それぞれの覚悟

 ――天還の儀・前夜。

 新たな年を迎えた慶びに祝いの席を設けて再び巡る一年の幸を願った。

 その余韻も冷めやらぬ睦月も七日のこと。

 常と変わらず与えられる務めをまっとうした火茨はその足で内殿入りを果たした。

 蓮や薊のように不当に扱われる為ではない。

 言葉の通りに身を清め、当日の朝には日が昇らない内より支度を整え始めなければならないことから、前夜より内殿にて時が来るのを待つよう定められているのだ。

 地下に誂えられた一畳一間の控えの間で……。

 入り口正面の粗雑な板張りの壁に背を預け、片膝を立てて座り込む。

 壁と言っても溝にめ込んだだけの簡易的な造りのようで、重心を移動させればその度にカタカタと音を立てた。

 おそらく取り外しが可能なのだろう。

 据え置かれた行燈の灯りだけが頼りの、酷い閉塞感にさいなまれなければならない部屋だが……よくよく見渡せば石造りを基本とする天井や左右の壁、誂えられた戸口には古めかしく素朴ながらも丁寧な細工が施されていることが分かる。

 その細工が板張りの部分で中途半端に途切れているのだ。

 部屋の外に見張り役の衛士が控えてさえいなければ。板を少しずつズラすことで広げた隙間から伺った、壁の向こう側。火の玉で照らし出した通路のように細長い空間。その奥に構えられた重厚な扉の先を確かめに行きたいところである。

 ……それは本能的な衝動で、ほんの少し、抗い難い欲求。

 はっきりと語れる理由はない。

 あえて言うなら直感、だろうか。

 逞しい父の背。

 優しい母のかいな

 そのようなものは知らない。

 知らないままに育った。

 けれど、当てはまる言葉として父や母と呼ぶ以外に言い様のない気配を感じる……気がする。

 入って来た戸口から部屋を出て、向かいの通路を進めば二人の姉が最期を過ごすこととなった牢がある。

 はらわたの煮え返る思いがふつふつと湧き上がる傍らで、喜びのような、悲しみのような、例え難い安堵を感じている。

 奇妙なことだ。

 なのに気味悪がるどころか、訝しもうとも思えない。

 自分自身のことであるのにまったく理解が出来ない。

 いったい此処はどういった場所なのだろう……。

 浮かぶ疑問を解消するのは簡単だ。

 仕掛けを解いて扉の先に進めばいい。

 しかし、ただの好奇心とも言える欲求を満たす為だけに明日に合わせて準備を進めてきた計画を棒に振る訳にはいかない。

 弟の未来が掛かっているのだから……。

 火茨の立てた計画はこうである。

 まず、天還の儀には青目の一族のほとんどの者が出席する。

 この日に限っては警備を村の只人たちに任せるくらいであるから、危篤の状態にあるだとか余程の理由を抱えた者を除いて衛士も含めた全員が内殿の御神楽の間に集まると考えていい。

 天還の間に移る頃となると立ち合いは青目神を始めとした幾人かに絞られるが……今回の計画には関わりがないので割愛する。

 残される忌子、つまり萍の扱いについてはあまり言及されない。

 常の行事と同じように参列者の端に並び、天へと還る兄弟の姿を目に焼き付けることが慣わしのようになってはいるものの……何も知らないままに見送らねばならない子らの心情を考えれば、他と言っても離殿に籠るくらい。

 わざわざ目を光らせておく必要がないのである。

 なのであらかじめ青目神に願い出て儀式の間は萍を内殿に立ち入らせないよう了承を取り付けておいた。

 当日に弟の顔を見てしまったら未練から決心が鈍るかもしれないと伝えれば二つ返事だった。

 ……代わりにその旨を伝え聞いた萍には酷く怒鳴られるハメとなったのだが。まあ、あの弟の様子から逃亡の企てを連想出来る者はいないだろう。そう考えれば最後の最後に仲を悪化させてしまったことなど些細なことだ。

 御神楽の間にて騒動を起こし、内殿に青目の一族を閉じ込める。

 元より目の向けられていない弟が行事の最中はこちらの手に渡る妹を連れて、騒ぎに乗じ村を出るなど容易いことだろう。

 計画について理由と共にしるした手紙を内殿入りを果たす前にと今朝方渡してきたが、それには念には念を入れて天還の間の隠し路を通るよう指示を添えた。

 内殿に立ち入ることを禁じられた弟が天還の間で待つことを願い出ても何ら不自然ではないだろうし、青目神には、まったく見送らせないのも酷だろうからと強く望むようならそこでの参列を認めてやって欲しいとも伝えてある。

 もしこちらが思う以上に時間を作れなかったとしても天還の間に入ることが叶ってさえいれば、道は外へと繋がっているのだ。

 ……姫様に関しては、本気で村から出るおつもりがあるなら適当に理由を作って自力で合流して下さるだろう。

 正直、手を貸そうにも立場が違い過ぎる。

 動き回って悟られては元も子もなく、弟を訪ねれば分かるようにしておくと伝えるだけで精一杯だった。

 その弟には下手に気に掛けさせて時間を無駄に使わせることを避ける為に何も伝えてはいないのだけれど。持ち前の察しの良さで期待以上の計らいをみせてくれるに違いない。

 心配はしていない。

 それよりも、要となる騒ぎをどこまで大きく出来るかだが……。

 忌子の炎を受けて燃えないよう、檜揃えの御社において、御神楽の間の建造物だけは石造り乃至ないしは土造りとされており、観覧の為の席なども同様。故に儀式の有無に関わらずその場から動かされることがない。

