2人の同居人

おかぴ

第1話

 道路を横断しようと、車の流れが途切れるのを待つ、自転車の私。だが、待てど暮らせど、車の流れは途切れない。


「まったく……早く渡らせてよッ」


 自然と、舌打ちと共に悪態が口から漏れ出る。5分ほど走れば横断歩道はあるが、その横断歩道は、地元で『開かずの交差点』として有名な交差点だ。一度信号が赤になってしまえば、10分は切り替わらない。


 それに、その信号を使うと目的地までの道のりはかなりの遠回りになる。そんなところで10分程度も時間をロスするよりは、多少面倒でも、目の前の道路を横断し、目的地まで近道をした方が時間の節約になる……そう思ったのだが……。


 どうやら、私の目算は外れてしまったようだ。時間帯は悪くないはずなのだが、今日は思った以上に車が多く、流れは一向に途切れる気配がない。


 そうしてしばらくイライラしながら流れが途切れるのを待っていると、件の交差点の信号が赤から青に切り替わったのが見えた。素直にあの交差点で待っていれば、今頃は悠々自適に道路を横断し、イライラしながらも目的地までの道のりを一歩進めることが出来たのに……この事実が、私の心をさらに逆撫でしてくる。




 今朝、私に仕事をくれている業者から、一通のメールが届いた。


――トノサマ建築様のwebサイト構築の報酬ですが、

  再度、お支払いを来月まで待ってください


 トノサマ建築のwebサイトといえば、私が半年前に構築したサイトだ。納品と先方の確認が済んだ段階で請求書を送付し、あとは支払いを待つばかりという状況になったところで、『支払いは来月まで待って欲しい』という連絡が、先方より届いた。


 『先方も懐事情が厳しいのだろう。確実に払ってくれるのなら、多少待っても構わない』私はそう思い、支払いの遅延を承諾したのだが……


 その後、ひと月ごとに届く『支払いは来月まで待ってください』という連絡に、私は徐々に苛立ちを隠しきれなくなっていた。メールで何度も催促したが、『そこをなんとかお願いします』という返事しか無く、電話をかけると担当者外出中のため対応出来ないと言われ、折り返しの電話をお願いしてもかかってはこず……


 そして今朝届いた、『来月まで待ってください』のメール。そのメールに目を通した直後、私の中で何かが弾けた。意識の外でスマホを握り、先方の電話番号をアドレス帳から探し出し、気がつくと通話ボタンを押して、先方が電話に出るのを待っていた。


 今日は、珍しく担当者が会社にいたようだ。私が電話をかけてくるとは思ってなかったのだろう。電話口で名を告げた時、受話器の向こうの彼の声色は、『しまった』という気持ちを伝えていた。


「トノサマ建築様の案件に関してですが」

「あー、そのことですか……」

「また来月まで待たなければならないんですか?」

「はい」

「もう半年前に請求書の送付は済んでるんですよ? あなたもサイトを確認して、問題なかったですよね?」

「ええ。ですからこの件に関しては申し訳なく思っておりまして……」

「お詫びは聞き飽きたので結構です。それよりも、いつお支払いいただけるんですか?」

「ですから来月まで待って頂ければと……」

「そのセリフ、もう半年前から月変わりの度に聞いているんですが……」

「ええ……ですから今度こそ、来月には必ず……」


 『約束など今はいらない。私は金を払って欲しいんだ』というセリフが喉まで出かかる。これ以上、電話口で話をしていても埒が明かないと判断した私は、先方の会社に直接出向いて、話を聞きたい旨を伝えた。


「といいましても、私もこのあと外出する予定がございまして……」


 もはや、この担当者のセリフの一つ一つが嘘くさく聞こえる。今でさえ、電話を切った途端に『めんどくせwww 個人事業主なんか待たせときゃいいんだよwww』とゲスな笑顔で嘲笑しているんじゃないかと、余計な勘繰りをしてしまう自分が悲しく、そして情けない。


「とにかく、直接話を聞かせてください。これから用事があるというのなら、その後お時間を下さい。これから御社にお伺いします」

「来ていただけても、私が何時戻るか分からない状況ですが……」

「かまいません。終わるまで待ちます。何時間でも待ちます」

「あなたの貴重なお時間を無駄にいただくわけには……」

「私が今あなたから欲しいのは、お心遣いではなく代金です。とにかくそちらにお伺いします。何時間でも待ちますから」


 吐き捨てるようにそう伝えた私は、先方が何か言っているのも無視して通話を終了させた。そして怒りに任せて外出準備をし、パソコンの電源は点けたまま、家を出て自転車にまたがった。天気は少し曇っていて、肌寒かった。




