第24話

 沢田と話しながら帰宅する途中、中年の男性がふらりと俺の側に

やってきた。その中年男が美月ちゃんの父親だと気づくまで少し時間が

かかった。以前のような不遜な態度はなく、すっかりやつれていたからだ。


「高村佑樹くん、だったかな? 私のこと、わかるかい? 隣に住んでいる

安藤美月の父、和馬だが」

「……ええ、わかりますよ」


 俺はぶっきらぼうに応えた。愛想良くなんて出来るわけがない。


「少し話したいことがあるんだが、いいかね?」


 美月ちゃんの父親はちらりと沢田のほうに目をやった。邪魔者は消えて

くれ、というところか。


「高村、俺ちょっとコンビニに行く用事を思い出したから行ってくるよ」


沢田はさらりとそう言った。さすがは気配り上手の沢田だ。


沢田に「すまない」と言うと、「気にするな」と言いつつも俺にそっと

耳打ちした。


「高村、このオッサン、なんか目付きがヤバイけど大丈夫か?」


 美月ちゃんの父親に聞こえないように、俺も小さな声で答える。


「大丈夫だと思うよ、ひょっとしたら手を出してくるかもしれんけど

俺はやり返すつもりはないから」

「おいおい、なんかヤバそうだな。念のため向こうから様子を伺って

おくよ」


 そう囁くと沢田は足早にその場を離れた。俺のことを心配してくれている

のだろう。いいヤツだ。沢田がいなくなると、美月ちゃんの父親は唐突に

聞いてきた。


「単刀直入に聞くが美月と琴子がどこへ行ったのか知っているだろう?

教えてくれ」


なんで命令口調で言われなければならないのか。


「知りませんよ」

「知らないわけがないだろうっ!君のお父さんとお母さんは何度聞いても

『知らない』と言うが絶対に知っているはずなんだ。教えてくれ、頼むから!

そうだ、小遣いをやろう。1万か?それとも3万か? 高校生の小遣いとしては十分だろ? 金ならやるから、二人の居場所を教えてくれ!」


 高校生の俺なら小遣いをちらつかせれば、ホイホイと教えると思ったのだ

ろうか? そんな浅はかな考えに反吐が出そうだ。


「貴方から小遣いを貰う理由なんてありません。第一、お金なんて貰っても

知らないものは知りませんよ。俺、用事があるんで失礼します」


 これ以上話しても無駄のようなので、その場を離れるべく、くるりと踵を

返した。途端、美月ちゃんの父親が俺の肩を掴んだ。


「待ってくれ!10万、10万やるから教えてくれ。なっ? いいだろ?」


 殴ってやりたい。そんな衝動にかられたが、無論、俺はそんなことは

しない。一方的な暴力は誰かさんと同じレベルになるだけだから。


「知らないって言ってるでしょ、離してくださいよ」

「いくらだ?いくら出せば二人の居所を教えてくれるんだ?」


 どこまでも金で解決しようとする美月ちゃんの父親。金があれば何でも

許される、何でも叶えられると思っているのだろうか?


「自分の胸に聞いてみればいかがですか? 最も、自分のことしか考えてない方だろうから気づかないでしょうけど」


 いい加減イラついてきた俺は、つい横柄に答えてしまった。それが

美月ちゃんの父、和馬の逆鱗に触れたらしい。俺の前に歩み出ると、いきなり顔面を殴ってきたのだ。頬に鈍い痛みが走る。口の中に鉄臭さを感じるから、口の中を切ったようだ。


