料理男子とルームシェア

浅名ゆうな

料理男子とルームシェア

「おかえりなさい。丁度、晩御飯ができた所ですよ」

 おかえりと言うにはあんまりな仏頂面に出迎えられ、天本蓮実は頬が引きつった。

「……毎度毎度、タイミングよすぎてキモいんですけど。私の体にGPSでも付けてるんじゃないですか?」

「まさか。自分にそれほどの価値があると思いますか?」

「私はGPSより安いって言いたいわけ!?GPSの値段知らないけど!」

 腹が立ってその場で市場価格を調べ出そうとする蓮実を、青年が制した。

「いつまでも玄関にいないで、さっさと上がったらどうですか?自分の家なんですから」

「……………あんたが言うかぁぁぁあ!?」

 ここは私の家だ!

 蓮実の絶叫が、今日も轟いた。


  ◇ ◆ ◇


 青年がやって来たのは本当に突然だった。

「天崎風馬と申します。今日からよろしくお願いします」

 長身に黒髪、銀縁眼鏡がよく似合う冷悧な容貌。二十代後半くらいだろうか、言葉を失う程の美形だった。所帯染みた天本家の玄関が激しく似合っていない。佇まいから端整だが表情がないため、よくできた人形のようにさえ思える。先ほど口を開いたのは本当にこの青年なのか、蓮実は真剣に疑った。

 こちらの反応をひたすら待ち続けていることに気付き、ようやく脳が作動し始める。何を言われたのか慌てて思い出した。

「えっと……よろしくって、何でしょうか?あいにく祖父は不在でして、今この家には私しかいないのですが」

「お祖父様からの手紙は、読んでいませんか?」

 全く覚えがないので、とりあえず郵便受けを覗いてみた。店屋物のチラシの中に、エアメールが一通。

「あ……これのことですかね。今届いたみたいです」

 海外を飛び回っている祖父がいつも何をしているのかは、全くの謎だ。もう何年も元気な姿を見ていないが、こうして手紙や現地での謎のお土産を送ってくるので、消息の心配だけはしていない。

「読んでください」

「え?今、ここでですか?」

「お願いします」

 有無を言わさぬ口調に押され、その場で手紙を開封する。祖父の流れるような筆致で書かれた内容に、蓮実は目を点にした。

「ナニコレ………」

 冒頭から『天崎風馬』の名前が出て、続いたのは『一人暮らしのお前が心配だから、一緒に住め』という目を疑うような言葉。

 改めて青年を見る。傍らにはトランクケースとかなりの大荷物。

 心配だから異性を送り込んでくるってどういう矛盾?というか、心配ならお祖父ちゃんが帰ってくればよくない?というか、この人も真面目な顔で何あっさり従ってるわけ?

 蓮実がこぶしを握ると、手の中でぐしゃりと不穏な音が響いた。手紙などもう読む気にもなれない。

「……えーと。突然こんなことを言われても、正直何が何だか分からなくて」

 ですから、この件についての話し合いはまた後日改めて。

 失礼にならないよう、何とか笑みを浮かべながらそう続けようとした蓮実だったが、風馬は心得ているとばかり頷いた。

「では、あなたは頭を整理していてください。俺は夕飯の支度をしますから」

 なんでそうなる!?

 蓮実が絶句している間に、風馬は玄関を上がっていく。トランクケースを玄関脇に置き、我が物顔で台所に向かう後ろ姿にますます混乱した。

「ちょっと、困ります!私一人暮らしなんですよ!?」

「存じております」

「婦女子の家に突然上がり込んで、問題あると思いませんか!?」

「婦女子?」

 迷いなく進む風馬がピタリと足を止め、追いかける蓮実を見下ろす。いきなり超絶美形が間近に迫ってビクリと揺れた。まずい。今日は肌のコンディションが悪いのに。

 じろじろと不躾に観察していたかと思うと、風馬は鼻で笑った。

 再び歩き出す背中を、蓮実は追えなかった。彼の瞳は雄弁に語っていた。『婦女子など、どこに?』と。……肌のコンディション以前の問題だった。

 ――嫌いだ!いくら美形でも、私はこの男が嫌いだ!

