マクスウェル養蜂所には来るな

箸拾稿

プロローグ

 魔精霊降臨式バディセレモニー

 それは前世の絆、あるいは因縁を手繰り寄せる召喚魔法の儀式だ。

 魔精霊バディは、時空を超えて現世に顕現けんげんする。

 ただし、呼び出された魔精霊バディが主の力になってくれるとは限らない。

 前世の関係で強い恨みを抱いていた場合、問答無用で襲いかかってくることもある。

 すべては因果応報。

 身に覚えがない、理不尽だと嘆いたところで意味はないのだ。


「古の協定に則り、顕現せよ。我、汝とのついの契約を結ばん。召喚――」


 冒険者育成学校の地下にある儀式教室でジン・マクスウェルが呼び出した存在ものは、小さな生き物だった。

 ぷっくりと太った、乳白色の芋虫である。

 まるで喜びを表現するかのように、ジンの手の平の上で芋虫はぷるりと震えた。

 教室内で彼を見守っていた同期生たちが、ざわざわと騒ぎ出す。


「み、みなさん、お静かに! 神聖な儀式の最中ですよ!」


 中年の女性教師が、動揺したような声で静めようとした。

 

「ま、魔虫まちゅう?」

「う、うそでしょ!」

魔精霊バディが魔虫とか、聞いたことないぜ」

「あいつ、前世で何を飼ってやがったんだ?」

「気持ち悪い」


 魔精霊バディには様々な動物が存在するが、昆虫類だけは呼び出せない。

 そのはずであった。

 何故ならば、心情を共有できない昆虫と縁を結ぶことなど、ありえないからだ。

 しかし、みなの注目を浴びていたジンは、納得の表情を浮かべていた。


「先生」

「は、はい。なんでしょうか」

「少し考えたいことがありますので、早退させていただいてもよろしいでしょうか」

「え? あ、あの――マクスウェル君?」

「では、失礼します」


 ジンは弱々しい魔精霊バディをハンカチに包んで慎重にポケットに入れると、悠然とした足取りで儀式教室を出て行った。






 魔精霊降臨式バディセレモニーを行うと、召喚者は前世の記憶が一部蘇ることがある。

 といっても、通常は漠然としてよく思い出せない、霞のようなものだ。

 その点、ジンの記憶は鮮明だった。

 彼の前世は、“地球”という星の“日本”という島国の民だった。

 子供の頃、学校に通っていたジン――もちろん名前は違っていたが――は、家庭では育児放棄ネグレイト、そして学校では暴力を伴う苛烈かれつないじめを受けていた。

 ついには不登校になると、彼は田舎の祖父の家に預けられることになった。

 祖父の家は人里離れた山の中で養蜂ようほうを営んでいた。

 そこで彼は、ひとつのコロニーを分け与えられた。

 もちろん、蜂蜜はちみつをとることが本来の目的なのだが、彼にとってはどうでもよかった。

 ただ教えられた通り、作業をこなすだけ。

 やりがいや目的意識などは、すでに放棄していた。

 傍目はためには、彼は甲斐甲斐しく巣箱の世話をしているように見えた。

 温度や湿度を管理し、スズメバチが襲ってきた時などには、果敢にもほうきを振り回して追い払った。

 そうしているうちに、言葉では言い表せない奇妙な感覚を受けるようになった。

 信頼関係などというあやふやなものではない。

 もっと強い、鮮烈な絆。

 まるで自分自身がコロニーの中の重要な器官として組み込まれたかのような。

 防護服などいらない。

 彼らが自分を襲うことなどあり得ない。

 それは、少年が初めて感じることができた安らぎであった。


「……結局、生まれ変わっても、変わらなかったというわけか」


 ジン・マクスウェルは記憶の中の自分に苦笑する。

 この世界でも、彼はひとりきりだった。

 陰湿で、冷淡で、コミュニケーションが苦手。いじめられなかったのは、ひとえに家の威光のおかげだろう。

 魂に刻み込まれた性質は、変わらないということか。

 しかし、唯一心を許せる存在が、来てくれた。


「前世では、ツキノワグマとかいう獣にやられて死んでしまったようだが」


 今度こそは――

 ジンは決断した。

 その日のうちに、両親に対して相続権の放棄を宣言すると、マクスウェル家が直轄している辺境の飛び地に引きこもることにしたのだ。

 冒険者育成学校には、退学届が提出された。

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