無条件に信じるのは、信じるに足る相手だけ

「梅宮ちゃん、これコピー頼むわ」

 外薗本部長が妙に弾んだ声で、クリップに留められた数枚の紙を梅宮さんに渡した。

 梅宮さんが戸惑いながら会議室から出ていく。 

「のう、杉本。自分のしたことを棚に上げて、よううたもんやな。組合に泣きつけばなんとかなる思うたんかもしれんけどな、そうは問屋が卸さへんで」

 さっきよりもさらに歪な笑顔でこちらを見る。

「……どういうことですか?」

「まあ、楽しみに待っとれや」

 杉本さんの質問には答えず、外薗本部長はそう言って黙ってしまった。

 俺たちも、ただ梅宮さんが戻ってくるのを待つしかなかった。


 数分後、会議室に戻ってきた梅宮さんが、黙ったまま俺たちにコピーした資料を配る。

 それはメールの文面を印刷したものだった。

 だが、その内容をすぐには理解できない。まるで英語を訳しながら読むときのように、一文ずつ読み解く。

「なん、ですか、これは?」 

 最初に声を発したのは杉本さんだった。

「またとぼけよって。白々しいわ。向こうのメーカーさんがな、ワシに相談してきたんや。杉本から不正を持ち掛けられたってな」

 架空で大量に発注する。そちらの決算には間に合う。在庫はこちらが持つ。だからキャッシュバックをよこせ。そういった内容の文面だった。

 そして、差出人には杉本研と書かれており、確かに杉本さんのメールアドレスも表記されている。

「杉本の甘い誘いに負けて一旦は話に乗ってもうたけど、思い直してワシに相談があったんや」

 外薗本部長が流暢な言葉で続ける。

「この証拠を今まで出さんかったんわな、懲戒で反省してくれればええと思うてのことやった。ワシにも上司として管理責任があるわけやしな。それをお前はワシになすり付けようとしたわけや。もうかばい切れん」

 大げさな身振りで肩をすくめる。

「そんな……、なんですか、これ。こんなメール、僕は出してない……」

 杉本さんがか細い声を絞り出す。

「そりゃあお前はメール消しとるんやろうけどな、こうして向こうさんのメールっちゅう動かぬ証拠があるわけや」

「消すもなにも……そんなこと、してない、です」

「もうこうなったら、懲戒解雇もあるで」

 水を打ったような静けさに会議室が包まれる。


 長い沈黙を破ったのは、俺の正面に座る梅宮さんだった。

「差し出がましいようですが、二点よろしいでしょうか」

「お、おお。なんや? どうしたんや?」

 外薗本部長が驚いた声を出す。

「まず、懲戒処分については、一事不再理いちじふさいりの原則、つまり一つの事案については再度の審理を行うことができません。今回既に調査委員会での審理が行われておりますので、たとえ新たな証拠が出てきたとしても処分を追加することは法律上できません」

 梅宮さんが凛とした表情で淡々と語る。

「あ、ああ、そうなんか。まあ、それならええわ」

「そしてもう一つ。こちらのメールの文面、たしかにアドレス表記は杉本さんのものになっています。ですが、ある程度パソコンに精通していれば、表記を変えて見せることはシステム上可能です。もし徹底して調査をするということであれば、杉本さんのパソコンからサルベージをするなど、システム担当者に申請をするべきだと思われます」

「……梅宮ちゃんは組合の味方なんか? 組合のことが嫌いゆうて聞いとったんやけどな」

「私は誰の味方でもありません。ただ公平にありたいと思い、可能性を示しただけです。それが、私の仕事ですから」

 ああ、そうだ。この人は、こういう人だ。

 だから俺は、惹かれたんだ。

「ほな、それでもええわ。ただな、この場でこの話を持ち出したんは組合側やで。組合は団交の報告書みたいなんを作って全員に配布しとるんやろ? なら、このこともしっかりと書かんとな」

 外薗本部長が梅宮さんから俺の方に視線を移しながら言う。

「まあ、組合が隠蔽しようとしても、こっちはこっちで議事録を残しとるしな。なあ、梅宮ちゃん」

「……はい。そうですね」

「もし議事録を見たいっちゅう社員がおったら、公開せんといかんしな。ワシが杉本の立場やったら居づろうて、会社にはもうおれんわ」


 その最後の言葉で、ようやく外薗本部長の魂胆を理解できた。

 怒りなのか。

 落胆なのか。

 自分でも自分の感情がわからない。

 

「杉本さん。一つだけ、いいですか?」

 ただ、これから踏み出す前に、一つだけ確認をする。

「これ、杉本さんが出したものではないですよね?」

「……うん。全く身に覚えがないよ」

「わかりました」

 捏造だ。

 こんなものを準備していたということは、外薗本部長は最初から約束を守る気なんてなかった。

「こっちはちゃんと証拠を出したで。これで不満ならメーカーの社長さんを連れてくるわ。同じ話をしてくれるで」

 外薗本部長の言葉から、もう一つの真実に気付く。

 本部長とメーカーはグルだということ。

 メーカー側も杉本さんとの約束を守る気などなかったということ。

「んで、そっちは本人の言い訳のみや。しかも上司に罪をなすりつけようとするも証拠は一切ナシや」

 外薗本部長が放つ意気揚々とした言葉を聞きながら、俺は深く息を吐きだす。

 もう一度、梅宮さんの顔を見る。いつものポーカーフェイスが崩れて、心配そうにこちらを見ている。

 以前、彼女さんから言われた言葉が頭のなかで繰り返す。

 ――無条件に信じるのは、信じるに足る相手だけにしてくださいね。

 本当に、その通りだった。

 

「証拠は……あります」


 ポケットからスマートフォンを取り出す。

 画面には『いま行く』と四文字だけ通知があった。

 さっき震えていたのは、やはり一ノ瀬さんからの連絡だったのか。


 俺がこれからすることが正しいことかどうかはわからない。

 きっと一ノ瀬さんは笑って聞いてくれるだろう。

 でも、梅宮さんは――。

 

 俺は、震える指で再生ボタンを押した。


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882872309/episodes/1177354054884544048

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