 怒りでプルプル震えていると、台所から包丁の音が聞こえてきた。

 覗いてみると、勝手に冷蔵庫の食材を使い、驚くほど手際よく料理を始めていた。風馬はシンプルなエプロンを着けている。

 ――……エプロン、いい。

 蓮実はハッとよだれを拭った。あれは敵だ!見惚れている場合じゃない!

 美形鑑賞と追い出すという使命の狭間で揺れている内に、あっという間に料理が完成していた。豚のしょうが焼き、小松菜と厚揚げの煮びたし、大根とキャベツの浅漬け。大根の葉は捨てずに味噌汁の具にしている。余す所なく使うって、田舎のおばあちゃんか。

 心の中で皮肉りながらもほかほかごはんの誘惑に負け、蓮実はいつの間にか食卓についていた。一口食べるともう箸が止まらない。空腹のせいだと否定しようにも、文句のつけようがなくおいしかった。蓮実も自炊はしていたが、比べるのが気まずい程。

 こうして、なし崩し的に同居生活がはじまった。もとい、餌付けされる形で。


  ◇ ◆ ◇


 それでも、気を許したわけではない。

 ようやく玄関を上がった蓮実は、前を歩く風馬の背中を臨戦態勢で睨んだ。

 同居し始めたものの、とことん反りが合わない二人は毎日口喧嘩ばかりしている。舌戦で相手を負かす機会を窺う日々だ。

「一応言っておきますけど、あなたとルームシェアなんて、私まだ認めてませんから!」

「ルームシェアとは、他人同士が一つの住居を共有すること。まぁ間違ってはいませんが、ここはあなたの持ち家ですから、正しくは家主と居候、ですかね」

 何てことだ。居候に偉そうに講釈された。教鞭をとっているという風馬の説明が実に分かりやすく、だからこそ腹立たしい。

「そもそも家賃として家事全般を俺が引き受けるということで、鉄心さんと話がついていますから」

「家事くらい、今まで自分でやってました!あなたがいなくても問題ありません!」

 美味しい料理の虜ということは、この際脇に置いておく。今日は好物の唐揚げで、思わずにやついてしまったとしてもだ。

「お肉ばかり食べないで、ちゃんとひじきも食べてくださいね。太りますよ」

「わわ、分かってるわよ!子どもじゃないんだから、食べるに決まってるでしょ!」

 大皿に盛り付けられた唐揚げへの熱視線をばっちり見られていたらしい。ばつが悪くてそっぽを向いた。美形に容姿を指摘されるなんて苦痛でしかない。

「てゆーかそもそも、何であなたは祖父の言いなりになってるんですか?」

 食卓につき、蓮実は口を開いた。

「俺は鉄心さんにご恩があるんです。果たさねばならない義務ですので、致し方なく」

 『致し方なく』とか、喧嘩を売られているとしか思えない。

 しかし手を合わせてさっさと食べ始める風馬に、蓮実は焦った。言い返す言葉を探している内に取り分が減ってしまう。仕方なく話を中断して食事を始めた。

 早速唐揚げに手を伸ばす。火傷に気を付けなければならない程、熱々ジューシーだった。サクサクの薄衣とモモ肉のプリっとした歯ごたえが堪らない。口の中に広がるショウガと醤油のシンプルな味わいは最高だ。