 道具を揃えるのに時間は掛かったものの、揃ってしまえば仕掛けを施すのにこれ以上都合の良い条件もなかった。

 火薬を仕込んで爆破する。

 言葉に直せばたったそれだけのことだ。

 怪我人が出るだろう。

 死人も出るだろう。

 しかしそれがなんだというのだろうか。

 幾人もの忌子が謂れもない罪で貶められてきた。

 己の身は穢れているのだと言われるがままに天へと還ることを強いられて来た。

 それだけでも十分であるというのに、薊が受けた仕打ちは何だ?

 蓮のように逃げ出した訳でもない。

 真実を悟ろうと課された定めに従おうとした。

 逃げようと声を掛けても二つ返事では頷かなかった。

 愚直な姉だった。

 人を思いやれる優しい姉だった。

 なのに、年端もいかない娘子を不当に辱めておきながら平然とした顔で過ごしている一族にくれてやる慈悲があろうものか。

 踊れと言うなら踊ってやろう。

 一つでも多くの命を道連れに。

 この四肢が動かなくなり、全身が黒く固まり炭と化すまで。

 絶えることのない炎をくれてやろう。

 昨日までに仕掛けた火薬に気付かれた様子はなく、四方の門を潰す為の絡繰りも然り。

 仇は討つ。

 絶対に、と言えないところが悔しいが。

 立てた膝の上に乗せた手を強く握り締める。

 今ならこの無茶な計画も成功させられる気がしていた。

 奥から感じられる気配に鼓舞されて。

 ……本当に、控えの間とされている此処はいったいどういった場所で『何』があるのか。

 時間が経てば経つ程、緩やかに、けれど確実に火茨の中で力が満ちていく。

 もし……万が一にも有り得ないことではあろうが、生きて残れたなら再び此処に戻って来よう。

 向かわねばならない。

 けれど、今は向かえない扉の先へ。


 板張りの壁に背を預けたまま年季と傷みの伺える畳の上で目を閉じていれば、気付けば予定の刻限を向かえていたようで見張り役だった衛士の荒っぽい声に起こされた。

 冬の空気で十二分に冷やされた水を浴びて身を清め、着せ替え人形のように身包みを剥がされたら十五年間身に纏ってきた忌子のそれとは比べ物にならないくらいに華やかな衣装を着て、手や足にも飾りを付ける。

 目元を隠す面もただの布切れではなく今日の為に誂えられた木製のものへ。

 顔には朱を引かれ、角付つのつきの面と合わせればそれこそ鬼を思わせる紋様が描かれた。

 衣装の都合で晒すこととなる腕や肩、背中にも。

 これが中々に時間を喰い、前夜より内殿で待つよう言い付けられる最たる理由である。

 身支度を終えて全ての準備が整うと、青目神の先導に従いつつ内殿から祭壇へ。

 最下の開けた場所まで降りると水彰神子や奥方様が控えており――その中には都輝姫の姿もあった。

 一瞬、思考が停止して足を止めそうになる。

 普段の巫女装束よりもしっかりとした祭服に身を包んだ彼女はただひたすらに青目の姫君だった。

 ……それが、答えということだろう。

 儀式に参列するのなら必然的に騒ぎに巻き込むこととなるが致し方ない。

 苦虫を噛み潰した時のような感情が表に出ないよう、真っ直ぐに歩みを進める。

 萍は天還の間に入れただろうか。

 素直だった弟がここに来て反抗心を覗かせて……なんてことになっていなければいいが。

 先導の青目神が橋の前で止まる。

 その横を通り過ぎて火茨は一人、御神楽の間に移る。

 とにもかくにも今日で最期だ。

 最初で最後。

 舞台の中央で片膝をつき、頭を垂れる。

 青目神に対してではない。

 育ててくれた蓮に。

 守れなかった薊に対して。

 合図を待つ。

 その前に述べられる耳障りな青目神の口上は――しかしながら、聞こえてはこなかった。

 御神楽の間の周囲。

 何も知らずに集まった青目の一族の者たちがざわめきを広げて一帯の空気に戸惑いが滲む。

 誰かが都輝姫の名を呼んだ。

 こんな時にまで……あの型破りな姫様は何を考えておいでなのか。

 青目の姫として、村に残る道を選んで儀式にも参列したのではないのか。

 顔を上げようと動いて、それより先に凛と響いたその声に思わず目を見開く。

「私はこの儀に不服を申し立て仕ます」

 ざわめきが勢いを増した。

 腰まで伸びた白糸の御髪が風に攫われて揺れる。

 御神楽の間の舞台に上がり、火茨を庇うように立った彼女は真っ向から挑むつもりらしい。

 理不尽な掟に対し、青目の姫として。

 確かに、村に残る道を選んで儀式にも参列した。

 ああそういえば、この方はいつだって過ぎるくらいに真っ直ぐな御人だった……。

 頭の片隅でぼんやりと思う。

 彼女の言葉を理解して、ハッと我に返るのに数秒を要した。

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