第7話 侍女と女王。
私の温もりを感じながら、目を細めるフランツィスカを慈しむように見詰める。
まるで、何の柵にも囚われない、自由気ままな子猫のように振舞う可愛い妹。
けれど、私は知っている。
この子は自分の心が傷つくことを恐れ、自分が大切に思っている相手の心を傷つけてることを恐れている。
作り笑いしかできない人形姫――それがリーフェンシュタール王国の社交界におけるフランツィスカの評価である。そして、フランツィスカ自身が積極的にその評価を改めようとしない。
他者から向けられる好意を拒絶するように、他者から向けられる善意を信じられないように。
フランツィスカのサラサラの金髪を十分撫でたと判断して、私は隣の部屋で待機しているクレメンティアに食事の要望を伝える。クレメンティアも不幸といえば、不幸だと思う。王家派の派閥に属し、フランツィスカに誠心誠意仕えているというのに未だに名前すら憶えられていないのだから。
フランツィスカは他者に興味を抱かない。
王党派からの暗殺未遂を繰り返されている影響だろうか、フランツィスカは自分の命に無頓着なところがある。人間関係に至っては、無頓着を通り越して無関心に近いものだと思う。
自分が絶対に守りたいと思っている相手以外、全ての人間が空気のような存在。
以前、フランツィスカに知遇を得たい貴族の名を聞いてみたところ、私は唖然とせざる得なかった。なぜなら、私と私の母であるベアトリクス、そして傅役のグラードル卿の名前しか言えなかったからだ。名前を憶えてられている人の共通点は、フランツィスカを守るために血を流した者達。
お姉ちゃんは協調性皆無なフランの将来が不安だよ。
料理長にフランツィスカの食事の要望を伝えるため、クレメンティアが部屋を出て行く。その背中を見送りながら、私は思考し続ける。今回の毒殺騒ぎ、敵対勢力に属する侍女と護衛騎士の排除、護衛しやすい環境への改善。
思考の渦に飲まれながら、私は甘えん坊の子猫が待っている寝室に戻ろうと踵を返そうとし――不快感を露わにする。
潜んでいる護衛の暗部、その気配の消し方が甘すぎる。
それでもベイツ家の育成機関の卒業生なのだろうか。私への意見具申のためにわざと気配を出しているなら、まだ許すこともできる。けれど、この程度の気配の消し方さえ行えないのであれば、暗部として許されないことだ。無能な暗部は不要、味方の暗部達が犠牲になる前に処分したほうがいい。
私は何もない虚空を睨む。それで、こちらの意図は気づいているはずだ。
「報告、毒を混入された痕跡は皆無」
「治療士の診断と一致しています。引き続き、王城内の監視を続けてください」
暗部の気配が掻き消え、私は今度こそ寝室に戻ろうと踵を返す。
早く戻らないとフランツィスカが不安に思ってしまう。
お母様が現役なら、私も安心できたのだけど。本来なら、王城内に潜む暗部との接触はお母様の仕事だったはずだ。そして、私がフランツィスカの護衛任務を専従する予定だった。お母様が暗殺者に右足の神経を切断されて、乳母兼護衛任務を解任されていなければ。護衛任務と王城内の情報統制の維持――あまりに多い仕事内容に嫌気が差し、自分の無能さと無力さを呪いたくなる。
「うぅ~……、ぎぶみーちょこれーと」
寝室に戻るとベットの上で、もぞもぞと動く大きな芋虫がいた。
私が寝室から出て行ってから、三分程度の時間しか経っていないというのに。
「我慢できそう?オートミールが届けられるのは一時間以上先になりそうだけど」
「……我慢する。シア姉、見てみて。簀巻きにされた芋虫!」
懸命に全身を動かしているフランツィスカに脱力しそうになる。その情けない姿を見て、私とお母様の命を助けてくれたフランツィスカの小さな後姿を思い出す。
「その言い方だとフランが芋虫になっちゃうけど?」
「う~ん?お腹が減りすぎて、ちょっと錯乱してるだけ?」
暗殺者からの凶刃を受けて傷つき倒れ込むお母様、訓練途中で一人を相手にするのが精一杯の私、次々と斃れていく護衛騎士達、勢いづく敵の攻撃、お母様の名を叫ぶフランツィスカ。絶叫と断末魔と剣戟が響く戦場で、初めて流された涙。
“奪われるぐらいなら、皆殺しにしてやる“
“いらない!いらない!いらない!お前の命なんて、この世にいらない!“
“どうして!?こいつ等はベアトリスを傷つけたんだよ!生かす必要なんてない“
噎せ返るほどの硝煙の匂いと地面に落下し続ける空薬莢が奏でる金属音。命乞いをすることも許されずに次々と処刑されていく暗殺者。当時の私は激高しながら、暗殺者の処刑に反対した味方の護衛騎士さえも殺そうとしたフランツィスカのことが怖かった。
けれど、今なら分かることできる。フランツィスカは、ただ守りたかっただけ。
不器用で、泣き虫の子猫を守るために私は躊躇わない。
◇◇◇
可愛い愛娘に嘘をついたら、嫌われたみたい。
