第6話 姫様と撃鉄。

 味が全くしなかった朝食をなんとか食べ終え、式典用のドレスが準備されている化粧室を目指す。精神的なストレスが原因の――胃の下の部分をギュ-っと締め付けるような激しい痛みと軽い吐き気が止まらない。私の周囲にいる護衛騎士と侍女がいなければ、お母様に対する呪詛の言葉が自然と零れ落ちていたと思う。


 ……お母様に騙された。

 顔合わせのことを今日初めて知らされたみたいに装っていたけど、私が断れないようにギリギリまで伝えなかった線が濃厚だ。顔合わせの予定を事前に知っていたら、強力な下剤を飲み込んで、ゆっくりとベットの中で寝込むことも出来たのに。


 お母様の涙目が怪しかったことに気づけ、私。

 新兵器の御披露目と内外への示威行為を目的とした観兵式。その盛大な式典を主催しているリーフェンシュタールの国家代表者である女王陛下が、目を赤くさせたままで、人前に出るわけがないじゃない!


 お腹が痛い、気持ち悪い、吐きそう。ここで吐いたら、観兵式と晩餐会を休めるかもしれない。無様に吐瀉物を吐いたとしても、社交界で口さがない貴族連中に私の悪い噂を流されるだけで済む。すでに貴族社会における私の評価は、底値無しの紙切れ同然ジンバブエ・ドル並み。これ以上、下がりようがないぐらい低い。


 よし、吐こう。シンガポールにあるマーライオンのような勢いで。


 一定の間隔で歩いていた歩幅を緩め、苦しそうに両手で口元を押えながら、さり気なく前屈みの体勢になる。顔合わせという容赦無い死刑判決を受けた直後から、私は血の気の引いた青白い顔をしているのだ。急な体調の変化で倒れたとしても、不自然に思われないだろう。


 込み上げてくる不快感に眉を顰めながら、それでも私は吐くのをやめない。


「うえぇ……うぅ!?」


 吐きそうで、吐けない……?


「フランツィスカ姫様、いかがなさいましたか!?」

「毒を受けたのかもしれん、早く治療士と薬師を呼べ!毒見役は何をしていた!」

「水を持ってこさせて!大量に飲ませて、吐瀉物を吐かせるの!早く、急いで!」

「ここでは治療することもできません!ベットがある部屋に移動するべきです!」


 中途半端に吐瀉物が喉の中間ぐらいで止まってる。ちょっ、これやばい、このままじゃ本当に息ができなくなる。薄れゆく意識の中で見たものは、護衛騎士に命令を下しているハンスと青褪めながら右往左往している侍女の姿だった。


 ◇◇◇


 覚醒させていない私の意識が陽炎のように揺らめく。


 燭台に灯された火が部屋を仄かに照らし出し、私の額を覆うように触れられていた温もりがゆっくりと離れていく。その少し冷たさを感じる手のひらの感触を名残惜しいと思いながら、ぼんやりと周りの様子を見渡す。


 ……どうやら私は、自分の寝室に運び込まれたようだ。


「シア姉」

「フラン、目を覚めた?」

「うん、何とか目が覚めた。永眠するかと思ったけど」


 苦笑いを浮かべながら、私の憔悴し切った寝顔を覗き込むアレクシアの視線が痛い。私の被害妄想だと思うけど、死に掛けたことを責められてるような気がする。私は是が非でも無罪を主張したい。今回の騒動に原因があるとしたら、私を精神的に追い詰めたお母様のせいだ。


 気まずい私は、そうっと口元まで毛布をずり上げる。


「それで、私が倒れた後、どうなったの?」


 部屋の燭台が灯されている以上、予定されていた観兵式と晩餐会は無事終了している時刻だろう。ちょっと私の計画と違うけど、お婿さん候補達との地獄の顔合わせからは逃げ出すことができたらしい。まさか衆人環視のなかで、吐瀉物を喉に詰まらせて窒息失神するとは思ってもいなかったけど。


 気になるのは失神する前にハンスが言っていたことだ。明らかに食事への毒物の混入を疑われていた。通常の手順通りなら、即効性の毒物を毒見していた侍従長と遅効性の毒物を毒見していた鑑定士は城内の何処かに留め置かれているはず。


 すまぬ、私の体調が全快になるまで、尋問付きの軟禁生活を続けて欲しい。後で侍従長と鑑定士に労いの言葉と賄賂を贈っておこう。私はお母様と違って、性格が良い空気を読むことができる子なので。


「グラードル卿がフランの口に漏斗じょうごを入れて――」

「……ごめん、倒れた直後の話は聞きたくない。毒じゃないと思うし」


 喉の奥が痛い。


 自動車の給油口のように漏斗を喉の奥まで突っ込まれて、大量の水を胃に流し込まれる。そして、後ろから下向きに抱きかかえられて、腹部を圧迫し、胃の内容物を全て吐き出させる……それも何度も。自業自得だけど、適切すぎる毒物の除去法に泣きそうになる。今日の教訓、毒殺の可能性がある時の嘔吐は周囲に多大な迷惑をかける。


