第19曲【篠笛奏者 星宮奏】
-篠笛-
それは篠竹という女竹を加工して作られた横笛の一種である。
一種という表現を用いるのは、単純に横笛という言葉自体が大きく分類されたものだからだ。
他にも龍笛や能管等と呼ばれる横笛が存在し、これらは雅楽や祭事等で比較的よく目にする和楽器の一つと言える。
中でも篠笛は知名度こそまだ低いものの一度その音色を耳にするとその自然味溢れる和音に誰もが虜になる。
そしてその篠笛に惹かれた青年がここにも一人いたのだ。
七年後、ここはとある一室。
「今のあなたならもう大丈夫ね。・・・ところで奏君は雪月花を目指しているのでしょう? それなら次は一緒に演奏してくれる仲間を探してみたらどうかしら?」
「仲間・・ですか? 一人ではやはり無理でしょうか?」
壁には巻物、床は畳、ところかしこに和小物。おまけに部屋にはお香の上品な香りが漂っている。
今の時代、珍しい純和風な一室で奏は出会った七年前から若さの衰えを感じさせない星野に聞き返す。
「無理ではないわ。これまでも実際に独奏だけで雪月花に出演した方もいますから。」
「そんな人が・・・。」
「ええ。だけどこんなこと私が言うのもおかしいかもしれないけれど、奏君は仲間がいたほうがいいと思うの。・・・あなたの旋律を引き立ててくれる、同じ舞台を目指せるような人が。」
「・・・。」
「あ、ごめんなさい。何もあなた一人では無理と言ってるわけではないわ。必要だと思ったのよ、奏君には。」
星野は手を振って沈んだ表情を見せた奏の考えていそうなことを否定する。
しかし、彼の考えていたことは別の事であった。
「あ、いえ。・・・仲間、そうですね。僕自身確かに仲間は欲しいです。でも多分簡単には・・・。」
(・・・そう、彼ら以上に気の合う人なんて・・・)
「そうですね、確かに簡単ではないかもしれません。音楽に対する考え方、楽曲の方向性、目指すもの、何より・・・相性。それらが一致しないと仮に一緒に始めたとしてもすぐに離れ離れになってしまいます。私はそういう方達をたくさん見てきました。」
「・・・。」
奏は視線を外さず、先生と慕う長い黒髪の似合う女性を見つめる。
年齢は恐らく彼よりも少し上だろう。
だろうというのはこの人の正確な年齢を奏はいまだに知らないからだ。
彼自身そんなのは篠笛には関係ないと思ってるし、ましてや女性に年齢を聞くのは失礼極まりない。
自分の慕う方なら尚更だ。
「それに、篠笛という楽器は一人でも演奏はできますし、それでプロ活動されてる方もいるというのもまた事実です。」
「それならどうして」
「一人では絶対に奏でることのできない旋律があるからです。奏君、あなたはすでに知っているはずよ? 和楽器だってそれは同じ。」
星野は奏の言葉を遮るように真っ直ぐな眼差しを向けて言った。
普段は表情も口調もおっとりしていて優しい人だが、真面目な話をするときは必ずこんな感じになる。
「それは・・・そうですね、わかりました。今より少しでも雪月花に近づけるのであれば出来る限りやってみたいと思います。だから最後に一つだけお願いしてもいいですか?」
奏は少しだけ微笑んで星野の言葉を待った。
「なんでしょう?」
「僕はこれから先生の教えを大切にして演奏していこうと思ってます。だから先生の名前・・・一文字いただけないでしょうか?」
奏はやや遠慮がちに星野の目を見続ける。
彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みを見せて答えた。
「もちろん構いませんよ。お好きな文字を持って行ってください。」
「ありがとうございます!・・・じゃあ星野先生の星という文字をいただきますね。だから・・・今日からは星宮奏です!」
奏は少しだけ照れくさい気持ちを隠しながらも精一杯自信に満ちた表情を作り、星野に答えると深々と頭を下げた。
「七年もの間、ご指導ありがとうございました!!」
星野はにっこり微笑むと、
「奏君が今よりもさらに立派な奏者になって、いつか一緒に舞台に立てる日を心待ちにしています。これから頑張ってくださいね。」
こうして、奏と星野の最後の稽古が終わりを告げる。
この先、波乱万丈となる彼の篠笛奏者としての道は、師である星野ですら予想できていなかっただろう。
彼がサラを連れた香詠と出会ったのはその一週間後のことだ。
---○---○---○---
「えっと、僕は・・・」
美代に目標を聞かれた奏は自身が篠笛と出会ったときの事を思い出していた。
(・・・そう、あの時決めたはずだ。このことだけは真っ直ぐな気持ちでいこうと。・・・大切な仲間を犠牲にしてしまったのだから。)
奏は顔をあげ、真っ直ぐ美代の眼差しと向かい合った。
横でやりとりを見ていた香詠が奏の表情の変化に気付く。
(奏さんの顔つきが・・・変わった?)
「僕には確かに立ちたい舞台があります。それが・・・和楽祭典『雪月花』。僕の目標地点です。」
「雪月花・・・!?」
初めて垣間見えた奏の大きな志に香詠は驚くが、その彼と向かい合っている美代は顔色一つ変えることはなかった。
「・・・夢、とは言わないのね。」
「はい。出来ることだと思ってますし、やらなければいけないこととも思っています。」
「なるほど。ではあなたの目指すその舞台にこの子のお箏は不要かしら?」
「・・・。」
香詠は口を挟まず黙ってその二人のやりとりを見ているが、心境としては穏やかではなかった。
(・・・なぜ、お母様はこんなにも)
彼女は理解に苦しむ。
楽器奏者として致命的な『欠陥』を持っている自分が彼と組んだところですぐにそのことが知られ、悩ませることになるだろう。
少なくとも雪月花という大舞台で最高の演奏を目標としている彼には足手まといにしかならないのだ。
別に彼と組みたくないわけではなくて、むしろまた一緒に演奏してみたいとも思っている。
だがサラの件のこともあり、これ以上彼に迷惑をかけたくないというのが彼女の本心であった。
「正直に言うと、まだ僕一人でそこまで行けると思っていません。・・・それに、篠笛を教えてくれた先生に言われたんです。一人では絶対に奏でることのできない旋律があるって。僕はその言葉も大切にしていきたい。」
「・・・だそうよ、香詠。」
「あの・・・私は・・・」
急に美代にふられたことで香詠は困惑する。
「だから、もし香詠さんが嫌じゃなかったらだけど力を貸して・・・くれないかな? サラも踏まえた三人からのスタートになるけど、僕達なら出来ると思う。」
「・・・奏さん・・・」
いっそここで自分が抱えているものを打ち明けてしまえば状況は変わるかもしれない。
一瞬そう考えた彼女だったが、初めて見る奏の真剣な眼差しを前に彼の戦意を削ぐようなことは言えるはずもなかった。
「・・・わかりました。私も奏さんとの演奏は心地よくてまたご一緒できればと思っておりましたので、これからはお供させていただきます。」
不安な気持ちを悟られないために彼女は出来る限りの笑顔を作り、奏に応える。
「本当!? ありがとう、香詠さん。」
「ワン!」
主人の嬉しそうな声になぜかサラが反応する。
「フフ、香詠でいいですよ。そうしましたら改めてよろしくお願いします!」
「うん!僕の方こそよろしくね、香詠。」
ここに二人と一匹から始まる一つの和楽器チームが結成された。
(・・・フフ。)
だがこの場で一番心弾ませているのは不適な笑みを浮かべる美代であった。
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