双玉の春
その間にも言葉は続く。
「水彰神子様は仰られました。忌子の身に宿りしは古来より出ずる土地を守りし一族の力だと。御神様、あなたはそれを否定するではなく肯定した……力を持って生まれことこそが罪と。で、あるならば我々はいったい何であるのか。神の名を冠しながらそのように一部の者を虐げることこそが罪ではありますまいか」
青目神に向けられた訴えはこの場に集まった全ての者に語り聞かせているようでもあった。
真実を知り己が一族の在り方を見詰め直して欲しいと、そんな願いの込められた。
しかし、ある程度の事を悟っていた火茨でも、それを青目神が肯定したという事実に驚かされたのだから、何も知らずに来た皆々は唐突な話に混乱するばかりで到底理解など出来なかったろう。
「此処におります火茨の身は穢れてなどいない……ならばどうしてこのような儀を執り行う必要がありましょう」
簡潔にまとめるなら、今すぐに儀式を中止しろと言っている。
焦ったのは火茨だった。
そのようなことが聞き入れられる筈もない。
公の場で、青目神の怒りを買うだけだ。
「……いったい何の話か心当たりがないが……都輝よ、お前は今自分が何をし、何を言っているのか分かっているのか」
「そ、そうだぞ都輝! 悪ふざけは止めて」
橋の向こうで神子も慌てていた。
けれど姫様は一歩も引かない。
「私は至って大真面目です」
きっぱりと言い切って自ら退路を絶つ。
彼女は覚悟の上で今此処に立っている。
――あの日の夜に、震えるばかりだった姫君はもういない。
「……なるほど」
厭に穏やかで、得心がいったと言わんばかりの調子で青目神は頷いた。
「火茨を好いておるのか……愚行に身を尽くす程だ、もはやその思い止められはすまい。忌子を望む穢れたその心と共にお前も天へと還るがいい」
「父上!」
悲鳴に近い声を神子が上げたのと咄嗟に立ち上がった火茨が都輝姫に手を伸ばしたのはほぼ同時。
そしてその直後、辺りは一面の氷に覆われた。
火茨と都輝姫、二人の立つ場所だけを避けて。
急なことに状況の把握が追い付かない。
腕を掴んだ手は彼女が振り返ったことで解かれた。
伸ばしっぱなしの指に指が絡められそっと握られる。
困ったように眉を下げて姫様は笑った。
規模は分からないけれど四方を囲む氷の壁は彼女の力で作り出されているのだろう。
冷気が頰を撫でる。
「時間がありませんので要点のみをお伝えします」
時間がないと言いながら緩やかに紡がれた言葉に何処かへ飛んでいた意識が引き戻される。
「っ何を考えておいでなのですかあなた様は!」
「あなたの企てよりはずっとマシなことです」
間髪入れない答えに思わず怯む――が、それもすぐに思考の隅へと追いやられることとなる。
絡まる指から体温が消え失せ、痛みを伴う程の冷たさにチラリと視線を向けたことで……。
光を弾く陶器のように艶やかな表面。
白い筋を折り重ねて向こう側を霞ませるも、透明と言えるそれは辺りを覆っているそれと同じ。
都輝姫の手に凍化の症状が表れていることに火茨はギョッとした。
指先から手の平全体へ。
甲を覆って手首に至る。
しかも進行が早い!
「姫様っ!」
「この場に集まった全ての方々を氷の中に閉じ込めています……このままなら保って数秒でしょうか」
同族の力は混ざり合う。
そして主導権は最も才ある者に。
閉じ込められた者達が抗えば抗う程、彼らを捕らえる氷は都輝の意思でもって強固となる。
……しかし、許容を超える力に体は耐えられない。
「ねぇ火茨、私のお願いを聞いて下さいますか?」
「このような状況で何をっ」
「あなたの力で私を暖めて。あなたの力だけが頼りなの」
何を言っているのか、事の真相までは知らない火茨にはさっぱり分からなかった。
そんなことで溶かせるものなら苦労はないだろうとも思ったが従う以外に選択の余地がない。
胴の辺りまで凍って首にも侵食が伺え始めた都輝姫の体を抱き締めてとにかく溶けろ! と願った。
しばらくして、人としての柔らかさが戻ってくるのを感じ取り、あまりの安堵に少しだけ涙が浮かんだ。
ほっと姫様の口から吐き出された吐息が胸元をくすぐる。
「話を続けますが、我々の一族は力によって生み出された氷の中では身動きこそ取れないまでも窒息により死に絶えるということはありません。距離が開けば影響力は弱まります」
「……つまり、あなた様を連れてこの場から全力で逃げろと?」
「あなたが青目の根絶を願うのであれば、そのように」
そのように、と言われてもこの状況では手の出しようがない。
仕掛けた火薬に火を灯そうと強固な氷が彼女の血族を守るだろう。
もし願ったとして、手を下すのは都輝姫となる。
同族を殺せと願う?