「それより、観兵式の反響はどうだった?シア姉は出席した?欠席した?」


 コルト・ シングル・アクション・アーミーとウィンチェスターライフル。


 杭に固定された鉄鎧に向けての一斉射撃だけはどうしても見たかった。そして、その操作性と貫通力に驚愕する貴族達の顔も。私の固有魔法を使って、コツコツと一つずつ作り出した二種類の銃器。


 アレクシアは、少し困ったように首を傾げた。


「私はちょっとだけだけど、実家の家族と一緒に出席したよ。お父様がSAA(コルト・ シングル・アクション・アーミーの略称)を興味深そうに見てたのが印象的だったかな?」


 どうして、ベイツ家の関係者は暗殺向きの小型な暗器や銃器を好むのだろうか。武家としての血筋?暗殺者としての血筋?暗殺向きのサイレンサー付きM3サブマシンガンを渡したら、狂喜乱舞されそうだ。ベルツ領内にあると噂されている暗殺者育成機関――その存在を信じたくなってくる。……ないよね?そんな育成機関?


「固定された鎧に向けての単発一斉射撃。その次は装弾されている銃弾が無くなるまで、空に向けての弾幕射撃。私も銃声が響き渡る光景を見たかったなぁ……」

「でもどうして、信頼性が低いウィンチェスターライフルだったの?もっと信頼性が高くて、使い勝手のいいライフルもあったよね?」


 正式採用するライフルの選定作業に参加していたアレクシアが不思議そうに聞いてくる。


「ウィンチェスターライフルを選んだ理由は、拳銃弾(SAAと同じ.44-40弾)の互換性の有無と複雑な内部構造で信頼性そのものが低かったからだよ。どうせ、敵に真似られるんだから信頼性は低いほうがいいでしょ?」


 フルサイズのライフル弾が射撃可能な小銃は製造する前の段階で除外していた。

 敵対勢力に銃器を鹵獲され、リバースエンジニアリング(分解したり、動作を観察されたり、内部の部品を計測されること )された結果、デッドコピー品が製造されることを恐れた結果だ。


 フルサイズのライフル弾は、20kg以上の重量がある金属製の全身鎧(装甲厚2mm程度)を文字通りの意味で(胸から背中まで)貫通できる運動エネルギーと長い射程距離がある。それに比べて、ウィンチェスターライフルで使用されている拳銃弾はそこまでの威力はない。全身鎧を貫通することは可能だけど拳銃弾の先端は丸く作られていて、射程距離も短いからだ。


 それにウィンチェスターライフルは、レバーアクション特有の欠点もある。

 ライフルの機関部に突き出ているレバーを下に引き、薬室から空薬莢を排出すると同時に次弾を装填するという仕組みは、単発式の小銃に比べて速射性に優れている。けれど、レバーを下に下げている時に機関部が外部に露出して、埃や塵が入り込んで故障する頻度が高い。敵に鹵獲されて使用されたとしても、弾切れで捨てられるか故障して捨てられるかのどちらか。


「それって、地味な嫌がらせだよね?」

「うん、嫌がらせだもん。敵が真似してきたら、こっちはフルサイズのライフル弾を撃てる自動小銃を装備すればいいんだから」


 呆れられても困る。前世の世界ではそうやって、世界を何回も滅ぼすことができる核兵器を開発保有していたのだ。人の欲望は際限がない。私のことを暗殺したいと思っている貴族だとしても、その貴族しか理解することができない正義がきっとあるのだと思う。


「……お腹へった」


 お布団の中で、きゅるきゅると鳴るお腹を押さえつける。

 そういえば今日は朝食の嘔吐した分も含めて栄養になっていない。いい加減、何か食べないとお腹と背中がくっつきそうだ。


「ジャム多めの甘いオートミールが食べたい」

「はいはい、用意させるから大人しく待てってね」


 別室で待機している侍女に食事のことを伝えるため、アレクシアが部屋から出て行こうとする。その後姿を見ながら、私は急に不安になった。男性と閨を共にするのは嫌だけど、アレクシアと離ればなれになることは……もっと嫌だ。


 アレクシアを呼び止めて、何度言ったかわからない我が儘を言う。

 今日は自業自得の愚行の結果、嘔吐と窒息と失神したのだ。普通に死に掛けたのだ。少しぐらい、これから食べるオートミールの味のように甘えてもいいと思う。


「シア姉、頭を撫でてくれないとグレる」

「……もう」


 砂糖菓子よりも甘い人生を夢見ながら、本当に心地の良いアレクシアを温もりを感じる。ゆっくりと瞳を閉じて、この幸せが少しでも続くように神様に願いたい。


 この在り来たりの願いが叶えられないなら、この世界そのものを壊してやる。



 今世の名は―――フランツィスカ・デ・パウラ・リーフェンシュタール。

 前世の名は―――異性にモテなかった軍オタ自衛官の更科総司。

 前々世の名は――どうしても思い出せない。思い出せるのは仄暗い虚無の大穴。



 なんで、前々世は欠片のような記憶しかないんだろうね。

 

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