第20曲【美代の稽古 感じる予兆】

 御箏荘の主、月島美代の指導はさすがといえるものであった。

彼女と初めて顔を合わせたときから、目にははっきりと映らずとも威圧にも似たオーラが発せられ、対峙しようものならその迫力だけでたじろいでしまうほどだ。

そんな美代の第一印象から奏は、自分の奏法を生徒に広めそれを主軸に指導していく方針だろうと勝手に思い込んでいた。

だがそんなことはなく、彼女は決して自分のやり方を押し付けようとはせず、基準となる形を教示した上で生徒一人一人のくせや弱い部分を分析・指摘して多少自分と形が違ってもその者のやりやすい方向に持っていくというようなやり方だった。

その結果、無理な動作が減ることで一、二時間程度の稽古なら生徒は疲れた等と音をあげることなく稽古に集中できていた。

ここが教室で自分が師である以上、指導方針はしっかりしていなければならない。

しかし、彼女は経験上強制させるやり方は絶対に続かない、自由に演奏を楽しむべきだと考えていた。

故にこの形に修まったのだ。



「・・・さん、魯蝋(ろろう)さん?」

「む、すみません。何でしょう?」

美代の指導を受けている初老の男性が遅れて彼女の呼びかけに反応する。

三人のうち男性は彼だけである。

「三連符の四・五・六が続くときの感覚を可能であればもう少し早めてみてください。」

「畏まりました。」

承諾の意を示すと魯蝋と呼ばれた初老の男性は再び手元に集中した。

(・・・なんだろう。)

奏はこの男から妙な視線を感じていた。

見学者が珍しいのか、いや香詠の話だと今稽古を受けている三人は今日見学者がいるということは聞かされているはずだ。

彼と目があったのは二、三回程度でもしかしたらどこかで会ったのかもしれないと思い、記憶を探ってみたがどうにも見つからない。

考えすぎかと思い、視線を落とすと自分の膝で大人しくお座りをしているサラが視界に入る。

(もしかすると、あの人・・・犬が苦手なのかな?)

「ハッ!ハッ!」

箏の音色を聞いて、パーランクーを叩いているときのことを思い出したのかサラは興奮している。

手元にそれがあったなら間違いなくバシバシやっていることであろう。

「何だか嬉しそうですね、サラ。」

横で上品に正座をしていた香詠はクスリと笑いながら稽古の邪魔をしないように小声で呟く。

「うん、きっと一緒に演奏したいんじゃないかな?」

「ワン!」

サラが振り返り返事をした途端、手本の演奏をしていた美代の目線がこちら側に向く。

「しー!しー!」

二人はサラを制しようとするが犬であるが故に当然理解できていない。

だが二人の仕草から察したのかサラは息遣いは荒いまま音のなる方へ向きなおす。

それを見ていた香詠が先刻から気になっていたことが確信に変わる。

(この子、やっぱり・・・)

「・・・か」

そのことを口にしようとした時だった。

「ねぇ、香詠。・・・あの魯蝋さんって人、ずっとここに通っている人?」

「えっ!? あっ、魯蝋さんですか? いえ。あの方がこの御箏荘に通われ始めたのはつい最近のことですよ。何でもご友人がお箏を学びたいということで母に紹介し、付き添いも兼ねてご自身も一緒に学ばれてるとか。」

彼女が言いかけていたことは彼にも関係があることだっただけに過剰な反応になる。

「そっか・・・。」

「ただ、昔から母と親しいみたいで私も子供の頃からよく顔を合わせる機会がありました。・・・その・・・魯蝋さんがどうかなさいましたか?」

「ううん、何でもないよ!ありがとう。」

奏は怪訝そうな顔をする香詠に笑顔で応える。

美代と親しい間柄で香詠と何度も顔を合わせているのであれば悪い人物ではないのだろうとひとまず胸をなでおろしたが、稽古に集中している中でも時折向けられるその視線に息苦しさを感じた。

それでも不思議と気味が悪いといった印象は受けなかったので奏はそれ以上気にしないことにしたのだ。

香詠の方もまた、言いかけたことを聞いてもらいたかったのだが、奏が魯蝋を気にかけていることからおそらく同じことに気が付いたのだろうと思い口にすることを止めた。



 「・・・それでは本日のお稽古はここまでとします。」

美代がそういうと、三者三様に礼を述べ箏を片づけ始める。

それを見て彼女はすっと立ち上がると奏達のところに上品に歩み寄り、奏の真正面で向かい合うような形で再び正座をした。

「奏さん、ご覧になられていかがでしたか?」

「あ、はい。箏に関しては全くわからなかった僕ですが、その僕から見ても美代さんのご教示は理解しやすくてここで聞いてるだけでもすごく勉強になりました。」

「フフ、そう言っていただけると私も嬉しく思います。・・・ならばどうでしょう、奏さんも始めてみますか? 私と香詠が丁寧に教えてさしあげますよ?」

美代の口元が不適な笑みを浮かべている。

なるほど、これが冗談交じりで発言するときの美代なのだと、奏はこれまでの駆け引きで判断することができるようになっていた。

「えっと・・・僕は・・・」

だが冗談とはわかっていても、きっぱりやりませんと言うのは美代や香詠に申し訳ない気がしてなかなか言えないものだ。

最も美代はそれを見越しての発言だろうが。

「お母様・・・」

「フフ・・・冗談ですよ。奏さんには篠笛がありますものね。」

「はい・・・。」

香詠の呆れたような表情にさすがにこれ以上は可哀そうと思ったのか美代は口元に手をあて冗談めかして笑ってみせる。

普通なら見惚れても可笑しくはないその仕草も今の奏からしてみればもう勘弁してほしいといった心持ちだった。

そして会話の間に片づけ終わっていた初老の男性が、正座をしていた美代の後ろで立ち止まる。

「それでは美代さん、お先に失礼します。またお稽古で。」

「ええ、魯蝋さんもお気をつけて。」

美代は体を半身にして魯蝋と目を合わせようとしたが、彼の目は別のところに向けられていた。

自分の向けた視線に違和感を感じられたのがわかったか、魯蝋はすぐに美代を見て軽く会釈をすると足早に部屋を後にした。

(・・・あの魯蝋さんが今日は珍しいぐらいに演奏に集中できていなかった。今だってそう・・・気にしてたのは恐らく奏さんね、これは何かありそう。)

美代はおもちゃを与えられた子供みたいに嬉しそうに微笑む。

それを見た彼女の娘と隣にいる青年は嫌な予感しかせず、背筋に悪寒が走ったのだった。

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ただ奏でる竹 @koudukinagisa

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