そんなことをしてみろ。
あの世で薊に会った瞬間、殴り飛ばされた上で開口一番に絶縁を言い渡されるに違いない。
「萍は?」
「蓬を連れて先に二つ隣の東の村へ」
物を揃える際に協力を頼んだ相手がそこ住んでいるので、訪ねるよう手紙に書いたのは火茨である。
額を――面の上から押さえて悩む。
萍が村から出られたのであれば、憎悪はあれど根絶やしを望む程ではない。
だから許す、という話でもないが。
「青目神だけは見逃せません」
神を語る男の息の根を止められるなら他は構わない。
蓮の時も、薊の時も、指示を出していたあの男のことだけは譲れない。
……だが、運命というやつはどうやったってあの男に肩入れしたいらしい。
「申し訳ありません、庇うつもりは更々ないのですが……氷を維持しようと思うと細かなことまでは出来なくて」
言葉通り申し訳なさそうに姫様は言った。
ならば自分が炎で溶かしながら青目神だけを引きずり出せば……いや、その間も姫様のことは暖め続けなければないし、此処で放り出して復讐を叶えたとして、やはり薊には絶縁を言い渡されることになるだろう。
死者への手向けの為だけに賭けて良い命ではない。
萍をこの場に残すべきだったか。
「……憎らしいのはどっちですか」
姫様に非がないことは勿論、理解していたけれど……。
諦めなければならないことに恨み言の一つや二つ、言わずにはいられなかった。
仕方ないだろう。
「火茨、」
「守ってやれなかったんです。せめて共に眠るくらいはしてやりたかったのに」
「……ごめんなさい」
腕の中に収まったまま、お互いの顔が伺えるだけの距離を取ると姫様は両の手を伸ばしてきた。
頰を包まれる。
見詰める先の海色の瞳は変わることなく美しい。
切なげに揺れて自分を求めるその色に確かな欲が湧き上がる。
「私はあなたのように大人にはなれなかった……欲しいものには欲しいと手を伸ばす、傲慢で無責任な子供なんです」
それで人の命を救おうと言うのだから大したものである。
「生きて下さい」
「……あなた様は本当に愚かな方ですね」
彼女が全てを投げ打つに値するだけの価値など自分にはない。
それでも欲しいと手を伸ばされて、くれてやらない理由が何処にあるというのだろう。
後ろ髪を引かれる思いはあるものの、これを怒る姉を持った記憶はない。
*
「……で、だ。どうにかこうにか村からは逃げ延びた訳だけど……そのまま素直に結ばれておけばいいものを面倒なところで面倒な性格を押し出してくる兄さんが遺憾無くそれを発揮して……惚れた弱みか、
縁側でみたらし団子を頬張りながら行儀良く並んで座る姪っ子甥っ子たちに、彼らの父母の馴れ初めを一から聞かせてやっていた萍は感慨深げに一人、しみじみと頷いた。
因みに団子は都輝の手製である。
もちもちとして程よく甘辛くとても美味い。
何とはなし空を見上げて団子の味を噛み締めていれば、ぼんやりとし過ぎたようで続きを望む子供たちにせっつかれた。
じゃあ何処で結ばれたのって。
うんうん、疑問に思うよね。
長年一緒にいる萍も当時より思い続けている。
どうしてそこで結ばれなかった。
言葉には出さずとも良い雰囲気に……なることもあったが、ことごとく躱し続けて。義姉さんを好いている癖にそれを
そんな馬鹿な兄の言い分としては村を出たのだから幾らでも出会いはあろうし、自分と結ばれるよりずっと相応しい相手も見付かるだろう、姫様の心が変わる可能性もある……とのことで。
やっぱり馬鹿だった。
まったくもって同意しか出来ない――いや、兄さんにも良いところはたくさんあって尊敬も出来る素晴らしい人なのは間違いないのだが、義姉さんがそれ以上に高嶺の花だったことも事実である。
それでも、兄さんしかいなかった。
兄さんでなければ駄目なのだというその心が変わることがないということは誰にだって断言出来た。
だってそうだろう?
