#03
子供の頃から人付き合いが苦手で、誰とでも仲良くなれる人はみんな怪物みたいに見えた。思考も行動も理解出来ない、怪物。誰かに優しくされる度に、怪物に襲われるようで怖かったから、逃げ出した。
でも周りからしてみたら俺の方が怪物で、相容れないのは当たり前だ。本当は怪物なんてどこにもいない。いるのは俺の胸の内だけだ。
俺にも怪物と一緒に仲良く手を繋いで暮らしていける日が来るのだろうか。
想像もつかないけども。
「豚の角煮煮る時、一緒に大根入れないの?」
「えー、うち入れない。うまいの?」
「うまいよ。人生で知っておくべき大事なものを逃してる」
今日は久しぶりに土曜の午後に来て、日曜までゆっくり過ごすコース。床にごろごろと寝転がりながら、夕飯の支度をする嶋野の後ろ姿を眺めてる。騒がしい町よりも自分の部屋が好きだから、どこかに行くわけでもないけど。のんびり映画のDVDを観て、ちょっと昼寝して。そういう穏やかな時間を過ごすのが好きだ。
嶋野が家に来るようになる前からそういう風に休日を過ごしていたけど。誰かと一緒に観たい映画ってあるんだなと思うようになった。
「なあ、チャーハンにレタス入れていい?」
「いいよ。チャーハンのレタスは容認派」
「レーズンは?」
「チャーハンのレーズンは許容しがたいが、サラダのレーズンは否定しないな」
「えー? 俺、サラダのレーズンもやだよ」
俺と嶋野は全然違う生き物で、たまに何でこいつと一緒にメシ食ってんだろうと思う。嶋野は俺なんかと一緒にいてもメリットはないだろうに。だって棲む世界が全然違う。
大学時代から一人暮らしをしてきたから、掃除や洗濯はそれなりに出来るけど、台所に関しては嶋野にすっかりまかせきりだ。
「今の家電は優秀だから、炊飯器も洗濯機もセットしてボタン押すだけでいいけどさ。それと比べると料理はかなり面倒な作業だと思って。やれば出来るのかもしれないけど……」
「料理は作業じゃないよ! 作業だと思ってるから、浅川はいつまで経っても料理が出来るようになれないのだ!」
「……のだ、って……。別に、出来るようになれなくてもいいし」
「せっかく2口コンロがあるのに、勿体ない」
「……どうせ嶋野が作ってくれるし」
「浅川にしては随分可愛げのあることを」
たまには、たまにはね。
豚の角煮とチャーハン。今日はコーヒーではなくてジャスミンティーを用意してみた。
「浅川って、食い方きれいだよね」
「そう?」
嶋野はいつも何か楽しいことを求めるような目で人の顔をじっと見るから、なんだか臆してしまう。面白いことなんか何も言えないし、ふざけるのも苦手だし。きっと嶋野が求めるものには何一つとして応えられないと思う。
食後は大体、砂糖なしコーヒー多めのカフェオレを淹れる。
嶋野が言うにはブラックコーヒーのままだと胃を荒らすからという理由なのだけど、俺のはコーヒーと牛乳が9:1、嶋野は7:3にしている辺り、ただ単に甘いコーヒーは好きじゃないけど、苦いのも飲めないってだけなんだろうなと思う。
「先に牛乳入れんの?」
「熱いコーヒーに冷たい牛乳を注ぐと、タンパク質が熱変性するから」
「カフェオレ飲むのに、そこまで考えてる奴はいねえよ」
カフェオレを淹れるのは俺の分担だけど、これは料理とは呼べないよな。
食事をしながらアルコールを飲む日もあるけど、2人とも強い方ではないので、あまり量は進まない。
ベッドを背もたれに映画を観ていると、ベッドに寝転がってる嶋野が俺の頭を撫でてきた。まるでひなたぼっこしてる猫を撫でるみたいに。最初の頃は手を払いのけていたが、いちいち構うのが面倒になったので、今はもう放っておいている。
嶋野のそういうところ、寂しがり屋で人懐っこく甘えてすり寄ってくる猫みたいだ。そう思っているのは内緒の話。
1人でいるのが嫌だから、誰かといたい。その誰かって、誰でもいいんだろうか。都合がいいから俺なんかでもいいんだろうか。
嶋野はいつも誰かと一緒にいるのが基本だけど、俺にとっては1人でいるのが基本で、誰かといるのは応用だから、焦って空回りしてばかりだ。
あいつの孤独は戦うものだけど、俺の孤独は寄り添うもので。コップに水が半分入ってたら、あいつは「まだ半分ある」って思うけど、俺は「もう半分しかない」って思ってしまう。
全然違う人間だからって付き合わない理由にはならないし。まあ、コーヒーと牛乳を別々に飲まなくても良いわけで。合わせればカフェオレになるというのを楽しめばいいだけだ。頭ではわかってるのに。本当ははっきりした理由なんかいらなくて、自分達が納得出来ていれば充分で。それでもわかりやすい言葉を確固たる理由を、証拠として求めてしまう。
「あー、それ知ってる。俺、映画で観たことある」
