第17話『未来記念日II』

晩春の青葉が目に眩しい朝だった。


わたしはベッドから起き上がると部屋を出て一階のリビングに降りていった。


リビングでは母がテーブルの食器を片付けているところだった。


「おはよう夏希」


「おはようお母さん、お父さんはもう出掛けたの?」


「ええ、たった今ね」


「今日のこと、お父さんに話してくれたよね?」


「もちろんよ、智史君が久しぶりに家に来てくれるんだから」


「じゃあ、お父さん、今日は早く帰って来てくれるのかな?」


「ええ、花金だけど会社の飲み会はキャンセルして真っ直ぐ帰って来るって」


「良かった、せっかく智史が来るんだから、お母さんはご馳走よろしくね!」


「ハイハイ、いっぱい作って待ってるから、お腹空かせて帰って来るのよ、それと、夏希にもしっかり手伝ってもらうからね!」


母がわたしの朝食をテーブルに並べながら言った。


「わかってるって!」


いつものように母が用意してくれたトーストと目玉焼きを食べながらそう答えた。


朝食を食べ終わって洗面所で顔を洗って歯磨きをすると、二階の自分の部屋に戻ってスーツに着替えて、再び一階に降りて洗面所の鏡の前に立ってお化粧をした。


いつものように少し寝癖がついている。


「もう!」


わたしはスタイリング剤を手に取ると髪にスプレーしてブラシで髪をとかした。


「これでよし!」


わたしは玄関に向かった。


「お母さん、行ってくるね!今日はよろしくね!」


そう言って玄関を出た。


駅に向かう途中、川沿いの土手道の桜並木はすっかり新緑の葉っぱで覆われていた。


駅に着くと改札を入ってホームに上がるエスカレーターを駆け上がった。

ホームではいつものように彼が待っていた。


「智史、おはよう!」


「夏希、おはよう」


お互い笑顔で挨拶を交わした。


智史の笑顔はあの頃のまま変らないけれど、わたしと智史はもう高校生でも大学生でもない‥立派に社会人三年目だ。


智史と同じ大学に進学して、とにかくわたしはいつも智史と一緒だった。


我ながらよく飽きないものだと思う。

智史はスーツ姿になっても相変わらずカッコイイ、わたしはお化粧をしてあの頃より随分大人になったけど、智史が似合うと言ったショートカットだけは今も変らない。


「今日は家に来るんだから残業は無しだからね!」


「もちろん、俺から行くってお願いしたんだ、きっちり定時で帰るから大丈夫だよ」


「でも仕事忙しいんでしょ?」


「その分、昨日は頑張ったから問題ないよ、夏希のご両親に会うの久しぶりだな‥」


「お父さんは今日は早く帰って来てくれるって、お母さんもご馳走作って待ってるから」


「それは楽しみだな」


「うん、駅で待ち合わせでいいよね?」


「ああ、6時半でいいかな?」


「わかった、わたしも定時に速攻で帰るから間に合うよ」


ホームに入って来た急行に乗って都内を目指した。次の駅はわたし達が通った高校がある駅だ。


「あの頃が懐かしいね、毎日楽しかったな」


「真一と遠野は相変わらずなのか?」


「うん、なんか付かず離れずって感じみたいだね」


「そっか、まあ真一はいつも前を向いているからな、たまには飲みに行ってやるかな」


「そうだね、七海とは会社帰りによく会うんだよ、七海は相変わらずモテるから、真一の奴頑張らないとまずいよって言っておいて」


「ああ、よく言っておくよ‥」


「智史はよく飽きないね?」


「夏希にかい?」


「そうだよ、もう出会って何年になると思う?」


智史は少し考えて答えた。


「まだ、12年しか経ってないよ」


「まだ?もう12年でしょ?人生の半分を一緒にいるんだよ」


「まだまだ、俺達はこれからだよ」


智史はそう言って笑った。


中学の時も、高校の時も、大学に在学中も、社会人になっても、智史はずっとわたしの傍にいてくれる。


中学の時に初めて出会って好きになってからずっと変らない‥ちょっとだけ回り道をしたけど、智史はいつも優しくて、わたしもそんな智史がずっと好きだ。



定時のチャイムが鳴るとわたしは、


「お疲れ様でした!お先に!」


そう言ってスーツのジャケットを着ると、スプリングコートを手に持ってカバンを肩に掛け、一目散にエレベーターに向かった。

会社のあるビルを出ると、地下鉄の駅に向かって走り出した。


地下鉄から私鉄に乗り換えて、自宅ある駅に着いたのは約束の時間の10分前だった。


間に合った‥改札に智史の姿はまだなかった。


智史からのラインで、


『5分遅れる!ごめん』


と着信があった。


『もう着いたから待ってるよ!』


そう返事を入れてわたしは改札を出た。

しばらくすると智史が息を切らしながら走って改札を出て来た。


「ごめん、ごめん、ちょっと寄り道してた」


「寄り道?定時で退社するんじゃなかったの?」


「会社は定時に出たんだ、ちょっと寄る所があってね‥さあ行こう」


「うん、さっきお母さんにメールしたら、もうお父さんも帰ってるって」


「そっか‥お父さんに会うの緊張するな‥」


「緊張って?結婚の申し込みをする訳でもあるまいし‥よく言うよ」


「‥夏希、あ、いや‥何でもない」


そう言って智史は少し驚いた顔をした。

結婚なんて言葉を出して、ちょっと早かったかな?