救いたいと伸ばした手を跳ね除けられて、心無い言葉を吐きつけられて……薊姉さんが天へと還った直後に離殿を訪れ、涙を零した都輝義姉さんの姿はよく覚えている――あの後、飛び出した義姉さんが向かった先は洞窟の天還の間だった。曰く、薊姉さんに許しを乞いたかったのか……血の繋がりこそないまでも姉に近しく、友と呼び信頼を寄せていた相手に無意識の内に頼ろうとしたからなのか、それは今思い返しても分からないという。忌子として逝った赤目の子らに墓標はない。だから、その場所が薊姉さんの墓場と言えることだけが確かなことだった。
他に縋るものもなく、泣き崩れて途方に暮れて……そんな彼女に追い付いて、話を聞いた萍は初め、何を言って良いか分からなかった。大切な姉を亡くした直後にその必要は何処にもなかったと聞かされたのだ。混乱もしたし、都輝を問い詰めたい気持ちが無かったとは言わない。感情のままに責め立てることも出来た。けれど、自分たちを助けたいのだと泣く女の子を前にしてそんな酷いことがどうして出来るだろうか……火茨兄さんは、必要と思えばやってのけるけれど。萍には到底不可能なことである。
薊姉さんは助けられなかった。
だからこそ、火茨兄さんまで失うのは嫌だった。
義姉さんに手を貸すことを決めるのに時間なんて必要なかった。
大体、火茨兄さんは独り善がりが過ぎるのだ。
いつだって人には安全ばかり押し付けて、自分一人で無理をして……。
兄さんの隣に立ちたくて仕方がないこっちの気も知らないで。
話が逸れた。
ともかく、そんな辛辣な態度を取られてなお、兄さんを助けたいと手を伸ばし続けた義姉さんは、それからの二年間を口も利かずに過ごしている。
何処の馬の骨とも知れない相手に心変わりするというならその時既に義姉さんの心は水彰神子にでも奪われていたことだろう。
火茨兄さんへの当たりがキツかったので萍はどうにも好きになれなかったが、よくよく観察していると単純かつ根は素直。都輝にはとことん甘く、颯爽と前を歩く彼女に追い付こうと必死に努力していた。村を出ることなく結ばれていればそれはそれで幸せな暮らしを送れていたのではないだろうか。
運命とはかくも数奇なものかと言いたくなる程に紆余曲折、苦難に次ぐ苦難……なんて旅路を歩まずに済んだことは間違いない。
火茨が頼った、緋目村から二つ隣の東の村に住んでいた男は悪い人間ではなかったのだけれど……酒癖と賭博癖の酷い男で……あれのせいで幾つの不要な苦労させられたことか。小心者で、そういう男だったからこそ火茨兄さんが忌子と呼ばれていることを知りつつも手を貸してくれた部分があったことは理解している。調子の良い男でもあって、一緒にいると情報収集には事欠かなかったし……手先も器用で頭も回る。火茨兄さんが手綱を握ってさえいれば、頼り甲斐すら感じられた男だった。
子供だけじゃ目を引くだろうと途中まで旅を共にしてくれた男は、立ち寄ったある村の娘に惚れ込んで、そこで別れることとなった。
男の思いが通じたかは分からない。
正直、脈はないように見受けられたが、まあ、どうであれその日暮らしを楽しんで生きているような悪運の強い男だ。
それなりに元気に過ごしていることだろう。
男と別れて旅の供が減っても火茨兄さんと都輝義姉さんの関係に進展はない。
進展はないのに、たまに二人だけの空気を作って萍に居心地の悪い思いをさせる……いや、もう本当にさっさと結ばれてくれと何度思ったことか。何も知らずにすやすや気持ち良さげに眠る蓬だけが心の癒しだった。
成長するにつれて体を鍛えることに傾倒し始めた妹は今や下手な男より男らしく育ってしまったが、それも妹らしさの一つと思えば可愛いものである。
……とかなんとか、噂をすれば何とやら。
数日後に催される村の祭の手伝いに呼ばれて朝から力仕事に出ていた蓬が帰ってきたようだ。
ひょっこり顔を覗かせた彼女に、中々進まず長くなるばかりの話に飽きてきていた甥っ子たちがすぐさま飛び付いた。
疲れているのだと言ってそれを軽くあしらった蓬は寝床を確保すると当たり前のように萍の膝を枕にして横になる。
不満の声が上がっても何のその。
太々しい。
だが憎めない。
みたらし団子はいらないか、と声を掛けると閉じたばかりの瞼をゆっくりと開き、視線を寄越してきたので食べ掛けのそれを軽く振って見せびらかしてみる。
体を起こした彼女は萍の手首を捕まえると串に刺さっているうちの一つを攫って、また横になった。
自由気ままな振る舞いはまるで猫。
大人しいのも寝るのが好きなのも赤子の頃より変わらない。
蓬を放って自分たちで遊び始めた甥っ子たちと違い、まだまだ両親の馴れ初めに興味が絶えないらしい姪っ子たちに再び話の続きを促される。
それだけ進展がないのなら結ばれず終いじゃないのかと。
いやいや二人が結ばれていなければ誰が萍の甥や姪を産めるというのか。
蓬?
