第25話
俺と美月ちゃん、美月ちゃんの母・琴子さん、そして俺の両親は最寄りの駅から3つほど離れた駅に一同に会していた。
ついに別れの時がやってきたのだ……。
「皆さん、本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れません」
すでに涙がにじんでいる目頭をハンカチで抑えつつ、感謝の気持ちを伝える琴子さん。隣にいる美月ちゃんはずっとうつむいているので、表情がわからなかった。
「琴子さん、あちらでもしっかりね。何か愚痴りたいことがあったら、
いつでもメールしてちょうだい」
そういう母さんの目もすでに赤くなっている。
「琴子さん、御主人との今後の話し合いは全て弁護士を通して話し合えばいいからね。向こうが面会を希望しても弁護士の同席なしに会ったりしないように。今後も大変だと思うが、美月ちゃんのためにも頑張ってほしい」
最後のアドバイスをする父さん。
父さんは知り合いの弁護士を紹介したり、仕事先の情報などを教えたりして
社会的な面で琴子さんの相談に乗っていたらしい。立派なメタボ腹を持ち、
地味な顔立ちをした父さんは見るからに平凡なサラリーマンだが、大人としてしっかりしたアドバイスをする姿はどこか男らしい。俺はあの姿を超えなくてはいけないと思う。
そして俺。
ずっとうつむいたままの美月ちゃんの様子が気になっていた。また泣いているのだろうか? 心配だ。
「琴子さん、少しだけでいいので美月ちゃんと二人で話させてくれませんか?」
急な申し出に琴子さんは驚いたようだったが、美月ちゃんの様子を
ちらりと伺うと俺と目を合わせ、こくりとうなづいた。
「美月ちゃん、前にプレゼントを渡したいって言っただろ?二人だけで渡したいんだ。少しだけこっちに来てくれる?」
美月ちゃんがゆっくりと顔を上げた。ずっと泣いていたのか、すでに顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。そのままそろりそろりと進むと、俺の手を遠慮がちに握った。心地良い暖かさを感じつつ、俺はそっと美月ちゃんの手を握り返した。
この手のぬくもりを再び感じられるのはいつになるだろう?
そう感慨にふけりながら、俺と美月ちゃんは少し先のベンチまで歩いていった。そこは柱の陰で、琴子さんと俺の両親からは見えづらい位置になっている。照れくさいから、親たちには見られたくないのだ。
美月ちゃんにベンチに座るよう促すと、彼女は素直に従った。俺は美月ちゃんの前にひざまずく体勢になると、腕にかけていた紙袋から可愛らしいリボンで彩られた小箱を取り出した。これが美月ちゃんへのプレゼント。俺はそれを彼女に差し出した。
「美月ちゃん、これが俺からの君へのプレゼント。受け取って」
可愛らしいラッピングに驚いたのか、美月ちゃんの涙は止まり目線は小箱に釘つけになっていた。その可愛らしい姿に微笑みつつ、俺は彼女に箱を「あけてみて」と伝えた。美月ちゃんは小さくうなづくと、受け取った小箱のリボンをそっとほどき、箱をゆっくり開ける。
「きれい……」
中身を確認した美月ちゃんが呟いた。中から出てきたのは、ピンク色の石がついたネックレス。天使の羽を象った細工の下に小さなハート型のピンクの石がついたデザインになっている。その淡いピンク色の石は『ローズクォーツ』というのだと店の店員に教えられた。可愛らしいデザインと色合いが美月ちゃんにピッタリだと思い、選んだのだ。
俺はそのネックレスを手に取ると、留め金をはずし、美月ちゃんの首にかけた。少し大人向けなので若干大きいが、思っていた通りそのネックレスは美月ちゃんによく似合っていた。
「美月ちゃん、これは『お守り』だよ」
「お守り?」
「これをお守りして、これから頑張っていけるようにね。俺からのささやかなプレゼント。あともう一つ渡すものがあるんだ。それがこれ」
俺は紙袋から封筒を取り出し、中から一通の紙を取り出した。それは以前二人で署名捺印した婚約誓約書。美月ちゃんに用紙を見せながら渡した。
「これは美月ちゃんが持っていて。今度いつ会えるかわからないけれど、10年後には必ず会おう。その時までに俺はキミを守れる男になっておくつもり。10年後に会ったとき、俺とのことをどうするかは美月ちゃんが決めてくれたらいいからね」
