つりうつり

魚津野美都

 午後9時過ぎ。僕の帰宅時間は、同期達よりも1時間以上遅い。会社の鍵を閉めるのは、いつの間にか僕の仕事になっていた。205号室の鍵を開ける音に、自分のため息が重なる。


 洗面所に向かい、いつものように手を洗う。鏡に映る僕の目は、酷く淀んでいるように見えた。


 コンビニで買った唐揚げ弁当で適当に食事を済まし、テレビをつけたまま、ベッドに寝転がる。そしてそのまま、眠れるようになるまでスマホをいじる。SNSに篭り、親指をただただ上下させては、くだらない記事を読む。政治家の汚職、アイドルの自殺、芸人のブログの炎上--それらを鼻で笑い、世の不平を大げさに嘆いてみせる。今日の自分のことを忘れ、嫌な記憶を誤魔化すためのプロセス。何もかも曖昧にして眠りにつくための儀式だ。


 親指が適当なところで止まる。顔も知らぬ知り合いから回ってきた、「つりうつり」と銘打たれた10分程度の無音動画。共有している人数もたかが知れている。ちょっと見て、つまらなかったら次へ行こう、そう思ってタップする。


 画面右にはベッド。白いカーペットに小さなテーブル、それと小物がいくつか。女性の部屋だろうか。再生から数秒、部屋の主であろう女がフレームインする。どこかで見たような顔だが、どこの誰だかは思い出せない。女はベッドに腰かけると、口を真一文字に結んだままスマホを弄り始めた。女の表情は酷く疲れているように見える。同じようなやつはいるものだなと、この盗撮映像にすこしばかり共感した。


 しばらくして、女はスマホと戯れるのを止め、ふと顔を上げ、そのまま止まる。画面の外の何かを見ているように。


 虚ろな表情のまま、女は何かをぼうっと見上げながら、ベッドからふらふらと立ち上がる。スマホが手から落ち、床に転がるが、女はそれを見もしない。


 二分ほど棒立ちになった後、女はゆっくりとこちらを見た。そして、口をぱくぱくと開く。


 僕には彼女が「見ている」と言っているように見えた。


 彼女はまた元の方へ向き直り、ゆらゆらと歩き出し、テーブルの上へと登る。頭がフレームアウトする。


 彼女が小さく跳ねたところで、動画は終わった。


「なんだこれ」

 ついつい全部見てしまったが、特に面白いところのない盗撮動画だった。はあ、と何度目かわからないため息をつく。微妙に目が冴えてしまい、ベッドの上で伸びをする。


 水でも飲もう。そう思って身体をおこし、顔を上げる。


 僕の目の前にあったのは、天井から垂れ下がる、先が輪になった縄だった。


 不意に、誰かが見ているのを感じる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つりうつり 魚津野美都 @uo2no32

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