第17話 amabile~愛らしく~

また侑の演奏が聴けるだけじゃなくて、もう一度ピアノを始める理由の中に私がいる事が嬉しかった。あの子の人生の選択に私が関われていることが嬉しかった。

そんな幸せに浸っている時に目に入った文字、【天才ピアニスト成瀬侑、突然の復帰!】通勤中の電車の中で見つけた週刊誌の広告。

 タイトルの下には侑の写真も掲載されている。格好良い。これ卒業式の時の写真かな。愛おしい恋人の懐かしい学生服姿にどきどきと少しだけ鼓動が早くなる。そして、その後に出るため息。

「この写真、どこから流失したんだろう…」

 この週刊誌がきっかけかは分からないけど、最近ネットを中心に侑の事が話題になっている。侑の演奏を1度でも聴けばみんな虜になる。でも、これは違う。【中性的なルックスで女性から大人気の若き天才】こんなの違う。

「成瀬さんって椿先生の教え子って本当ですか?」

「ええ、そうよ」

「いいなー、私も成瀬さんが居る時に入学したかったなー」

「コンテストも先生が担当してたんですか?」

「途中からだけどね」

「えっ、じゃあの練習室で成瀬さんと二人っきりだったんですか?」

「ええー!そんなのどきどきしちゃうよ!」

「確かにどきどきしてレッスンどころじゃない!」

「先生もレッスン中にどきどきしました?」

「えっ…」

「だって、あんなに綺麗で格好良い人と密室ですよ?」

「確かに、教師と生徒禁断の恋あったかもね」

 いつもより早くなっているこの鼓動に気付かれてはいけない。この子たちが冗談で言っていると分かっていても妙に汗をかく…。

「恋ね……」

「あったんですか⁉」

「あったら私は今ここに居られないかな。皆が言うように禁断だからね」

 『禁断の方が燃える』なんて騒いでいるのを横目に『もう遅いから気を付けて帰ってね』なんて教師らしい言葉を掛けて足早に職員室に戻る。

 最近、生徒たちから侑のことを色々聞かれることが増えて、中には本当に恋をしているかのような子さえ居て困る。『だめ、侑は私のだから』なんて言える訳もなく、私はその子たちからの相談に対して親身なふりをしてありきたりな言葉を返すことしかできない。この時ばかりは教師として接してあげることができない、ごめんね。

 あの子の名が広まり人気になることは嬉しいはずなので、心のどこかで侑が遠くに行ってしまいそうで不安になる。まだ出会っていないだけで、あの子の運命の相手がこの世界のどこかにいるかもしれない、私じゃない誰かがあの子を待っているかもしれない……。

 そんな終わりのない不安ばかりが押し寄せて気持ちに余裕の無い日々を過ごす。


「侑」

「美彩、どうしたの?」

「最近、色々話題になってるね」

「うん…大学にも人が沢山来てるみたい」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、練習室がある棟には関係者しか入れないから」

「でも、大学の中にも侑のファンいるでしょ?」

「うーん、ファンって言うのとは違うと思うけど、応援してます。って人は声掛けてくれるよ」

「やっぱり…」

「どうしたの?」

「なんでもない…」

「本当に?」

「…うん」

 少し大きめの二人掛け用のソファー。横からふわりとレッドピオニーの香りに包まれる。侑の匂い。いつからかこの匂いが大好きになって、安心するようになった。隣に座っていた侑が更に近づく。

「なんでもないことないでしょ?」

「本当になんでもないよ」

「…言えないこと?」

「……」

「美彩?約束したよね? もう一人で悩まないって」

「…うん」

「話したくないなら無理に話さなくてもいいけど、もし話せることなら聞かせて?」

「…最近さ、」

「うん」

「ネットや雑誌で侑のことを沢山の人が知って…」

「うん」

「学校でも毎日沢山の生徒から侑のこと聞かれて、嬉しいけど……でも、」

ぎゅっと侑に抱き締められる

「…でも?」

「でも、なんだかもやもやして…焦っちゃって」

「どうして?」

「…沢山の人が侑のことを好きになって、もしかしたらその中の人を侑も好きになっちゃうかもしれないって…」

「不安になったの?」

「うん……ごめんね、こんなことで不安になってもどうしようもないのに…」

「美彩」

 優しい声で名前を呼ばれて顔を上げる。目の前には大好きな人の顔。キスされる、そう思ったのに唇は寂しいまま。期待していた分、寂しさと恥ずかしさでせつなくなる…

「…侑」

「美彩じゃなきゃだめ」


 想いを言葉にしてみたものの彼女の不安を取り除けた気がしない。きっと美彩はまだ不安なままだろうし、私の気持ちもまだ充分には伝えきれていない気がする。 気持ちを全て伝えるなんて難しいことかもしれないけど、どうにか美彩の不安を取り除いてあげたい。

