第5話 姫様と家族。

 この世界における鑑定の魔法は、とても曖昧なものだ。

 まず使用者が鑑定する対象の情報を事前に知っていなければ、鑑定の結果に反映されないこと。たとえば、遅効性の毒入りのスープが目の前にあったとして、その毒物について鑑定使用者自身が知らなかった場合は、鑑定の結果を引き出すことができずに素通りさせることができる。


 毒見役の鑑定士は早死することが多い。そして、毒見役を担う鑑定士の人数そのものが圧倒的に少ない。効能が高い薬草や金銀貨幣の真贋などで重宝される鑑定魔法保持者は割が合わない毒見役の仕事を忌避する。


 ヒ素や水銀などの毒物を鑑定するために――その精度を少しでも上昇させるために、敢えて少量の毒物を口に含む必要があるからだ。そして、遅効性の毒物を摂取しすぎた身体はいつか限界に迎える。だからこそ、彼等は忠義を尽くしている者として評価され、周囲からの賞賛と共に騎士爵の地位を与えられる。


 王族の食事の量は思いのほか少ない。

 食べきれない程の豪華な食事は必要ではないし、王城に仕えている下々の者達に食事を下げ渡す必要もない。これは毒見役の鑑定士の生命を永らえさせる意味もある。命を狙われているのは、私達王族だけなのに『この食事、毒入りかもしれませんけど……食べますか?』なんて、寝言を言えるわけがない。そんなことを言って相手に毒入りの食事を下げ渡したら、性格の悪い馬鹿だと思われるだけだ。


 私は椅子に座りながら、じっとお母様の入室を待ち続ける。


 ……目の前に、料理が並んでいるのに食べられない。


 ロロロッサ(サニーレタスみたいな葉野菜)とエンダイブのサラダ、薄切りされた鴨肉のローストと付き合わせの茹でたアスパラガス、琥珀色のコンソメスープとスクランブルエッグ、カリカリに焼いたパンと瓶詰めされているジャム。


 もちろん、その全ての料理は冷め切っている。


 ぶら下げられた人参を凝視し続ける飢えた馬のように、お母様が入室して来るはずの扉を見つめる。予定変更を知らせる先触れもない。どうやら、私と朝食を取ることは完璧に忘れられているようだ。実用化された銃器の取り扱いについて、色々と議論しているに違いない。


 壁際に控えているハンスを呼ぼうか考える。


 これ以上、朝食の時間がずれてしまうと、観兵式と晩餐会の予定の確認ができなくなるかもしれない。苦行の着替えについては深く考えないようにする。深く考えすぎると悟りの境地に行き着きそうだから。……ちなみに私は修行僧を目指すつもりはない。


「―――ハンス」


 悩みに悩んだ結果、私はハンスを呼ぶことに決めた。


 余りにも来るのが遅すぎるし、先触れがないのも気になる。観兵式を開催するため、このリーフェンシュタールの王都には各地の王党派の貴族と教会の司祭達が大挙として来ているのだ。疑念を抱いたまま時を過ぎるのを待つよりも、遅れている原因を解決したほうがいい。


 音も無く私の後方に近づいたハンスに命じる。


「このままだと観兵式の予定が狂いかねません。お母様付きの者に至急確認を」

「はっ」


 ハンスの目配せを受けて護衛騎士の一人が扉に近づこうと踏む出した瞬間、食堂に続く廊下が徐々に騒がしくなってくる。どうやら、腹黒女王様のご登場らしい。お母様と二人っきりになった時、グチグチと文句を言ってやろう。


 現れた女王陛下の第一声は、『人払いを。フランツィスカ以外の者は出て行きなさい』だった。私の朝食はさらに遠のいたようだ。護衛騎士を下がらせる程の厄介事の出現に思わず溜息が出そうになる。


 ◇◇◇


 私の母親であり、リーフェンシュタール王国の最高権力者でもあるクラリッサ・デ・アウラ・リーフェンシュタールが頭を抱えていた。その姿はとても哀愁と憐憫を誘うもので、お母様のメリハリの利いた外見を加味すれば、処刑される寸前のオルレアンの聖女――ジャンヌ・ダルクのように見えなくもない。


 ……物凄く自業自得だと思う。


 脈々と受け継がれている高貴な血筋を残すことも、王族に課せられた義務の一つなのだ。それなのに、ここまで王族の数が少ない理由は、お母様が調子に乗りすぎて、血を分けた兄弟達を粛清しすぎたせいだ。私と同じ転生者であるお母様は私以上にこの不条理に満ちた世界を信じることができなかった。お母様の決断は王家の血筋を中心とした血統主義と血縁関係を基本とする緩やかな集合体だったリーフェンシュタール王国の統治機能の根幹を完膚なきまでに破壊し尽くす結果になった。


「いやぁあああああああぁぁぁぁ――――!!」

 オークの群れに遭遇した生娘みたいな叫び声を上げられても困る。


 王族暗殺を呼び水とした貴族間の権力闘争の激化。当時は粛清の嵐が吹き荒れ、日和見主義の貴族達であろうと生き残りを図るために手段を選べなかったらしい。粛清の標的にならないためには自分を庇護してくれる派閥の力がどうしても必要不可欠だった。大小様々な派閥が消滅と吸収と分裂を幾度となく繰り返し、最終的に残った派閥は、リーフェンシュタール王国の存続のためなら、王族の殺害も厭わない王家派貴族。そんな王家派の行いに反発した集まりで、弱体化した王家の力に頼らず、領地の自治拡大を目指す王党派貴族。教会の司祭達はどちらの派閥が吸収されてもいいように王家派と王党派の二派に分かれている。