 美月ちゃんと琴子さんはこの暴力にずっと耐えてきたのか。

頬に感じる痛みよりも、そっちのほうが俺には辛かった。


 あの小さな美月ちゃんは、この痛みを受け続け、心の中で泣き叫んでいた

のだろう。しかし、お母さんのために必死に耐えていたのだ。それを思うと

俺は自然と目が熱くなってくるのを感じた。


「貴様みたいなガキに何がわかるっ!? 俺は社会という荒波の中で日夜

戦っているんだぞ! 親に守られてぬくぬくしているガキは黙って大人の

言うことをきいていればいいんだ。さぁ、二人の居所を教えろっ!!」


 俺の襟元を掴みながら、くってかかる父・和馬。

そんな男の腕を強引に振り払うと俺は和馬を睨みつけた。


「たしかに俺はまだ親のスネをかじる学生ですよ。だけど、俺は自分が苦しいからって家族にあたるような馬鹿な大人にはならない!」

「馬鹿だと? この俺を馬鹿呼ばわりするつもりかっ!?」


 和馬は怒りが治まらないのか、周囲の目も忘れ、怒鳴っている。


「俺には妹がいました。でも6年前に事故でこの世を去りました」


 俺の唐突な言葉に驚いたのか、和馬の動きがピタリと止まった。


「妹を突然失った母は精神のバランスを崩すほど嘆き悲しんだけれど

そんな母を父は必死に支えましたよ。父だって辛くないはずはないのに。

泣きじゃくる母を寝かしつけながら、父は黙って泣いていました。

妹の遺影の前で。誰にも知られないようにそっと。

そして翌朝は何事もなかったように俺達を優しく暖かく支えてくれました。

自分の痛みを人にぶつけたせず、父は男として家族を守ってくれていたんです。貴方に比べると、サラリーマンとしては劣るかもしれないけれど

 俺はそんな父を誇りに思います」


 あれは美雨が天国に逝って間もない頃。

どうにも寝付けず、なにか飲もうと1階に降りていった。そして見てしまったのだ。父が泣いているのを。美雨の遺影の前で父が静かに肩を震わせていた

のだ。声をかけられる雰囲気ではなく、俺は黙ってその場を離れた。

残された家族を守るため、父は自らの悲しみを一人で耐えていたのだろう。


「俺は父さんのような誰かを守れる人間になりたい。決してあなたの

ような大人にはならないっ!」


 俺の迫力に驚いたのか、和馬は黙ってうつむいた。

何か反撃してくるかも、と思い俺は身構えたが、何やらブツブツ言いながら

その場を去ってしまった。俺は呆気に取られ、その背を黙って見つめていた。


「お前の勝ちだな、高村」


 沢田が建物の陰からぬっと出てくるなり、そう言った。


「見てたのか?」

「ん、あれ以上手を出してくるなら俺も参戦するか、警察を呼ぶフリでも

しようかと思ってたけど心配するほどもなかったな」

「俺も反撃してくると思ったけど、拍子抜けだったな。あの人さ、隣に

住んでいた美月ちゃんの父親なんだよ。美月ちゃんとその母親を暴力で支配していたんだ」

「それで逃げるように引っ越ししていったわけか。このところのお前、

寂しそうだったもんな。可愛い子が突然いなくなってショックなわけか」


 場を明るくさせようとしているのか、沢田が冗談ぽく語っている。

コイツにはきちんと話しておきたいな、と思った。俺にとって親友とも

言えるヤツだから。


「沢田、聞いてほしいことがあるんだけど、いいか?」

「ん?なんだよ」

「変な目で見られるかもしれないけど、お前だから言うよ。

 俺さ、美月ちゃんのこと好きなんだと思う」

「……」


沢田は驚いて目を見開いている。無理もない。


「だからといって美月ちゃんをどうこうしようとは思っていないんだ。

これまで苦労していた分、幸せになってほしいって思う。今は黙って

見守ってやりたいんだ。今の俺には彼女を社会的に守ることはできないけど、もしも将来再び俺に助けを求めてくるようなことがあったら、そのときは

全力で全てから美月ちゃんを守ってやりたい。

そのために、これからはきちんと将来のことを考えて真面目に勉強して

しっかり努力していくつもりだ。世間一般的にみれば許される感情ではない

ことは理解しているけど俺はこの気持ちを大事にしていきたい。

美月ちゃんと出会えて俺は幸せだよ」


 黙って俺の話を聞いていた沢田だったが、やがてゆっくりと口を開いた。


「恋愛ってのはいろんな形があるからな、世間的にみて、よくないからダメ

とは俺にはいえんよ。お前の過去も知ってるから尚更だ。

お前が大人になって、その美月ちゃんも大きくなれば何の問題も

なくなるわけだしな。10歳以上歳の離れた男女の結婚は珍しくないし。

そのためにはお前は少なくとも10年は待たなければいけないけど」


「10年か。なんか気が遠くなる話だな。でも待てるような気もするよ。

ちゃんととした大人になるまで俺もそれなり時間がかかるような気がするから

応援するよ」

「ありがとな、沢田」


 沢田の優しさが胸に沁みる。


「沢田、オトナになるってさ、誰かをちゃんと守れる人間になるってこと

なのかもな。今まで俺はそのことに気が付かなかったよ」

「うわっ、なんかお前、映画の主役みたいなキザな台詞吐いてやんの!

ま、俺もそう思うけどね」


 そういうと沢田は笑った。釣られて俺も笑った。

殴られた後が引き攣れて傷んだが、それでも俺は笑いたかったんだ。



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