 幸せすぎてちょっと何もかも忘れかけた。さて、何の話をしていたのだったか。

「あぁ、そうそう。祖父に恩があるなら、本人に返したらどうですか?私はあの人の行いに全く関与していませんから」

「あなたにしては建設的且つ冷静な意見ですね。ですが、恩人に望まれたなら何でもしたいと思いませんか?」

「いちいち皮肉を交えないと喋れないんですか?」

「あなたが非の打ち所のない方だったら、きっと穏やかな会話が叶ったのでしょうね」

 にっこりと嫌味たっぷりで微笑まれ、言葉を失う。今日もまた、蓮実の連敗記録が更新されるのだった。


  ◇ ◆ ◇


 授業が終わり、蓮実は大学を出た。花冷えのため少し肌寒い。トレンチコートの前をかき合わせ、ぶるりと肩を震わせる。

 サークル仲間に飲みに行こうと誘われていたが、断っていた。最近付き合いが悪い蓮実を、彼氏ができたのではと勘繰っているようだったが、誤解だと言い残して逃げてきた。見知らぬ美形と同棲しているなんてポロリとでも打ち明けたら、今より騒がれそうだ。

 冷たい風に顔をしかめながら、今晩のごはんは何だろうと考える。こんなふうに期待しているなんてバレたら恥ずかしいので、本人に言ったことはないけれど。

 ――あったかい、んだよなぁ。

 冬から春へと移り変わるこの季節は、気温も移ろいやすい。

 肌寒い日には、体が芯から温まるブロッコリーのシチューを。反対に汗ばむ陽気の日には、茹でた鶏肉と千切り胡瓜にポン酢をかけた小鉢を、風馬は用意してくれる。

 食べる人のために心を尽くしていなければ、そんな料理は作れない。だからこそ彼のごはんが温かく、優しく、おいしいのだと、本当はよく分かっている。

 だから今日も、蓮実は真っ直ぐ家に帰るのだ。



「おかえりなさい」

「……………ただいま」

 帰ってきて、家に明かりが灯っているとホッとする。両親が早くに他界した蓮実には新鮮な経験だった。『ただいま』の挨拶も未だに照れくさい。照れくさいからつい喧嘩腰になってしまっていることを、彼は見抜いているだろうか。

 珍しく素直に返すと風馬は目を瞬かせていたが、素知らぬふりでリビングに向かう。テーブルには、今日もバッチリのタイミングでできたての料理が並んでいた。

 着替えて食卓につく。予想通り体の温まりそうなメニューだった。

 スープは蓮実の好物の、オニオングラタンスープ。トマトとベーコン、オリーブオイルたっぷりのパスタには、彩りのいいバジルの葉が載っている。テーブル中央の大きな耐熱皿には、こんがり焼き色の付いたグラタン。こってりしたメニューとバランスを取るためか、サラダはシンプルだった。

「いただきます」

 まずはスープを一口。

 飴色の玉ねぎが入ったコンソメスープに浮かぶのは、とろとろになり始めたガーリックフランス。それを覆い隠すようにたっぷりかけられたチーズ。噛んだ瞬間スープがじゅわりと溢れだすパンとのハーモニーが絶妙だ。

「あったかい……」

「今日は肌寒かったですしね。連絡をくれれば迎えに行きましたのに」

「いらない。ただの居候様に気を遣っていただかなくて結構です。―――あ」

 蓮実は即座に、いつもの憎まれ口を叩いてしまったことを悔やんだ。忙しい合間に美味しいごはんを作ってくれる風馬に、伝えたい言葉があるのに。

 気を取り直して、次の皿に手を伸ばした。

「ん!このグラタン、鮭と長イモなんだ!それにこのソースも、なんか食べたことないカンジ」

「ソースにはとろろが入っています。あと隠し味に、味噌を少々」

「味噌か……チャンチャン焼きとかもあるし、鮭とも相性いいのね。すごく―――」

 蓮実は一度言葉を切った。箸を置いて、視線をそらす。

「……すごく、おいしいわ」

 ぽつり。とこぼれた言葉は、静かな空間にとても響いた。気まずくて前を向けない。きっと熱い頬は赤くなっている。初めて伝えた『おいしい』といい、この毒舌男がそれをからかわないはずがないのだ。