 そうして今に至る。道路を横断するべく待っているわけだが、やはり一向に車の往来は途切れない。しかも通る車同士の車間距離はゆうに10台分ぐらいはあって、少し気合を入れて素早く横断すれば、ひょっとすると渡ることが出来るんじゃないか……そんな気さえしてくる車間距離だ。危ない橋は渡らないけれど。


 先方のメール、この道路の車の往来、スッキリしない曇天……すべてが私の神経を逆なでしてくる。右を見ればストレスがたまり、左に目をやればイライラが募る……前を見れば渡れないもどかしさにやきもきし、上を見れば、曇り空に怒りを抱く……私の意識は、近年稀に見る怒りの感情で満ちていた。今、運悪く友人に肩でも叩かれて『これからどこかお昼ごはんでも食べに行かない?』とでも言われた日には、私はその友人に理不尽な怒りをぶつけていることだろう。それが誰からの何であれ、刺激をされた途端に怒りが爆発してしまう……そんな、質の悪い不発弾のような状況が、今の私だ。とにかく目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻に届く匂いから肌を刺す冷たさまで、すべてが私の癪に障った。


 そうしてイライラを募らせながら、待つこと15分。そろそろ例の開かずの交差点に移動しようか……でもそれも癪だ……そんな葛藤に私が襲われていた時、右を見ると、大きなトラックがこちらに向かって走っているのが見えた。


「デカ……こんな田舎であんなデカいトラックで走らないでよ……」


 こんな些細な事にも悪態をつかずにいられない私は、かなりのスピードで走るそのトラックが通り過ぎるのを待つ。いつもなら、この場に5歳の子供がいれば『ほら、あのトラック、ロボットに変形するんだよー』と冗談を言ってあげることも出来るたのだが……不幸なことに、この場に5歳の男の子はいなければ、今の私にはそんな心の余裕もない。トラックの存在が癪に障るという、最悪の機嫌を抱えたまま、私はトラックが通り過ぎるのを待つ。


 その大きなトラックは、バルバルというエンジンの爆音を周囲に響かせて走っているが、こちらに近づくにつれ、少しずつスピードが落ちていった。


「ん?」


 スピードの違和感を感じながら、そのトラックを見守る。目算で80キロほど出ていたはずのトラックは目に見えて減速しており、私の数メートル前のところでは、すでに徐行運転レベルにまでスピードを下げていた。


「止まってくれるの?」


 大きなトラック特有のエンジンの爆音を響かせ、トラックは私のたった数メートル先で停車した。煙突のようなマフラーからは黒煙が出ていて、このトラックがかなりの馬力を持っているのが見て取れた。私がそのトラックの迫力に飲まれて、ポカンとその化物トラックの呼吸を眺めていたら、トラックのヘッドライトが、チカチカと光った。


「へ?」


 ついトラックの運転席を見る。ヤクザのような強面のオッサンが、鍛え込まれた右手でサムズアップをし、まったく似合わない満面の笑顔を見せていた。浅黒い素肌から輝く白い歯を剥き出しにして、ニカッという感じで笑っていた。


 私の心の曇り空が、少しだけ晴れた。


 トラックの運ちゃんが止まってくれたことで、片側車線の流れは止まった。でも、もう片方の車線も止まってくれないと、私は渡ることが出来ない。運ちゃんの親切心に応えるためにも、早く渡らなきゃ……でも反対車線も止まってくれないと渡れない……私は、多少改善された自分自身の心とは裏腹の焦りを抱いたが……


――プップ―


 今度は、トラックの対向車線からクラクションが聞こえた。慌てて左側を見る。そこには、見慣れた地元会社のタクシーが止まっていた。


「こっちも?」


 トラックの時と同じように、私は止まってくれたタクシーの運転席を見る。人の良さそうなオッチャンが、無邪気な笑顔を私に向けていた。左手を上げ、私に無言で、早く道路を渡るように促していた。


