に友人がいないわけでも無いのに気付けばなぜか2人でいる。そんな不思議な関係性だ。

「そういえばさ」

「うん?」

「2組の田中っていただろ?」

「いたかもね」

興味なさげに彼女が呟く。こいつに他人に対する興味がないのは知っていたのでその反応は予想済みだ。

「消えたらしいぞ」

「…それは物理的に、失踪したってこと?」

「いや、わかんないけど」

僕の曖昧な答えに彼女は眉間にしわを寄せた。

「なんで」

その問いはどちらに向けたものなのだろうか。なぜか失踪したかなのか、なぜ僕がその理由を知らないかなのか。一瞬考えたのち僕は質問の答えに後者を選択した。

「噂だからだよ。…それに」

「それに?」

「なんか、一部の人間はあいつのことを忘れているみたいだぜ、何人も。まるで元から田中っていう人間がいなかったみたいに」

本当に不思議な話だ。人が消えているのに、その人が周りの奴が覚えていないことがあるなんて。まるでおとぎ話だ。じゃなければ映画化アニメ。

彼女は深く息をついた。その行動から彼女が呆れているのがわかる。またぼくは論理的かつ科学的なちっとも面白くないお話を聞かされるのか、と思ったらこんな話しなきゃよかったなんていう後悔が湧いてくる。

「そんなこと、あるわけないじゃない」

「いや、あくまで噂だし」

それが嘘だか真実だかもわからない。

「なんで仮に昨日までいたかもしれない人の記憶が消えるわけ?それも1人ならまだしも何人もなんて。普通に考えてありえない。そんなの信じるわけ?そもそも人間の脳っていうのは普通…」

「あー、はいはいはいはい、わかったから。僕も信じてないよ流石に」

そんなの超常現象みたいな話を信じるほど僕も子供ではない。説明を始めようとする彼女をなだめて僕は彼女のフルーツオレの隣に置いたオレンジジュースを一口飲んだ。

「まあ、そんなことあったら恐ろしいよな」

失踪したにしろ誘拐されたにしろ、誰かからの記憶から消えてしまうというのは怖い。その人と築いてきた大切な思い出まで消えてしまうとしたら、その人が大切な分だけ辛いいんだろうな。残念ながら僕には消えた痛みを感じるような相手はいないんだけど、きっと辛い。

「そうかな?」

遠くを眺めるように目を細めて彼女はいう。夕日に照らされて彼女のまつげが意外に長いことを知った。いつものように彼女は僕と反対の意見を言うのだろう。彼女の瞳には、いつもぼくとは違う景色が見えている。

「記憶から消えるってことはその人と共有した思い出も感情も綺麗さっぱり消えると思うの?それなら、そっちの方が都合がいいじゃない」

「なんで都合がいいわけ?消えていいものなんてないよ、きっと」

何を失ってしまったのかもわからない消失感は、苛立ちすら覚えるほど疎まれる。あれ?でも、忘れたことすら忘れてしまうなら、消失感すら感じられないのか?それは余計に恐ろしいな。消失や絶望の悲しみに耐えるよりも、忘れたことすら忘れてしまう忘却の方が恐ろしい。

「そうかもしれないけど、でもやっぱり、忘れてしまえば消えた悲しみもわからないんだからそっちの方が楽じゃない」

それはなんか違うと思う、と出かけた言葉は喉に引っかかって結局彼女に伝わらなかった。代わりに遠くから17時を告げる鐘喉に音が聞こえてきた。

「じゃ、そろそろ帰るよ」

「うん、バイバイ」

僕は立ち上がると足元に置いていた荷物をまとめ残りのオレンジジュースを飲み干してゴミ箱に捨てた。

「また明日」

帰り支度をする彼女を待たずに僕は川辺を離れた。

「うん、またね」

一緒に途中まで帰るほど仲良くない。彼女の返答が耳にかすかに届いたのは彼女から10メートルほど離れた後だった。


そして、その日を境に彼女は消えた。


朝、学校に登校して僕の隣の席、彼女の席だったはずの机が丸々消えていて窓側から数えて2列目の一番後ろの席には不自然な空間ができていた。なんとなく周りの反応を見ていると元からこの席は存在していなかったと言うことになっているらしく、件の田中のように存在どころかその人に関する記憶も消えてしまっているようだった。

不思議なくらい、何も感じなかった。

ああ、あいつは消えたんだ。と言う事実がストンと胸に落ちてすぐに納得してしまった。悲しくなるほどに何も感じなかった。悲しみも、絶望も、本当に何も感じなかった。映画や漫画のように生きる意味を失ってしまうなんてもちろんなかった。それほどまでに僕は彼女に無関心だった。彼女が何をしようが別にどうでもよかった。晩御飯の内容と同じくらいどうでもよかった。考えてみれば彼女の名前を呼んだことすらなかった。かれこれ10年以上の付き合いになるのに名前を呼びあったこともなければ年賀状を書いたことすらない。

ぽっかり空いた右隣。不自然に生まれた空間にはいつも陽だまりができている。子守唄のような教師の声を聞き流していつも僕は1日中そこをボーッと眺めている。その場所だけが彼女が確かにここにいた痕跡と記憶を残していた。


「おい、次移動だろ?授業中寝るのはいいけど流石に欠席するのはまずいと思うぞ」

僕の一つ前の席に座る名前も忘れたやつに突かれて「あぁ、そうか」と思った。のそのそと席を立つ。次の授業で使う教材を抱えて教室を出るとドンとすごい勢いで男子生徒と衝突して僕の教材がバラバラと床に落ちた。

「あ、ワリィ」

ぶつかった相手がすぐそれに気づいて屈みこんで落ちたものを全て拾い上げる。相手に全て拾わすのは悪いと思って慌てて僕も屈みこんだけどもうすでに相手の男子は全て拾い上げていた。

「はい、どーぞ」

「ありがと」

「いえいえ」

相手から教科書を受け取る際に初めて相手の顔を見た。

目を疑った。

「じゃ」

「…」

…田中?