人の膝を枕にしている妹に決まった相手がいるというなら、是非とも教えて欲しいものである。
兄さんと一緒に顔を拝みに向かわなければ。
第一これはまだ十三。長男は九つ。年齢が合わない。
……話しを戻そう。
ずっと変わらずにいた二人の関係にその兆しが見え始めたのは、今いる村に身を寄せることを決めてしばらく経った後。流石に痺れを切らした義姉さんが、兄さんの胸倉を掴んで詰め寄ったのである。
あなたの為に全てを捨てて村を出たのにいったい他の誰を選べと言うのかと。
真正面から問われては兄さんに躱す
期限を定めた。
義姉さんが十五の年を迎えるまで。
それまで待って、やはり心が変わらないというのであればその気持ちに応えると。
村を出て一年は旅を続けてきた。
今の村に留まると決めてから一年。
新たな村で初めて迎える新たな年が、義姉さんの齢が十五となる年だった。
高々一年の間にうちの兄さんを越えられる存在が現れよう筈もない。
自分の他に、なんて言いつつ降り掛かる火の粉も寄ってくる変な虫も全て払い切ってしまうのだから。兄さんに惚れ込んでいる義姉さんの頭に、他の男の顔が過ぎる日なんてあっても遥か彼方のことだった。
……完全な余談となるが、皮肉屋な一面の裏に隠して本人には真意を悟らせない辺りが兄さんの恐ろしいところだと思う。
ふとした瞬間に気付くと、既に過保護に扱われることに慣れ切っている自分がいるのだ。
そんなこんなで、思いが深まることこそあれど薄らぐことはなく、約束の年を迎えてから婚儀を執り行うまでの期間はこちらが呆気にとられるくらいに短かった。
何せ兄さん、都輝義姉さんが十五となったら彼女の気持ちが何処にあろうと白無垢を贈ると決めていたようで、何から何まで準備を整えていたのである。
何度も繰り返すようだが馬鹿だと思う。
いや、馬鹿だろう。
贈るにしたって何で白無垢。
しかもその計画を水面下で進めて、こちらには一切気付かせなかったという……相変わらずと言えば良いのか何なのか。
現時点で二男二女。
子宝にも恵まれ、幸せそうに暮らしている兄夫婦を見ているとそういったことを全て含めて、悪いものではなかったように思えてくるから憎らしい。
一発その顔を殴ってやりたいところであるが、殴り掛かっても避けられるばかりで当たらないのが目に見えている。
腹が立ってくるだけなのでやらない。
「……言いたいことがあるなら直接俺に言ったらどうだ、萍」
蓬と同じく手伝いに出ていた兄さんが戻ってきたようだ。
視線を向けると報酬だろういくつかの野菜がその腕の中で山積みに。
いくら男より男らしく育ったと言っても可愛い妹には持たせない辺りが兄らしい。
眉間に皺を寄せる火茨に萍はにこりと笑って首を傾げた。
「うん? なぁんの話か分からないな」
団子を食べ切って串を指先で遊ばせる。
ひとまずおかえり、と言葉を足せば皺を深めながらも「ただいま」と返してきた。
兄さんには悪いが昔のことを思い出すついでに出てきた恨み言なので本当に今これといって言いたいことがある訳ではない。
過去を掘り返すなら、一夜だけでは足りないくらいに色々とあるのも事実だが。
戻って来る頃合いを見計らって話を引き伸ばしていた甲斐があったらしい。
父様お帰りなさい! と先程までの行儀の良さは何処へやら。甥っ子も姪っ子も自らの父の帰宅を喜んで駆け寄っていく。
萍に向けられていた意識はもはや全て火茨の元だ。
はー、やっと解放された。
四人分の子供の元気についていくのは、これでかなりの重労働なのである。
あっちやこっちにと腕を引っ張られてやる気力が今日はなかった。