美月ちゃんの目が大きく見開かれ、再び涙がこぼれだした。
「佑にいちゃん、みづき、うれしい……。でも佑にいちゃんにもらってばかりでみづきは何もあげられない」
「いいんだよ、俺はもうキミから沢山のものをもらったから」
これは本当だ。彼女に出会わなければ、俺は妹のことを引きずり続け毎日を無気力に過ごしていただろう。キミに出会えて俺はいろんなことを知ったんだ。美月ちゃんが俺を変えてくれた。
キミに出会えて俺は本当に幸せだよ。
そして、俺はキミが大好きだ……。
それは決して口にしてはいけない思い。でも心の中だけで伝えるぐらいなら許されるだろう。
しばらく泣いていた美月ちゃんだったが、何か思いついたことがあったらしく、ハンカチで涙を拭き取ると俺の顔を見て言った。
「みづきも佑にいちゃんにプレゼントしたいものがあるの。お願い、目をつぶって」
美月ちゃんは何をしようとしているのだろう? 俺は黙って従った。
美月ちゃんは俺の双方の頬にそれぞれの手をそっとおいた。美月ちゃんの小さな手のぬくもりが伝わってくる。なんて心地良い温かさだろう……そう思っていると唇に何かが触れた。小鳥がついばむような軽やかな衝撃。驚いて目を開けると、口に触れているものは美月ちゃんの小さな唇だった。
キス、している。俺と美月ちゃんが……!
驚きのあまり固まっていると、美月ちゃんの唇が俺から離れた。呆然としていたが、やがて俺は我に返った。
「み、美月ちゃん、何したの?」
「これがみづきから佑にいちゃんへのプレゼント。佑にいちゃん、お顔がまっかよ?」
言われて気が付いた。俺の顔が火がついたみたいに熱くなっているのを。
「こ、こら! 大人、いや、まだ完全に大人じゃないけど、お兄ちゃんをからかうんじゃない!」
「からかってなんかないもん! みづきのまごころだもん!」
そう言うと、美月ちゃんはにっこりと笑った。その天使のようなほほ笑みに俺はそれ以上何も言えなかった。
まったく、キミにはかなわないな。
小さな小悪魔のように可愛らしく、それでいて天使のように優しい少女、
美月。俺の大好きな、女の子だ。
琴子さんと美月ちゃんが乗る予定の列車が駅に到着した。別れの瞬間がとうとうやってきたのだ。
列車に乗り込む前に琴子さんと美月ちゃんの二人は互いに顔を見合わせると
横に並び、二人で深々と俺達にお辞儀をした。俺達も頭を下げてそれに応える。美月ちゃんは名残惜しそうに俺の顔を見ていたが、意を決したように
きびすを返して列車に乗り込んだ。そのまま指定席まで走ると、窓際に寄り、窓をよいしょと持ち上げる。ひょっこりと窓からその可愛らしい顔を覗かせた。
列車の窓から俺を見ている。そう思った途端、俺の体は自然に動いていた。
美月ちゃんが顔を出しているところまで走ると、俺は美月ちゃんの両手を握り締めた。
「美月ちゃん。必ず、また会おうね。俺は美月ちゃんが……だれよりも大切だよ」
『好き』とは言っていない。だから許されるだろうか?
「うん!みづきも佑にいちゃんが大好き! 今度会うときまでに、とびっきりのカワイイ女の子になるからね!」
列車がゆっくりと動き出した。俺もその動きに合わせて走り出す。だんだんと列車の進行が早くなり、繋いだ手は悲しく解けた。
「美月ちゃん、美月ちゃん!」
列車を追走する俺を美月ちゃんが見つめている。美月ちゃんはプレゼントしたネックレスを左手で握り締め最高の笑顔を見せながら右手で俺に手を降っている。頬にはキラリと涙が光っていた。
「大好きよ~佑にいちゃん!」
彼女の最後の台詞を残したまま列車はホームを後にした。乱れた息を整えながら、走っていく列車をいつまでも俺は見ていた。
俺も大好きだよ、美月ちゃん。そして、さようなら。俺の小さな恋人。必ずまた会おう。
すでに見えないほど遠くに行ってしまった列車に手を振ると俺は空を仰いだ。空は清々しいほどに透き通っていた。
ー 完 ー
little honey ~小さな彼女へ 蒼真まこ @takamiya777
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