家に向かう途中の川沿いの土手道を歩いていると、智史が急に立ち止まった。


「どうしたの?もうすぐ家だよ、早く家に行こうよ、皆んな待ってるよ」


わたしが家に向かって歩き出そうとすると智史が言った。


「夏希は本当に綺麗だな、大好きだよ」


わたしは恥ずかしくて下を向きそうになったけど、智史をしっかり見つめ返した。


「ありがとう、わたしも智史が大好きだよ」


笑顔で智史に返した。


「これ、受け取って欲しいんだ」


そう言って智史は上着のポケットから赤い小さな箱を取り出してわたしの手にしっかりと握らせた。


「こ、これって…」


女の子だったら誰でも憧れる、エンゲージリング!?


わたしは赤い小さな箱を見つめながら、


「開けてもいいの?」


と智史に聞いた。


「もちろん、気に入ってくれるといいけど」


わたしは、小さな箱の蓋をそっと開けた。

箱の中にはとても綺麗な一文字のダイヤの指輪が入っていた。


「綺麗!いいの、本当にいいの?」


「もちろん、今日、ここでどうしても渡したかったんだ。ちょっと寄り道したって、これを受け取りに行ってたんだ」


わたしはほとんどアクセサリー類は持ってない。


「わたしなんかに似合うかな?」


わたしは智史に聞いた。


「ああ、もちろん、似合うに決まってるだろ」


そう言ってわたしの手の中にある箱から指輪を取り出すと、わたしの左手をとって、薬指にそっとはめてくれた。


「ほら、ピッタリだ!」


智史が嬉しそうに笑顔で言った。


わたしは嬉しくて嬉しくて、わたしの左の薬指に輝いている指輪を眺めた。


街灯の下でキラキラした指輪の輝きが、溢れ出てきた涙で乱反射して更にキラキラして見えた。


「智史ありがとう!本当にありがとう」


「うん、夏希が喜んでくれればそれでいいよ」


「でも‥こういうのはもっとロマンチックな場所がよかったな‥綺麗な夜景が見えるレストランとか」


「あれ、夏希は今日が何の日か覚えてないのか?俺達にとってここはとっても大切な場所だと思うんだけど‥」


智史の言葉に、


「あっ!」


わたしはハッとした。


「未来記念日!?」


「そうだよ、夏希と俺が未来に向かって歩き始めた記念日だろ?」


「智史‥覚えてたんだ?」


「当たり前だろ、忘れたら許さないって言ったのは夏希だぞ!しかも忘れないようにって‥」


「そうだったね‥」


智史‥ありがとう‥

わたしは智史の胸に顔をうずめてとめどなく溢れだしてくる涙を止められなかった。

智史はそっと肩を抱いてくれた。


「夏希と未来に向かって歩き始めたあの日に俺は決めたんだ、いつかこの日を本当に未来を一緒に歩き始める日にするって、夏希、これからもずっと一緒にいて欲しい、結婚して欲しいんだ。この言葉はこの場所で言おうって決めていたんだ」


智史の温かい言葉に、身体中の水分が枯れてしまうかと思えるくらいにまた涙が溢れだしてくる。わたしは声を詰まらせて泣いて智史の胸にしがみついた。


「あ、ありがとう、わたしの方こそ‥よろしくお願いします」


もうほとんど声になっていなかったかもしれない。

ずっと憧れていた結婚という言葉、智史‥本当にありがとう。


わたし‥幸せだよ。


「泣くなよ、夏希は笑顔が一番だよ、せっかくの美人が台無しだぞ」


智史がわたしの頭を撫でながらいつもの優しい言葉を掛けてくれる。


わたしは智史に出会えて本当に良かった。

こんなにも幸せな青春を一緒に過ごせたことを絶対に忘れない。


これからもずっと、ずっと智史と一緒に生きていくんだ。


「夏希のお父さんとお母さん、お嫁さんに下さいって言ったら何て言うかな?」


「もうそのつもりでいるに決まってるよ!わたしには智史しかいないんだから‥」


「じゃあ、話は早いかな?」


「うん、すごく喜んでくれるよ」


「じゃあ、早く行こうよ!」


智史がわたしの肩を抱いたままわたしの家に向かって歩みを進めようとした。


「待って智史、もう少し、もう少しこのままでいさせて、わたし、今日の日を絶対忘れない。最初の未来記念日のあの日もそうだけど、わたしにとって、今日はとっても大事な未来記念日なんだから、このまま終わってしまうの勿体無いよ。それに、こんなひどい顔を両親に見せられないでしょ?だから‥だからもう少しこのままで‥」


智史は歩を止めてわたしの肩を抱いて、


「そうだな、夏希!」


そう言って、とびっきりの笑顔でわたしを見つめてくれた。


−終わり−




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それでもわたしは君が好き! 神木 ひとき @kamiki_hitoki

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