会社の隣の席から嶋野の笑い声が聞こえてくる。
その映画、俺と観たやつじゃん。
足下でにゃあにゃあ鳴いてた子猫が、自分以外の人間に懐いたって不自然なことじゃない。でも、なんでかな。ちょっといらっとする。
「浅川、おまえ何にする?」
「……はい?」
パソコンのディスプレイから顔を上げると、嶋野がもみじ饅頭のカラフルな箱を持って立っていた。
「高坂さんの実家が広島で、もみじ饅頭買ってきてくれたんだよ。抹茶とカスタードとチョコとー」
「残ったやつでいいです……」
「じゃあ、つぶあんにしとけ」
ひょいとつぶあんのもみじ饅頭を手渡された。
浅川っていつもぼーっとしてるよな、とみんなが笑うので、適当に愛想笑いでかわす。ぼんやりしてるんじゃなくて、輪に入るきっかけが掴めないし、入ったとしても居心地悪いから、何にも気付かない振りをしてるだけだ。周りと上手いこと折り合いが付けられない自分がもどかしくて、時々腹が立つ。誰とでも上手くやれる嶋野のことを、羨ましいとも恨めしいとも思わないけど。本当に、何で俺を選んだんだろうって思う。
「焼きビーフンっておかずだろうか」
「おかずじゃないの?」
「だって米で出来てるのに、米をおかずに米を食べるのはおかしい」
「おまえが言い出さなかったら、俺一生ビーフンに疑問を持つことはなかったよ……」
今日の夕飯は、野菜とビーフンの炒め物と、スーパーで半額になってた小アジの南蛮漬け。
「浅川はほんとよく、そういうどうでもいいことばっかり気付くよなあ」
他人からその言葉を聞かされるのは、何度目だろうか。
嶋野以外にも色んな人にそういうことを言われたし、子供の頃に、疑問に思ったからって何でも訊くのは失礼だと怒られた記憶がある。疑問は解決させたいと思うのは、当然じゃないか。でもそれを口にすると馬鹿にされたり疎まれたりするから、ずっと言わないようにしてた。疑問に思って引っかかってて納得出来ないことを、はっきりさせたいだけなのに。
「……なんで俺んち来るの?」
俺がそう訊くと嶋野は眉をしかめて、一体何を言ってるんだというような顔をした。
「なんでって、別に俺が来たいから来てるだけだよ。それに理由なんかいらないじゃん」
「俺はいるよ。だってここは俺の家だし」
「だって俺、ひとりでメシ食うの嫌いだしさ」
「実家だろうが。家族と食えば良いじゃん。誰かが一緒じゃないと嫌なら、俺じゃなくてもいいだろ」
「浅川の家がいいの、俺は」
「俺には、嶋野が俺の家に来る意味がどうしてもわからない」
「……ほんっとめんどくせえ奴だな」
結局その後は事務的な言葉しかかわさず、嶋野もいつもより早い時間に帰っていった。そのめんどくさい奴にいつもいつも構ってくるのは、おまえじゃないか。そもそもおまえが勝手に家に来るようになって、そのせいで。
俺はこんなんじゃないのに。嶋野が来るようになってから、自分が知ってる自分自身がどんどんと失われていくような気がして。
こんなことをするのは、こんなことを考えるのは、俺の人生として大きな間違いだ。
同じチームの人間が退社したので、最近忙しくて残業する日も増えた。そのおかげで、もう何日も嶋野が家に来てない。慌ただしい方が余計なことを考えなくて済むからいい。でも今日はよりによって、嶋野と2人きりで残業になってしまった。
なんだか気まずい。気まずいのは、たぶん俺だけなんだろうけど。
「俺たちだけになったから、ここ一角以外の電気消そうぜ」
「はあ、そうっすね」
「浅川……おまえその『はあ、そうっすね』って言うのやめた方がいいぞ。その物真似が影で流行ってんぞ」
「え!?」
薄暗いフロアにキーボードを叩く音だけが響く。こういう時に間を埋める為の会話が出来ない。まあ、相手は嶋野だから、俺がそういうの苦手だってわかってくれてるだろうからいいけど。
「終わったー。浅川、まだやってくの?」
「……あ、はい。キリのいいとこまで」
「どうせ残業代出ないんだし、ほどほどにしとけよー」
嶋野が帰って俺だけになった暗いフロアは随分寒々しく感じた。
1人の方がほっとするって、なんだろうな。誰かといるといつもどっかに違和感があって、消耗してしまう。みんなと同じ、にはなれないともうとっくに諦めているはずなのに、ここにきてまたその問題が頭の中を占拠する。
それから20、30分くらいしたところだろうか。そろそろなんとかなりそうかな、と伸びをしていると、誰かがフロアに入ってくるような音がした。守衛さんだろうか。振り向くと、嶋野がいた。
「おいおい、なにさぼってんだよ。あとどんくらい?」
「いや、えっと……帰ったんだと思ってた……」
「ほれ、差し入れ。さぼんないように横で監視してやっから、さっさと終わらせて帰ろうぜ」