あの子の縁談について、王党派の家格が高い貴族から内々の打診があったことは事実だけど、晩餐会の顔合わせの一件は私の真っ赤な嘘。晩餐会が行われる会場で王党派から何らかの接触があると見越して、フランツィスカが休めるように遠回しに言ったことが今回の失敗の主因となった。あの子が晩餐会に出席していると思い込んでいる結婚相手を徹底的に避けるところまでは予想通りに進んで、安心したと思っていたら――結果的にフランツィスカの嘔吐と窒息、失神という最悪な事態に発展させてしまった。
娘の精神的な打たれ弱さを、もっと考慮にすべきだったと思う。
フランツィスカが周囲に自分が男嫌いだと公言していたので、前世が男性だからだと勝手に想像していた。それなのに淑女としての演技もかなぐり捨てて、嘔吐するほどの精神的苦痛を感じる重度の男嫌いだとは思ってもいなかった。今後は娘との接し方を変えなければならない。
私達二人の親子関係は少々複雑な類に入る。
前世の私はどこにでもいる16歳の女子高校生で、フランツィスカの前世は成人していた国家公務員の自衛官だったらしい。前世では接点らしい接点もなく、共通しているのは同じ世界から転生してきたことと同じ鉄道橋の事故に巻き込まれたことだけ。
あの子には内緒にしているけれど、私は私達以外の転生者の行方を捜している。
同じ鉄道橋の事故に巻き込まれた2人が生まれ変わった異世界で親子関係になるなんて、明らかに出来すぎているから。何らかの作為と感じるのが当然だと思う。そして、死亡した者も含め11名の転生者の存在が確認された。全ての転生者があの鉄道橋の事故での死亡者で、ほぼ間違いなく此方の世界に転生させられている。
あの事故そのものが仕込まれたもの、若しくは仕込まれていなくても必然に近いもの。そう思える判断材料が揃いすぎている。それに転生者全員に与えられる固有魔法の中には、制限の無い壊れ性能の正気を疑うものさえある。
私は執務室にある椅子の背もたれに背中を預けながら、フランツィスカの機嫌の取り方を考える。自分が母親として、二流以下であることを否が応にも理解させられる。私が心から愛した夫――フランツィスカの父親は、下らない継承権問題に巻き込まれた命を散らした。血を分けた兄弟を皆殺しにしたことについて、私は後悔していない。私は不自由な生活でも、幸せを噛み締めて生きていきたかった。そうさせてくれなかったのは、この世界とこの国に住まう人々なのだから。
復讐を誓い、血に酔いすぎた私に母親の資格はないのかもしれない。
だからこそ、私は貴族達の権力争いを可能な限り煽り続けた。意味の無い殺し合いをしたいのなら、殺し続ければいい。そう思って。その結果がフランツィスカの生命を脅かすことになるなんて思いもせずに。
そろそろ行動に移るべきかしら?
現在、リーフェンシュタール王国が確保している転移者の人数は9名。その転移者達の固有魔法を使用解禁にすれば、国内にいる王家派と王党派の貴族達の粛清は十分可能。それにしても転生者を見つけ次第、私の固有魔法で洗脳しておいて本当に良かった。まったく、精巧な贋金を作り出す魔法や周辺の栄養素を全て奪い取り植物を急成長させる魔法なんて、危険すぎて放置できるわけないでしょう。
私は溜息を吐いて、執務室の壁際で待機している文官の一人に命じる。
「昼食はフランツィスカと共に取ります。そのように伝えるように」
アルコール度数の低いワインを飲みながら、目の前にいるフランツィスカの様子を見る。能面のような無表情で、私のほうを見ようともしない。これはかなり危険な兆候で、『あなたは他人です』という意思表示だ。どうにかして、フランツィスカの機嫌を直さないと私が見捨てられる可能性が高い。
ワイングラスをテーブルに置き、自分でも吃驚するぐらいの猫撫で声で、フランツィスカに問いかける。
ここは女王としてではなく、母親として頑張らないといけない。
「フランちゃん、お願いだから機嫌を直して」
「つーん」
返事があるだけ、まだ妥協点はある。フランツィスカが本当にいらないと思っているのなら、路傍に転がる石のように見詰められて、当然のように無視される。
「何か欲しいものはない?宝石とか、ドレスとか、白金貨とか」
「つーん」
元々物欲が限りなく少ない子だから、何をプレゼントしていいのかわからない。
「う~ん?期間限定の引きこもり生活とかは?」
「……つーん」
ちょっとだけだけど、フランツィスカに反応があった。王党派からの不必要な接触を避けるために私としても都合がいい。でもどうして、最初の引きこもり生活の条件を断ったのかしら?そういえば、ドレスに着替える回数が多すぎると以前零していたような……?
「一週間の引きこもり生活と一日寝巻き姿の条件でいい?でも、自分の部屋から出る時は部屋着に着替えて、お風呂にちゃんと入ること」
「お母様、大好き」
現金すぎるフランツィスカの姿を見て、思わず吹き出しそうになる。
この絶望と暗闇に満ちた世界の中で、この子だけが輝き続ける一条の光り。
その光りを消させないために私は今日も戦い続ける。
とある宰相の追憶。 さば @saba-no-misoazi
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