第1話

 バコタ地方は”最果ての地”あるいは”開拓の地”とも呼ばれている。

 地理的な特徴といえば、東側に切り立った山がそびえ、北側に深い森が広がり、西側には古代の遺跡群がある。そのどれもが魔物の巣窟そうくつだ。

 租税は限りなく低いが、好き好んで移住する者などいない。

 住人の構成は、ごく少数の土地の者と、中央で迫害されている亜人や何らかの理由で流れて来たあぶれ者。

 そして、一攫千金を狙う冒険者たちである。

 バコタ地方で一番大きな集落、クルトの町にある冒険者ギルドは、昼夜を問わず騒がしい。

 冒険者への仕事の斡旋や報酬の受け渡しといった基本業務の他に、食事処と酒場も兼ねているからである。

 これには冒険者たちも知らない不名誉な理由があり、何かと問題を起こす荒くれ者をできるだけ同じ場所に集めることで、町への悪い影響を最小限に抑えるための措置であった。

 その日、ギルドの受付にフードを目深に被ったコート姿の冒険者が、ふらりと現れた。

 長い取っ手と滑車のついた奇妙な鞄を引きずっている。

 ロビー内にいた同業者の一部が、それとなく観察している。


「来たぜ、フード野郎だ」


 彼は半年前くらいにやって来た、噂の新人ノービスだった。

 若い男ということ以外は、何も分かっていない。

 冒険者の仕事の花形は魔物の討伐であるが、その他にも現地調査や要人の護衛、貴重な薬草や鉱物などの探索、雑務などがある。

 そしてこの新人は、探索専門の冒険者だった。

 それだけならば、腰抜け野郎と蔑まれるだけで済んだだろう。

 彼が注目される理由は、クエストを達成するまでの期間と達成率だった。

 ごく短期間で、必ず対象の品を持ち帰る。

 しかも高難易度のクエストばかりを、連続で達成し続けているのだ。

 冒険者には、実績によって階級クラスが定められているが、冒険者登録をして半年の新人ノービスであるにも関わらず、彼はすでに五段階のうちの三段階目、翼竜級ワイバーンクラスに昇格していた。

 これは実働十年くらいのベテラン冒険者の多くが属している階級クラスであった。


「待っていたにゃ、少年」


 受付にいたギルド職員が、カウンターをひらりと飛び越えた。

 少し癖のある豪奢ごうしゃな金髪から、人のそれとは異なる大きな丸い耳が突き出ている。

 瞳の色も金色。しまりのない口元からは鋭い牙が覗いていた。

 それは、獣人の少女だった。


「さ、こちらに来るにゃ」


 二人が向かった先は、個室である。

 若者はフードを下ろした。

 まだ若い。十代の半ばくらいだろうか。黒髪黒目のひょろりとした少年である。

 目つきは鋭い。あどけなさや無邪気さといった、愛想にかかわる要素がすっぽり抜け落ちた、憮然とした顔つきだった。

 ソファーに腰を下ろすと、少年は鞄からガラス製の小瓶を取り出した。

 中身は、鈍い銀色に輝く粘土の高い液体。


「ほへー、手に入れたんだぁ!」


 獣人の職員は感嘆の声を上げた。


「ギリアントビーの蜂蜜はちみつ! それもハルスの花の蜜を多く含んだ銀蜜――ありえねぇ!」

「偶然見つけた」

「偶然で見つかるものじゃないにゃもが。まあこれで、依頼主は救われるにゃよ」


 依頼主の事情を少年は聞かなかったし、獣人もまた、少年がどのようにしてこの希少価値の高い蜂蜜を手に入れたのか、聞かなかった。


「銀蜜は希少価値がとても高いにゃ。その昔、タチの悪い闇商人が、水銀を使った偽物を出回らせたことがあってにゃ」


 ガラス瓶を傾けながら、猫耳の獣人は目を細める。


「だから、鑑定するのに少しだけ時間が欲しいにゃ」


 少年――ジンは無表情のまま頷いた。


「十日くらいしたらまた来るにゃ」 


 ジンは預かり証を受け取ると、冒険者ギルドを後にした。



 



 フード野郎はクルトの町でいくつかの買い物を済ませると、馬車に乗り込んだ。

 向かった先は、北方にあるセリカの村だった。

 馬車を降りると、南側の門から村に入り、そのまま北側の門から出て行く。

 彼の後をつけていた三人の冒険者たちも、北側の門へと向かった。


「これは冒険者のみなさま。どこにいかれるのかな?」


 不穏な動きを察知したのか、村人のひとりが声をかけてきた。


「あ、ああ。クエストでな。北の森へ向かう」

「およしになった方がよろしいかと」 

「どういうことだ?」

 