 後は盛大に燃え盛るを待つだけ。


 自分が生き残りたいなら、相手を先に暗殺すればいい――そんな悪しき前例を王族であるお母様が最初にしちゃ駄目でしょうに。暗殺者を送り込んだ疑いがあるだけで、無実だった叔父上の一人を暗殺したのも悪手だと思う。暗殺の実行犯はベイツ家の者だったらしいけど。王家側から暗殺者を送られいないのに関わらず、貴族達の疑心暗鬼のせいで、暗殺者を送られ続けている私の身にもなってください。


 叫び終わり、プルプルと全身を震えているお母様が軽いホラー。


「……お母様?」

 私の声に反応して、お母様がようやく俯いていた顔をあげてくれた。


「フランちゃん、どうしよう!?」

 ……何がどうしたいのか、さっぱりわからないです。


 お母様、まずは錯乱と悲観している原因を私に教えてください。この異様な状況を放置した場合、雪だるま式に私の被害が拡大しそうだから、お母様をどうにかして冷静にさせるしかない。涙目のお母様に私は優しく語りかける。


「……お母様、深呼吸をしましょう。ひっひっふーです。はい、ひっひっふー」

「ひっひっふぅー……ひっひっふぅー……?これって、ラマーズ呼吸法!」

「それで、何があったのですか?」

「フランちゃんが冷たい!私はそんな子供に育てた覚えはありません!」

「私も歯が生え揃っていない乳幼児の頃以外、育てられた覚えはありませんね」


 私が乳幼児を過ぎた後のお母様は、死神も真っ青になるぐらいの復讐の女神だったのに何を言っているのだろう……。それに私をここまで育てたのは、アレクシアの母親であるベアトリクスだ。生みの親よりも、育ての親。私がお母様に対して抱いている感情は、家族としてのものではなく、命を守り続けてくれたことに関しての恩義に近い。


「……ひぐっ」


 ……お母様が本当にガチ泣きしそうなんですけど。この人の母親適正が低すぎるような気がする。鼻で笑いながら、これまで尽してくれた臣下を処刑できるほど女王適正だけは異常に高いのに。面倒は避けるべきかな……?


 私は立ったまま今にも泣きそうになっているお母様を抱き締める。


「私がここまで殺されずに生きていられるのは、お母様のおかげなんです。お母様が私のことを嫌いになったとしても、私はお母様のことを唯一無二の家族だと思っています」

「うぐっ……フランちゃん、大好きぃ」

「私もお母様のことが大好きです。それで、何があったのですか?」

「……えーと、フランちゃんのお婿さんが決まりそうなの」


 うん?


「私の聞き間違いでしょうか?それで、何があったのですか?」

「だから、フランちゃんのお婿さんが決まりそうなの」


 ううん?


「お母様、私、突発性の難聴になってしまったようです」

「このままじゃ、私がフランちゃんに嫌われちゃう……」


 あれ?


「誰の婿さんですか?」

「フランちゃんの!」


 え?


「私が結婚するのですか?将来の王配として、その男性を迎え入れろと?」

「さっきから、そう言ってるじゃない……」


 え?え?


 お母様に聞かされた話の内容をゆっくりと理解しようと努力する。私はリーフェンシュタール王国の唯一の王位継承者。私と結婚する男性は王配として迎えられることが確定している。家格からいって、王党派の位の高い公爵や侯爵などの貴族家の嫡男だと思う。


 浮かんでは消える疑問が脳裏を埋め尽くし、私は静かに現実逃避を繰り返す。


 一触即発の現状を――多くの流血を避けられる最善な策だと思う。果てしない内乱で、もっとも犠牲になるのは無辜の平民だ。税収を源泉たる平民に大量の死傷者を出してしまうと王党派貴族としても嬉しくない事態に陥るだろう。それに内乱が起きた場合、正常な経済活動を阻害されて、平民の生活に直結する様々な物価の乱高下が繰り返される可能性もある。


 私の貞操を犠牲にすれば、私の純潔を犠牲にすれば、滅茶苦茶に拗れている王家派貴族と王党派貴族の関係を改善でき、両派閥の融和の第一歩になる。


 それにお母様は私の結婚が決まり『そう』だと言っていた。まだ、決定された未来ではないはず。今なら、結婚を断ることも可能だろう。不可能だった場合、地位も立場も何もかも捨て去り、このリーフェンシュタール王国から逃げ出してやる。


 まるで、潤滑油が切れた動きの悪いロボットみたいにお母様の顔を見上げる。


「お断りすることは可能なのですよね?元男ですよ、私」

「無理だと思う……。だって、そうでもしないと内乱を避けられないでしょう?」

「私を犠牲にするおつもりですね、お母様」

「……えへ♪」


 私は今の状況に巻き込まれただけの被害者なのだから、責任を取るのはお母様であるべきだ。


「内乱の責任はお母様にあると思います。お母様が新しい王配を迎えて、新たな王族を誕生させればいいのです。可愛い弟か妹が生まれ次第、私が王位継承権を放棄すれば問題は解決するはずです」


 そんな正論を口にした私は、


「今日の晩餐会で、お婿さん達との顔合わせがあるの」


 その直後に発狂するレベルの衝撃を受けることになった。


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