 トラックの運ちゃんと、タクシーのオッチャン……2人が、私のために車を停止して、私の横断を助けてくれた。……私の心の曇り空に、キレイな光が差しはじめた。


「ありがとうございます!」


 私はサムズアップしてる運ちゃんに笑顔で会釈した。気を良くしたのか、運ちゃんはサムズアップしていた右手で、まるで自衛隊のような見事な敬礼を私に返してくれた。


「ありがとうございます!」


 タクシーの前を通り過ぎる時、私はタクシーのオッチャンに向かって笑顔で会釈をした。オッチャンは相変わらずの人懐っこい笑顔で、『ぷっぷー』と耳に心地よいクラクションを鳴らしてくれた。


 私が横断している間止まっていた道路の時間は、私が渡り終えた途端に再び動き出した。私が渡り終わった途端、トラックは再びバルバルと勇ましいエンジン音を上げて走り出し、タクシーもなめらかな加速を始めてその場を走り去る。私が渡れずにイライラしていたあの時のままの道路の光景が、再び始まった。タクシーもトラックも、『ばひゅーん』という音が聞こえてきそうなスピードで走り去り、すでに私の視界からは姿を消していた。


「……」


 トラックの運ちゃんとタクシーのオッチャン……2人の男は、私の心にほんの少し、変化をもたらしたようだった。


 さっきまでの私は、自分が見聞きするものすべてが気に入らなかった。自分の機嫌の悪さを免罪符にして、全てに対して負の意識を抱き、そして怒りをぶつけて傷つけていた。私の怒りは正当だと思い込み、その怒りを関係のないところにぶつけて、どうにもならないその苛立ちで、さらに怒りを募らせていた。


 大げさに言えば……さっきまでの私は、認識する世界のすべてに怒りを抱いていた。曇り空にツバを吐き、滞りなく流れる車に嫌悪を投げつけ、自分の周囲すべてを呪っていた。真っ黒い感情で、世界のすべてを捉えていたのだ。あの、朝のメールから端を発する私の怒りは、世界の認識すべてを曇らせていた。怒りの対象としか世界を認識出来ないまでに、私の目を曇らせていた。


 あのトラックの運ちゃんとタクシーのおっちゃんは、そんな私の目の曇りをキレイに磨き落としてくれたようだった。


――思ったより、世界は悪くないぜ


 トラックの運ちゃんの似合わない笑顔が、私にそう言ってくれた。


――あんたのために、融通を効かせてくれる人もいるんだよ


 タクシーのオッチャンの人懐っこい笑顔は、私をそう諭してくれた。


「……んじゃーいこっか」


トラックの運ちゃんとタクシーのオッチャン……2人の優しくて素敵な、私の世界の同居人に心の曇り空を晴らしてもらった私は、自転車のペダルに足を置き、力を込めて漕ぎ出した。


 私の前に広がる自転車用の道は、私以外に誰もいない。道の両脇は花壇になっていて、この季節よろしく、蕾を沢山つけた草花が、自分の活躍の時間を今か今かと待ちわびていた。


 気持ちが変われば認識も変わる。機嫌が悪そうな曇り空を見て『今日は空もご機嫌斜めか』と同情した。でも自分の身体を冷やしてくれる、今日の冷たさは心地いい。自転車を漕いでいる身としては、これぐらい涼しい方が、いくらでもスピードを出して走ることが出来る。走れば走るほど身体はポカポカと温まり、そして冷たい空気が心地よくなる。私の周囲は今、私に対してとても優しくなった。


 前方に注意を払いながら、道の両脇の花壇に目をやる。幾分スピードを下げると、カラフルな草花の蕾たちが、とてもキレイだ。気を抜くと倒れてしまいそうなほどのノロノロ運転で、花壇を眺めつつ走る。二匹の真っ白い蝶が、楽しそうにひらひらと円を描いて飛んでいた。


「おっ。デート中? うらやましいねぇ」


 私に対して、自分の恋人をひけらかすように舞う二匹の蝶に、祝福と羨望を抱きつつ、私は、支払いの催促に向かうことにした。本当にキツいのなら、もう1ヶ月ぐらいなら待ってもいい……自分の周囲に苛立たない程度の余裕を持つことが出来た私は、そんなお人好しなことを考え始めていた。


 トラックの運ちゃんとタクシーのオッチャン。2人の素敵な同居人に感謝をしつつ、私は曇り空を見上げた。2人によって雲を払われた私の心のように、曇り空に少しずつ、上機嫌のお天道様が顔を出し始めていた。


終わり。

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2人の同居人 おかぴ @okapi

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