2.大学2年生




 桜が咲いた。

 去年と同じ木が、去年と同じように華やぐ。

 季節はくるくると廻り、私たちを4度目の春へと導いた。

 

「ハナ、4年目もよろしくね」


 付き合い始めた記念日に、テツの腕の中でこの言葉を聞いた。彼の肌に染み付いた油絵の具の独特の香りが、私をふわりと包みこむ。

 温かい、心地よい春だった。


「就職したら、すぐに結婚したいね」

 自然とテツが言い、私も頷いた。

「そうしたらずっと一緒だね」

「いや、絶対お互い別の仕事だから、ずっと一緒ではない」

「だから、そういうこと言ってるんじゃないから!」

 笑ってテツの首を甘噛みする。いてて、と大げさな声が聞こえた。


 会話のテンポが心地よかった。手を結ぶのも、笑いあうのも、キスをするのも、自然なことになっていた。


 これが『愛』というものなのかな、なんて考える。この気持ちも彼の存在も、もう日常そのものだけど、失うことは想像もできない。




 高校卒業後、私は私立大学の文学部に進み、テツは美大生になっていた。

 彼は第一志望の大学には落ちたものの、比較的名の通った別の美大に滑り込んだ。


 ずっと彼の作品が好きだった。それは付き合う前からだ。

 特に、油彩。

 高校生の時、彼の作品に圧倒された。

 美術室の一角を占拠する巨大なキャンバス。宇宙空間に敷かれた、一筋の鉄道。列車はなく、ただレールだけが闇の中で鈍く光っていた。いかにも硬質なその光は、緩やかに蛇行しながら画面の奥に向かい、やがて見えなくなる。

 そして何より印象的だったのは、挑戦的で大胆な宇宙の闇。潔いまでの黒だ。

 

 


「ねぇ、美術部の同窓会、一緒に行くでしょ?」


 花曇りの空の下、小さな公園のベンチに並んで座っている。

 高校の美術部の同級生で久しぶりに集まろう、という話が出ていた。


 なんの感慨もなさそうにテツが応じる。

「俺、行かないよ」

「え……」

「絶対参加、ってことはないでしょ」

 

 それはそうだ、もちろん強制力はない。

 確かにないんだけど――。


「普通にみんなが行くんだから、俺も行けってこと?」

 言葉のトゲが私を刺す。そんな風に言わなくてもいいのに。

「つまんないこと言うね」

 冷ややかな目で見降ろされ、こういうところは変わらないな、と口を結ぶ。


 自分の意思だけで突き進んで、無用だと断じたらなんでも切り捨ててしまう人。

 そんな彼に腹が立つと同時に、私の胸で激しい羨望が膨れ上がる。


 テツには『孤高』という言葉が良く似合う。宇宙の真空に浮かぶレールのような。その姿が私にはあまりに眩しい。

 大事な時に、いつも流されてしまう私とは違う。


 彼が唐突に立ち上がって歩き出したので、焦って追いかけた。こういうところも変わらない。


 高校生の時も、よく彼の背を追った。

 光の下でアッシュグレーに見える髪が、シャツの襟に触れていたその後ろ姿を。

 伸びやかで、繊細ながらも自信に満ちた背中。


 ただ、私はこの時、微かな違和感に気づいていた。

 あの頃とは違う何かが、テツの言葉や表情、背中に巣くっている――




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