7.名前は

?「何を聞いてるのって、聞かれたの初めて」



彼は少し嬉しそうだった。

この間の無表情とは真反対に、無邪気ささえ垣間見えた気がした。



紫苑「今だったから聞けたの。一か月前なら聞けなかった」



?「どうして?」



紫苑「そりゃあ…」



少し言うのをためらってしまう。

わたしに彼を傷つけるつもりが微塵もなくても、彼が傷つく可能性があったから。

そして、傷つけたわたしは、また世界から外れてしまう気がしたから。

でも、嘘もつきたくなかったのでわたしは黙ってしまった。



彼「君は今少し余計なことを考えてるね」



ぐっと大人っぽい目つきをした。

―――こんな目、するんだ。

分かりにくいようで、意外と分かりやすいのかもしれない。



紫苑「考えちゃう性格なの」



?「そのほうがいい。考えないよりずっといいよ」



わたしの知らない何かを知っているような口調。

何故だか、彼に対しては素の自分で話すことができた。

今までに出会ってきた友達や大人たちの誰とも、何かが違っていた。



紫苑「それで、何を聞いていたの?」



もう一度問いかけると。



?「…雨の音」



紫苑「そう」



?「驚かないんだね」



紫苑「驚いてないもん」



予想なんてしていなかったが、予想外でも意外な答えでもなかった。

なんとなく、しっくりときた。



紫苑「この前も雨の音を聞いていたの?」



わたしがそう聞くと、彼の顔が少しこわばった。



?「この前は…うんそうだね、そんなようなもの」



それが本当のことじゃないってことくらい分かったけれど、

わたしには深く聞く権利はないこともよく分かっていた。

だからふ~んと、相槌をうつ。



?「名前を聞いてもいい?」



今度はわたしが驚く番だった。

まさか、聞かれるとは思っていなかった。

なんて言い表したらいいか分からないが、なんとなく彼がわたしのことを聞くことはないような気がしていたから。



紫苑「橘 紫苑といいます」



思わずかしこまってしまう。

人に名前を名乗る瞬間は少し苦手だ。照れくさく、難しい。

誰かと目を合わせることから、わたしは苦手だった。



?「いい名前だね。



オレは成瀬 彼方っていうんだ」



彼は名乗ると、ふっと笑った。

肯定的な笑みには見えなかった。自分の存在を否定するかのように笑った。



紫苑「彼方っていう名前の雰囲気、ぴったりね」



今はそれでいい。

だって二人いれば、わたしが彼を肯定できるんだから。





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