お前消えたんじゃねえのかよ。


消えたはずの田中がなぜか消えていなかった。いや、田中が消えたということ自体がガセだったのかもしれないし、夢だったのかもしれない。あれ、そしたら、おかしい。もし田中が消えたことが夢の中での出来事ならあいつとの会話は夢だったのか?その時のあいつの存在は?あれ?どこからどこまでが夢だ?僕はいつから夢を見ていいたことになるんだ?あいつの存在は?夢だったのか?僕が現実だと思っていたものは夢なのか?


近所の図書館残して絵本コーナーで某100万回生きれた猫の絵本を借りて見た。あの日、夢かもしれない現実で彼女の言葉が妙に脳に引っかかっていた。彼女は何を思ってあんなことを言ったのだろうか。

絵本を閉じてから深いため息を吐く。

なんで、この猫は100万回生きたのだろうか。

輪廻転生という概念に則るならこの猫の魂や僕の魂を含めた全ての生き物の魂は何回も何十回も生き返っているということになるのだから100万回生きるというのもわからなくない。じゃあなぜ猫は今までの前世やつに前々世などの記憶も持ち合わせているのか。猫だけが特別なのだろうか。いやそんなことあるのだろうか。まるで、生きていることが夢のようだ。夢なら、何回生き返っても記憶ずっと持ってそうだし。


久しぶりに、夢を見た。いや、いつも見ているんだけど、こんなにも鮮明な夢は久しぶりだった。

その夢には顔の見えない誰かがいて、その人はこう言った。

「君も、また皆のように気付いたんだね」

なにに?

「この世界についてさ」

世界について?そんなの、知った覚えがない。

「もう知っているよ。いや、もうほとんど気付きかけている、の方が正しいかな」

だから、なんだよ。世界についてって。

「もう気付いているだろう?君はもう考えていたじゃないか。生きている事こそが夢みたいだ、と」

なんなんだよ、それ。まるでそれが…!

「さぁ、もう時間だ。君が次まばたきをしたらもう僕はいない。さようなら、また会うことは…ないといいね」

待って。まだ僕は何もわかってない。

「わかってなくないよ、心の中ではもうわかっているはずだ。だからそんなに頑張って目を見開かないで」

ダメだ、目が乾く。欲に負けて、まばたきをした。


また、夢を見た。

夢の中にはあいつがいた。あいつはあの時みたいに何を考えているのかわからない表情で僕を待っていた。

「遅かったね」

「なにが?」

「あんたが。ここにくるの遅かったなって」

フン、と鼻で笑われた。その様子を見て

「…ここは?」

「わかっちゃった人がくるとこ」

「ふーん…じゃあ、お前はわかっちゃったわけだ」

「うん、1足早くね」

あれ?と思う。あいつの体がすけて見えた。気のせいだろうか。

「僕らはどうなるの?」

「さぁ?また生きるんじゃない?」

「死んだのかな?」

「さぁ?どう思う?」

また、フンと鼻で笑われる。だんだんあいつの後ろが眩しかった。

「もしまた生きるなら、また会えるのか?」

「どうだろうね」

だんだんあいつの姿が見えなくなっていく。眩しすぎて目を細めた。

「なぁ、どう思う?」

「何が?」

「世界について」

「いーんじゃない?そんな世界があっても」

「大雑把だし、お前らしくない」

「いーじゃん、たまには」

なんじゃそりゃ。

「じゃーね」

「うん、またね」

あいつのまたね、を聞いた頃にはあいつは見えなくなっていた。


朝、目覚めた時になんだか久しぶりに目覚めたようなそんな感覚を覚えた。久しぶりにみる母さんの顔、久しぶりに腕を通したブレザー、久しぶりに浴びた朝日、久しぶりに乗った満員電車。何もかもが久しぶりな気がして違和感しかなかった。母さんの顔もブレザーも朝日も満員電車も、僕にはとても別段珍しいものでもなかったはずなのに。

学校に登校しても久しぶりという感じは抜けなくて僕は机席に座ってただぼんやりと教室の前にかけられた秒針がに動くのを目で追っていた。

「久しぶり」

まるで不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のようにニヤリと意味深な笑いをする少女。ぼくも彼女に「久しぶり」と声を返そうとしてやめる。違う、今彼女にかける言葉はそう。きっとこんな風なものがいい。

「もし、僕が100万回生きたって言ったら君は笑うかい?」

あいつの口元が、にやりと笑った。

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100万回生きる 抹茶うさぎ @amy813

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