置いてかないでよ

千佐

第1話

失くしたものと、手放したものは、どっちがきらきらして見えるんだろう。きらきらと、ちかちかと、頭の片隅に、都合よく美化された記憶として、いつまでもしぶとくこびりついて居座るから困る。しばらく思い出さないからようやく消えたのだと思っても、真昼の星みたいに、静かに、けれど確かにそこにあって、夜になればまた、暗い闇に映えて存在を主張する。そういう消えない思い出って誰にでもあるのかもしれないけど、例えば俺にとってそれは、古川睦という人だった。


ーーそうだ、ただの思い出だったはずだ。だから今の状況はありえないし全く理解できない。古川睦、俺の記憶の中でだけ、きらきら光る星のような存在だったはずのその人が、今、俺の目の前にいる。アパートの、コンクリートの廊下に三角座りして、俺の部屋のドアに背中をもたれ、抱え込んだ両膝につっぷしている。


「睦さん」


思わず声をかけた、というよりも、口からこぼれた。何年かぶりに声にしたその名前に、その人はゆっくりと顔を上げて俺を見た。


「うわ、はるくんだ、久しぶり」


うわ、はこっちの台詞だ、今までどこで何してたんだ、ていうかなんであんたが俺んちの前にいるんだ。言いたいことはいくらでもあって、次々と浮かんできては、声にならず喉の奥に引っかかって留まる。4月のぬるい風が首筋をなでて、すこしひんやりと感じ、自分が汗ばんでいたことに気づく。


「アパート、引っ越してたらどうしようかと思った。レターボックスのネームプレート、吉岡のままだったから、はるくんまだここに住んでるんだ、ってわかって」


そうですか、と掠れた声で返すのが精一杯だった。


「泊めてほしいんだけど」

「どこに」

「ここ、はるくんち。泊めて」



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置いてかないでよ 千佐 @ihcmai

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