 冒険者のひとりが問いかけると、村人は親切に教えてくれた。

 この森は村では”魔の森”と呼ばれており、立ち入りが禁止されているのだという。


「そのわりには、見張りもいねぇじゃねぇか」

「森に立ち入らない限り、魔物に襲われることはありませんで」


 冒険者たちは、ひそひそと話し合った。

 彼らはフード野郎を尾行していた。

 その目的は、フード野郎の秘密を探ること。

 そして機会があれば、彼を殺害して財産を奪うことである。

 うだつの上がらない冒険者の中には、このようなやからも存在するのである。もちろん、目撃者がいた場合は罰せられるのだが、深い森の中で襲えば問題はない。

 相手は探索専門の新人ノービス

 実力で遅れをとることはないのだ。


「魔物ごとき、蹴散らしてやるさ」


 そう言い残して、三人の冒険者は”魔の森”へと入っていった。

 森の木々は不気味なほど曲がりくねっていた。葉は大きく、分厚く、黒々としていている。陽の光はほとんど差し込まない。

 獣道についた二本の筋――滑車の跡を頼りに、冒険者たちは進んでいく。


「なんか、感覚がおかしくねぇか?」


 ひとりが立ち止まった。


「あ、ああ、まるで二日酔いにでも、なったみてぇだ」

「まさか、精霊の仕業か?」


 森に住むといわれる古い精霊の中には、侵入者を惑わす存在もいるという。


「くっ、どうする? 引き返すか」


 ブゥン、という羽音が聞こえた。

 森の木々の間を縫うように、何かがこちらに飛んでくる。


「なんだ? 虫か?」

「ハ、ハチだ!」


 ブゥン、ブブゥン。

 その数は、一気に増えていく。

 よく観察すると、縞模様は青色と黒。

 しかも、一匹一匹が子供の拳ほどの大きさがあった。


「ギ、ギリアントビーだ」

魔虫まちゅう、だと? こんなところで、聞いてねーぞ!」


 ブブゥン、ブブブゥン。

 前後左右、そして頭上。おびただしい数の巨大蜂に、取り囲まれる。


「う、動くな! 攻撃したら、終わるぞ。木になりきるんだ!」


 全身に冷や汗を流しながら、三人の冒険者は硬直する。

 しかし、無慈悲にも――

 討伐者から最も恐れられている魔物のひとつであるギリアントビーは、一斉に襲いかかってきた。






 ジンが家に帰ると、一匹の美しい蜂が飛んできて、ジンの外套の胸のあたりにくっついた。

 ずんぐりとした体型で、虹色に輝いている。

 

『オカエリ……』

「女王がひょいひょい巣箱から出てきちゃだめだろ?」


 森の中にぽっかりと開いた空間に、苔むした石造りの家がある。

 周囲から聞こえてくるのは、小川のせせらぎの音と虫の羽音。

 ブブン、ブブゥン。

 ジンの周囲に数匹の蜂が集まってきた。

 縞模様は青と黒。ギリアントビーの兵隊蜂だ。


「どうした? 兵隊蜂がちょっと興奮しているみたいだが」

『森ノ侵入者、排除シタ』

「村人か?」

『違ウ。余所者、三人……』


 ジンと会話をしているのは、胸にとまっている虹色の蜂――ギリアントビーの女王蜂である。

 ジンはこの魔精霊バディにハチ子という名前をつけていた。

 もっとも、言葉を口にしているのはジンだけで、ハチ子は念話テレパシーを使っている。


「クソがっ」


 後ろから馬車がつけていたことは認識していたのだが、まさかここまで来るとは思わなかったのだ。


「こちらの犠牲は?」

『五……』

「ちっ」


 ジンはハチ子に巣箱へ戻るように指示すると、兵隊蜂の案内で現場へと向かった。

 森の入口から少し入ったところに、三人の冒険者が死んでいた。

 まるで拷問でも受けたかのような死に顔だった。


「誰だ?」


 ギルドには何度も足を運んでいるが、顔見知りといえるのは、受付担当の獣人娘くらいである。

 おそらくこの男たちは、自分のことに目を付けて、嗅ぎ回っていたのだろう。

 ジンは冒険者たちの周囲に散らばっていたギリアントビーの屍骸しがいを集めると、家の敷地内にある鉢塚ハチづかに葬った。

 ハチ子によれば、意味不明な行為なのだという。


「放っておくと、ギルドから探索クエストが出るかもしれないな」


 探索クエストの中には、行方不明となった人間の捜索も含まれる。

 セリカの村人たちが、三人の冒険者が森へ入るところを目撃しているかもしれない。

 ならば、正直に話すまでだ。

 ジンはセリカ村の村長に、冒険者たちがギリアントビーに襲われて命を落としたことを告げると、金を渡して後始末を任せた。

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マクスウェル養蜂所には来るな 箸拾稿 @sei

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