「想いを言葉で伝えるのって難しいね…きっと今も私の気持ちは少ししか伝わってない…」

「侑…」

「美彩が思っている以上に美彩が好き。美彩が居ないと何もかもダメになっちゃいそうで。私にとって美彩がすべてなんだ。こんなこと格好悪くて言えなかったけど、本当は嫉妬も沢山してる、学校の先生たちや名前も顔も知らない後輩たちとか……でも、そんなこと言って美彩を困らせたくないし、子供だって思われたくない、呆れられたくない…大人でいなきゃって、我慢しなきゃってずっと自分に言い聞かせてきた。それに、こうやって今、一緒に居られるのも当たり前じゃないから、お互い沢山苦しんで遠回りしてやっと一緒になれたのに、また離れるなんて嫌だ…この幸せを手放したくない。私は美彩じゃなきゃだめ、だから、少しでも美彩が不安になってるならその不安は全部取り除いてあげたい…ねぇ、美彩、どうすれば不安じゃなくなる?」

 そんなに心配しないで、不安にならないで。もういっそのこと私の頭の中がどれほど美彩でいっぱいか見せてあげられたら楽なのに…。

 もう二度と君が他の誰かと一緒にいる姿なんて見たくない。ずっと私の傍にいて欲しいんだ。ずっと、ずっと。

「侑」

 不謹慎にも涙を浮かべる彼女が綺麗だと思った。どうしてもこの人じゃなきゃだめだ…。

 言葉だけじゃ足りないなら行動で示すよ。ぎゅっと抱きしめて体温も鼓動も分かち合おう。お互いの唇を合わせて好きだと伝え合おう。

「侑、ありがとう」

「…うん」

「そんな顔しないで? 侑の愛は十分に伝わったよ?」

「うん」

「侑が他の人の目移りしないように私も頑張らなきゃね」

「しないよ、目移りなんて…」

「ふふっ、じゃ、もっと好きになってもらえるように自分磨き頑張るね」

「それなら私ももっと好きになってもらえるように頑張る」

「うん!」

 ずっとこの笑顔を守れるように頑張らなきゃ…。


 数日後、珍しく“デートしよう”と侑からお誘いがあった。

 普段は、私の仕事疲れを気にしてなかなか侑から誘ってくれることが少なくて正直寂しかったのが本音。だから、今夜のお誘いは嬉しくていつも以上に気合いを入れてしまった。メイク大丈夫かな…いつもと同じ感じの方が良かったかな…がっついてるって引かれたらどうしよう…。

「お待たせ」

「侑」

「ごめんね、待ったよね?」

「ううん、大丈夫」

「…」

「…侑?」

「なんか今日、」

あぁ…やっぱり…どうしよう

「いつもよりもっと綺麗だね」

「えっ…」

「メイクと服装かな? なんかすっごく綺麗。照れちゃうね」

そう言って微笑んだ侑は、本当に照れているのか頬が紅くなっている。

「…変じゃない?」

「なんで? 全然変じゃないよ。とっても綺麗」

侑の優しさにまた触れて心があたたくなる。この人で良かった。

「行こっか」

「うん」

差し出された手を掴み、一緒に歩き出す。案内されたのは、高そうなレストラン。

「侑、ここ?」

「うん、そうだよ。今日は特別な日だからね」

「特別?」

「うん」

  特別な日。その特別が何かどうにも思い当たることが無い。お互いの誕生日でもない、付き合い始めた記念日でもない、クリスマスでもバレンタインデーでもホワイトデーでもない。

 特別? 私が思い出せないだけで、何か重要な日なのかもしれない……

  次々と運ばれてきた料理やドリンクの味がどうだったかと聞かれたら上手く答えられないほど、さっきからずっと今日が何の日か思い出そうとしているけど、全く浮かんでこない…。

「ふふっ、美彩さっきからなに考えてるの?」

「えっ?」

「もしかして、今日が何の日か考えてる?」

「えっと…」

「今日はね、私が美彩にプロポーズする日だよ?」

「……えっ」

「ごめんね、もしかしてずっと今日が何の日か考えてた?」

「…うん」

「さっきまでは特別な日じゃなかった。でも、これから特別な日になるから」


「美彩、これからもずっと傍にいてください。まだまだ日本では同姓婚は認められていないし、子供もできないけど、それでもこの先ずっと一緒に過ごしていきたいって思ってる。だから、これを受け取ってくれませんか?」

侑は小さな箱を手に取り、蓋を開けて渡してくれた。

「これって…」

「指輪……です」

「…いいの? 私でいいの?」

「美彩じゃなきゃだめだよ」

「嬉しい…ありがとう侑。私もずっと侑といたい」

「ありがとう。左手に…はめていい?」

「うん」

 私の手に指輪をはめてくれる侑の手は微かに震えていて、侑がどんな想いで指輪を選んでくれて、お店を予約して、プロポーズしてくれたのかを考えると涙が止まらない…。

「泣かないでよ、美彩」

「…嬉し泣きだもん」

  提出はできないけど二人で婚姻届けを書いた。仲の良い友人やお世話になっている人たちを呼んで式もあげた。そのあとは、一緒に住み始めて生活している。

私生活が順調なおかげでピアノも調子がいい。このままいけばどこかの楽団に所属できるだろうし、上手くいけばソロでの活動も狙えるだろう。



“Un pianiste jouant de l’amour”


L'amour ne peut être nié par personne.

Que le monde déborde d'amour ...


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professeur 〜最愛の君へ〜 雪乃 直 @HM-FM-yukino

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