 弱味を握られた気分でずっと顔を上げられずにいたが、あまりに沈黙が長い。

 恐る恐る視線を送った先では、人形のような風馬が珍しく、目をまるくして固まっていた。その顔は、蓮実に負けず劣らず赤い。

「…………あの、風馬さん?」

「――――――っ!」

 彼の動揺ぶりに、蓮実は逆に冷静さを取り戻す。首を傾げて問いかけると、風馬はなぜかさらに赤くなった。もはや肌の出ている部分は全て赤い。三十歳目前の男がする反応ではないはずなのに、伏せた睫毛の瞬き一つ取ってもしどけない色気を醸している。何とも目のやり場に困る光景だ。

「私、そんな恥ずかしいこと言いました?」

「いえ。美味しいと言ってもらえて、その上初めて名前で呼ばれたので、少々混乱しました。……嬉しかった、だけです」

 嬉しいなどと言われると蓮実の頬にもまた熱が上りそうだったが、何とか堪えた。二人して順番に赤面していては話が進まない。

「意地になっていただけで、いつも美味しいと思ってました。……風馬さんのごはんを食べていると、母が昔作ってくれた玉子焼きを思い出すんです」

 フワフワで、甘くて、太陽みたいに綺麗な玉子焼き。風馬の味付けは、亡き母と似ているのかもしれない。だから追い出せなくて、ずるずると同居を続けてしまった。

「風馬さんのごはん、大好きです。祖父の頼みだから、ではなく、私からも改めてお願いします。これからもここで、ごはんを作ってくれませんか?」

 祖父の頼みという免罪符を盾に、本音を晒さずにこの生活を続けることはできる。でも、これからも一緒にいたいと願うなら、きちんと自分の気持ちを伝えたかった。それが、ずっと追い出そうとしていた相手に対する誠意だと思うからだ。

 真摯な眼差しを向けると、とうとう風馬は撃沈した。テーブルに突っ伏して顔を上げてくれない。

 こうなると得意の毒舌も弾切れらしく、ちょっと勝ったかも、なんてどうでもいいことを考える。それよりせっかくの料理が冷めない内にと、せっせと箸を動かし始めた。

 色気より食い気を如実に表す行動に気付いたようで、風馬はうつ伏せのまま呟く。

「………プロポーズみたいなことを言っておいて、平然とごはんを食べないでください」

「思ってることを言っただけで、他意はありません」

 きっぱり答えると、風馬は一瞬の間を置いてからガバリと顔を上げた。

「………前々から違和感はあったんですが。もしかして蓮実さん、お祖父様の手紙、最後まで読んでないんですか?」

 図星に視線を泳がせると、風馬はこれみよがしにため息をついた。

「読んでないんですね。つまり私の正体も分からないと。素性の知れぬ人間をホイホイ家に上げるなんて感心しませんね」

 ――だからそれをそっちが言うか!?

 ホイホイ上がり込んだのはどこのどいつだ!?と叫びそうになったが、彼の指摘は耳に痛い。それに風馬の正体、という言葉が気になった。

「正体って、なんですか?」

「手紙を読めば分かります」

 初めて出会った時のように『この場で読め』と言わんばかりだ。幸い、握り潰した手紙は丁寧にしわを伸ばして保管している。蓮実は渋々席を立ち、棚の一番上の引き出しを探った。

 冒頭部分は以前も読んだので飛ばす。『まだしばらく帰れない』、『元気にやってくれ』といういつも通りの結びの言葉の後に付け加えられたそれに、蓮実は再び目が点になった。


『天崎風馬とお前の婚約を決めたから、仲良くやりなさい♡』


 こ ん や く 。

 ぐしゃり。手紙は無惨にも、さらに念入りに潰された。

「鉄心さんの申し出を、了承しました。だから俺はここにいるんです。それくらいでなければ、未婚の女性の元で暮らすなんてするはずがないでしょう」

「ーーーーーーっっっ!!」

 だから何であんたはあっさり受け入れてるんだ!とか、婚約って今ドキ何言ってるの!?とか、ていうかそんな大事な話で語尾が『♡』とかお茶目すぎるでしょ!とか様々な思いが嵐のように胸の内を暴れ回るせいで、魂の叫びは言葉にならなかった。

 今日もやっぱり、蓮実の完敗だ。

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