代わりに喋り疲れた喉をお茶で潤して休ませる。
きゃっきゃっと騒ぐ、最後まで話を聞き切った姪っ子たちは早速その報告を始めたらしい。
「萍の伯父様には父様と母様のお話を聞かせてもらっていたのよ」
長女の蓮が屈託のない笑みを浮かべて言った。
「父様は昔から素直じゃなかったのね」
揶揄い混じりの声音で続いた次女の薊の言葉を受けて火茨の視線が萍に向く――が、その為に話した込み入った部分を思惑の通りに次から次へと口に出していく姪っ子たちに、羞恥心を煽られた兄は抱えた野菜を名目に厨へと逃げ去っていく。
耳まで真っ赤だったなぁ兄さん。
迫り上がってくる笑いを奥歯で噛んで殺す。
兄さんが都輝義姉さんに願って名付けた、自分たちの姉と同じ名を持つ子らはこれ以上ないくらいに、与えられたそれに相応しく育っている。
兄の後を追う前にこちらに振り返ると二人して綺麗に笑って親指を立ててきた。
上出来だったいう意味を込めて親指を立て返す。
甥っ子たちも、駆け寄った際に野菜の一部を受け取っていたので同じように厨へ向かった。
騒がしさが一気に遠退く。
「あら?」
入れ替わるように廊下の奥から届いた声に振り返ると小首を傾げる義姉さんの姿があった。
子供たちの声を聞いて兄を出迎える為に出てきたのだろう。
「兄さんたちならいただいた野菜を抱えて厨に向かいましたよ」
「そうだったのね」
得心のいった顔で頷いた彼女は置き去りにされたみたらし団子の残骸を片す為に膝をついた。
蓬がいる為、手の届く範囲だけ手伝って指で遊ばせていたそれも残骸の一つとして中に混ぜておく。
軽く言葉をながら、しかし長居をすることはなく片したそれらを抱えて夫と子供らの後を追うその背を見送る。
「仲睦まじきは良き事なりぃってね」
……歩き続けた末に帰路が分からなくなり、もはや望もうと戻れない故郷の人々は今も昔と変わらない暮らしを続けているのだろうか。
此処だけの話、最後の最後まで義姉さんが村に留まる道を残そうとした兄さんの考えは間違っていなかったと萍は思っている。
村の未来を――天還の儀という忌まわしい風習を無くすという意味で――思うなら、義姉さんには残ってもらうべきだった。
緋目村には炎の力の源流がある。
話を聞くに天還の儀の前夜に通された控えの間で兄が見た扉の奥にある『何か』がそうなのではないかと考えている。
力の枯渇が有り得ることかは分からない。
けれど絶えるまで、あの村に忌子は生まれ続けるだろう。
何も変わっていなければ……萍たちが逃げ出したことで忌子への扱いはもっとずっと酷いものとなり、悲劇もまた、繰り返される。
そうならないようにと願った義姉さんは緋目の一族の血引く村の民たちと話を重ね理解を求めた。
真実を記した書をいくつも写して綴り村の至る所に置いた。
全てが全て良いように転がっていればと思いはするものの、こればかりは祈る他ない。
「萍兄さん」
呼ばれて視線を落とす。
妹の色のない声音は淡々と響いた。
「兄さんは幸せ?」
「……幸せじゃない、なんて嘘でも言ったら叱られるよ」
意図はよく分からなかったが萍は間違いなく幸せだ。
幸せ過ぎてこの時間がいつ壊れるかと恐くなるくらいには……。
麗らかな風が吹き抜けて庭先の桜がぽつりぽつりと蕾を芽吹かせながら今年の春の訪れを告げる。
穏やかな午後に彼らの過去を匂わせるものはない。
願わくば、故郷の地で天へと還った姉の眠りが安らかとならんことを。
双玉の春 探求快露店。 @yrhy
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