第4話 エクスペリエンス1


          ◇◇◇


 サウス・ダウンズ国立公園にそれは起こった。

 古き良きロンドン警視庁によく知られた警部補、ティム・ゴードンに会いに行ったジェイソンとエイボンの二人は、彼によってそう告げられることとなった。

「やぁティム。調子はどうだい?」

「どうもこうもないな。死ぬほど疲れそうだ」

 発言通りにメガネを外した彼の眼の下には、一目見ただけではどうも殴られた後のように見える、メガネで隠せないほどの大きなクマがあった。

 鼈甲の眼鏡をかけ、自慢のちょび髭を手でいじりながら、彼は自分のデスクのイスに気を抜くようにどさっと腰かけた。イスは主の疲れをもらっているせいか、ギシギシと軋む音を愚痴のように漏らしていた。

 その疲れの原因は、あたりを見れば一目瞭然だった。睡魔に襲われ長椅子をベッド代わりに寝ている者、受話器を耳に当て目と舌と手を回している者、会議の場で同僚を前に激昂する者。デスクというデスクすべてが生き地獄であった。

「全部南からだ。ポーツマスだよ」

「…例の事件か?」

 エイボンの低く重い声が響いた。

「ああ、そうだ。串刺し公のお出ましだよ」

 彼は勤務中にも関わらず、見たところぬるくなっているだろう手元にあったビールを開けた。そこまでして飲みたいのかと聞きたくはなるが、それほどまでに彼自身が追い詰められているのか、それともただ単に疲れているのか。

「・・・ティム、依頼者はその串刺し野郎にたいそうガクブルに・・・おなりになっている。こちらも雇われ探偵としてきたんだ。話してはくれないか?」

 われらがティム先生は、「だろうな」と言って眉間に皺を寄せ、目元を軽く揉んだ。

「ガクブルね・・・いいだろう、ただしすべてとは言わねぇ。対価を払えとも言わないが、こちとら調査中なんでね。犯人像と犯行場所、事件当時何が起こったか、あらかたの話なら教えてやる」

 ティムはすくっと立ち上がり、胃薬を安物の缶ビールで飲みこんだ。

「精力剤だ」

 二人は顔を見合して再びティムのほうを向いた。

「さて? 何が聞きたい?」

 彼は缶ビールを持ったまま腕を組み、デスクにもたれかかった。

「犯人像は?」

 ジェイソンは聞いた。

「ない」

「へ?」

 ティムの回答にジェイソンは驚いた。

「え?人じゃない?」

「わから”ない”だ」

 彼は缶を持っている手でジェイソンを指さし、訂正させた。

「じゃぁ犯行場所」

 ジェイソンは苦笑いを浮かべながらすぐさま訊いた。

「でっかい公園の近くだ。ブルーシートがかかっているからすぐにわかる」

 ため息を含んだ声で苦労人はそういった。

「…では、その時の状況を仕事に支障が出ない程度で、教えてもらえますか?」

 エイボンはメモ帳を取りだし、そういった。

「最初の被害者は森林の中で見つかった。名前やどこに住んでいるのかは伏せるが、公園で一家全体が殺害されているのがわかっている。見つかったのは一月のはじめ。最初は男性が防寒具の上から穴が開いている状態で発見され、二つ目は近くのキャンピングカーで一家全体が同じように腹を貫かれた状態で発見された。また、そのとき警察に捜索を願い出た電話があったそうだが詳細は不明」

「詳細が不明?」

 ジェイソンが聞いた。

「ああ。不明だ。話は以上だ。詳しく聞きたかったら俺じゃなくて現地住民に聞くんだな」

 彼はそういうとたばこを取り出し、口にくわえた。先ほど手放せずにいた空いた缶をジェイソンに押し付け、その場から立ち去った。遠くで新人に対し「勤務中にアルコールを飲むな」という声も聞こえる。

「…なんなんだ一体」

 エイボンはゴードンを目で追った。

 ジェイソンはダストボックスに空いた缶を投げ入れ、やるせない笑みを浮かべた。

 缶は入らなかった。



 二人が現場についたのは太陽が西に傾きつつある黄昏時前だった。

 ところどころ林があり、草原が広がる公園。昼にみぞれが降ったのか、夕焼けに照らされて、緑色を失った植物たちが綺麗な橙色に輝いていた。

 こんなに値段をつけられないような景色の中を、そんなにいい値段もしないポンコツ車が横切るのは気が引けるとエイボンは言った。

「…そろそろこのボロ車も変え時だな」

 エイボンはサングラスを通してその流れる風景を見ていた。

 ラジオからは風景に似合わない最近のロックミュージックが流れている。

「そうだな」

 ジェイソンは運転するその手を止めた。

 景色が綺麗だから止めたわけではない。彼の眼は焦りを含み始めたが、そのまま遠くを見つめるように、道のその先を遠い目で見始めた。

「…おい、どうした」

「…」

 少しばかり沈黙が続き。

「エンストした」

 ジェイソンはゆっくり助手席の方へと首をまわし、エイボンの目をみた。

 エイボンは辺りを見渡した。

「…おい。…おいおいおいおい、こんな原っぱでどう帰れってんだ?寝言いうつもりなら寝てな。俺が運転する」

「結構本気で言ってる。ほら」

 ジェイソンは車のカギをガチャと何回も回していた。エイボンはそれをじっと見つつ、タバコを口にくわえた。

「ま、寿命だったし。しかたねぇべ。天寿を全うし我が愛車よ」

「…天寿の前に天命を全うしてほしいもんだよ」

 エイボンは憎いものに当たるみたいにドアを蹴って開けた。

 ドアは当然の如く、吹っ飛んだ。

「おいエイボン…ったく」

 そうすると遠くから車のクラクションの音がなった。

「俺たちの天命は全うできそうだな」

 ジェイソンはその車に手を振った。

「すみませんね、車が故障してしまって」

「いや、いいんですよ困ったときはお互い様です」

 二人を助けてくれたのは初老の男性だった。

 近くで農家を営んでおり、この日は多様な苗を仕入れたばかりでその帰りだった。

 家には同じだけの年月を過ごした愛する妻がいる。その妻に気まぐれで市販で売ってるプディングをも買って、今日もなんでもない一日を過ごすつもりだった。

 そう、なんでもない一日になるはずだった。

「どこまでで?」

 男性は二人に聞いた。

「…詳しい場所はわからないんだが、このあたりに行ってくれないか?」

 エイボンはその男性に地図を渡し、そのまま指をさした。

 その瞬間。男性は顔の血が抜けていくように見えるぐらい、みるみる青ざめていった。

「こ、ここは。あの変な死体が見つかった場所に近い場所じゃぁ…」

「その近くでいい、その道の入り口でいいんだ。あとは歩いて行ける」

 エイボンは何とかして頼んだ。

 男性はハンドルを握った。

「わしは50歳まで生きていたが、こんなに恐怖を感じたヒッチハイクは初めてだよ。まったく、なんのためにそこへ行くんじゃ?好奇心か?怖いもの見たさか?仕事か?」

「そのどっちもですね」

 ジェイソンは苦笑いを浮かべた。

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T.S. 馮姿華伝 @MYSELF2013

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