あたたかいカフェラテのカップと、紙袋の中にはチョコチップとくるみ入りのスコーン。隣のデスクで自分の分のカフェラテを飲みながら、嶋野はじっとこちらと見ている。
「じっと見られると捗らないんだけど……」
「見られたくないなら早く終わらせないと。がんばれー」
俺も食べたい、と嶋野がスコーンを半分に割るとぽろぽろとくずが机の上にこぼれたので、黙って紙袋の端を破って広げると、俺がかえって邪魔してるみたいだなと少し笑いながら言った。
「浅川、この前さあ、俺になんでうち来るのって訊いたよね」
ぽろぽろと崩れたスコーンのかけらが紙袋の上で小さな音を立てる。
「1人で食べるのが嫌だとか、人と食べるのが好きだとか、料理したいとか、そういうのも勿論あるけどさ。浅川と一緒にいると楽しいからに決まってんじゃん」
チョコレートの甘い匂いとコーヒーの匂いが混ざる。
「浅川は俺と一緒にいて楽しくない?」
「……考えたこともなかった」
「え!? ひどくね?」
「……嶋野が俺と一緒にいるのは、誰かと一緒にいるのが目的で、俺はその手段に過ぎないんじゃないかって。俺が目的な訳じゃなくて、それは俺じゃなくても、別に用は足りるだろうと思って」
俺がそう言うと嶋野は、ちょっと言ってることがよくわかんねえな、と頬杖をついて片手で俺をじっと見るので、思わず目を逸らした。
「えっと、噛み砕いて言うと、目的と手段というのは……」
「そうじゃなくてさ。……誰でもいいんじゃなくて、浅川がいいの。そりゃ誰かと一緒にいたいなって思う時はいっぱいあるよ。TPOによって色んな誰かと一緒にいるけど、でも最優先はお前なの。わかった?」
わからない。わからないので口ごもっていると、怪訝そうに俺の顔を覗き込んできた。
「……そんな価値が自分にあるとは思えない」
「いいとこいっぱいあんじゃん、おまえ。人のこと笑ったりしないし。ちょっといつもと違うことしたくらいで、キャラが違うとかどうのこうの言ってこないし。ブラックコーヒー飲めなくても馬鹿にしないし」
「人間の性質というものは単一ではなくて、多様な性質を併せ持っているものだから……」
「なんだそりゃ。あと判子押す時、いつもまっすぐに押せるのな。曲がったり横向いたり絶対しないの凄いな。それから箸の持ち方きれいだよな。他にもいっぱいあるぞ、浅川のいいとこ。俺しか知らないけど」
「……別にいい」
「え? いいの?」
「うん。嶋野がわかってくれてんなら、それでいい」
俺の言葉に嶋野は猫みたいににんまりと笑って、一息ついてから言った。
「まあ、一番好きなものってあんまり人に言いたくないものだしな」
冷えた指であたたかいカップを握った時みたいな、あのじんわりとした感じがした。
「さっさとこれ終わらせて帰ろうぜ。……って、これ俺が豊田に頼んだ経費報告書じゃん」
「豊田さんに頼まれたんで。でももう少しで終わるし」
「なんでそう無駄にお人好しすぎるかな、おまえは! いーよ、これは俺がやる」
「……手伝ってもらわなくてもいい」
「えー? 元々やるはずじゃない仕事なんだから、いいって。手伝うよ」
「いい。これ手伝わなくていいから、先帰って夕飯作ってて」
カバンの内ポケットから家の鍵を出して嶋野に手渡すと、目を丸くした。
「これ、合鍵……?」
「いやいや、後で返せよ」
わかった、ありがとうと俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。人に触れられるのを不快だと思わなくなったのは、いつ以来だろう。
嶋野はフロアを出ようとして、あっと声をあげてまた戻ってきて。
「あのさあ、あれから考えてたんだけど、焼きビーフンはおかずだけど汁ビーフンは主食だと思うんだよね」
「そんなことずっと考えてたの? ばかじゃねえの」
「おまえが先に言い出したんじゃねえか!」
フロアの電気を消して帰ろうとして、さっきのやり取りを思い出して、思わず笑ってしまった。
こんなのは、俺の人生として大きな間違いだ。でも、わかっていても全力で間違えたい。そんな風に考えるのも、嶋野のせいだろうか。
ブラックコーヒーのままだと苦くて飲めないから、ミルクを足すように。甘さを注げる分があるならば、そこに甘えたっていいのかもしれない。
頭の中がふわりとなって、まっすぐ歩ける自信がないから、歩道に引かれた白線に添って歩く。駅からアーケードを抜けて、通りから路地に入ると、アパートが見える。
俺の部屋に明かりが点いているのを見るのは、誰かが帰りを待っているのは初めてだ。あそこに、俺と同じ時間を過ごしたいと思っている人がいるのだ。
いつかの自分に、怪物と手を繋げる日が来ることを教えてやりたい。
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