ムージル「蝿取紙」

磯山煙

ムージル「蝿取紙」

   タングル・フットは長さ約六十三センチ、幅約二十一センチ、黄色い毒入りの接着剤が塗られたカナダ製の蝿取り紙である。蝿が一匹――特に何かを狙っているわけではない。どちらかといえば習慣だから、他みんなもそうしているから、と――その表面に座ると、すぐさま肢のすべての節は、固く折り曲げられてしまう。その時、暗闇に入るときのような、裸足で何かを踏むときのような、本当に微かな、不審な感情が同時に生じる。だが、我々と違い、そこにやわらかで、あたたかで、曖昧な抵抗というものはない。蝿たちの踏んだ何かの中は、恐ろしく人間的なものにゆっくりと満たされていく。だんだんと覚醒してくる五本の指は、それを一つの手のように認識する。

 蝿たちは症状を悟られまいとする梅毒患者のように、あるいはよぼよぼの老兵のように、ひどく不自然に直立している(その上鋭い尾根に立っているみたいにちょっとだけO脚である)。彼らはじっと力と思考を貯えている。そして数秒後、決断すると、羽音を鳴らし、飛び立とうとする。猛烈に、飛び立とうとしてはみるのだが、結局は疲れ果て、どうしようもなくなり、途中でやめてしまう。それから少し休んで、また挑戦する。だが、この一連の動作のインターヴァルは徐々に長くなっていく。そうしてついに彼らは動きを止め、その途方に暮れた様子を私は感じ取る。下の方から行き場をなくした蒸気が立ち上ってくる。小さなハンマーのように蝿たちの舌は外を点検する。彼らの頭部は茶色で毛深く、ココナッツで出来ているようだ。よくできた黒人の像のようでもある。彼らは固く絡まった肢を前へ後ろへ曲げ、膝を折っては上に持ち上げてみる。人間が重い荷物を動かすときいろんな持ち方を試してみるのとそっくりだ。その悲劇的なことは労働者の仕草も及ばない。そのスポーティな表現のリアルさにはラオコーンに彫りこまれた極限の緊張も及ばない。それから、いつもの奇妙な一瞬が訪れる。今この瞬間の欲望が、生涯を通じた強大な持続的感情を打ち負かす。ロッククライマーが痛みのあまり岩を掴んだ手を自らの意志で開くとき、迷い人が雪の中へ身を投げ出し子供のようになるとき、お尋ね者が燃えるように痛む横腹をそのままにしておくとき、それは一瞬のことだ。もはや何も彼らを妨げはしない。わずかに崩れ落ちるその一瞬、蝿たちはひどく人間的だ。すぐさま彼らは新たな場所に捉えられる。肢や身体の後ろ、翅の端は自分よりずいぶん下に行ってしまっている。

 精神的消耗から回復し、少しして蝿たちは再び生の闘争を受け入れるが、そのときにはすでに、彼らの身体は不格好に固まり、挙動はぎこちなくなっている。彼らは伸びきった後ろ足を関節の上に持ち上げたまま、身体を起こそうとする。あるいは女が男の拳から手をもぎ放そうとあがくように、地面の上にぴんとつながった腕で抵抗する。あるいは川に落ちたときに顔だけは水面に浮かせるみたいに、腹の上に頭と腕をのばす。だが、彼らの敵はいつも純粋に受動的であり、彼らの一瞬の絶望と混乱に乗じて、純粋に勝利を収める。無が それを引きずりこむのだ。動いているのがやっと分かるくらいゆっくりと、そして大抵の場合終わりになると急速に、最後の内的崩壊が蝿たちを襲う。彼らは突然自ら崩れていく。顔が前のめりに伏せられ、肢の上へ落ちる。肢という肢がまっすぐに伸び、しばしば体の側面に向かって後ろ向きに空を漕ぐ。そうして彼らは身を横たえる。一枚の翅が空中へそびえ立つ、墜落した飛行機のようだ。あるいは野垂れ死にした馬。あるいは終わることの無い絶望の仕草。あるいは眠っている人。ときおり、次の日も起き上がり、少しだけ肢であたりを点検したり翅を鳴らしたりするものもいる。そういう者たちはあらゆる部位を動かすと、死のもう少し深いところへ沈んでいく。そして残された彼らの身体の、肢先の辺りには、何か非常に小さな器官が生き延びて、微かな光を放っている。それは開閉するが、拡大鏡なしには判別できない。極めて小さいが、人間の眼球のように、それは、ひっきりなしに開いては、閉じている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ムージル「蝿取紙」 磯山煙 @isoyama_en

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