喫茶店「Yōshun」

シズハヨル

第1話 一月

 



「「「「喫茶店『Yōshun』へ、ようこそ!!」」」」


 とある街の、古い路地裏を通って曲がった先に、ちょこんとある喫茶店。チリン、と、ドアの上に付けられたベルが鳴る。その瞬間、四人の息ぴったりな、お出迎えが待っていた。

 男は驚いて、一瞬身を引く。

「ほら〜、くそオカマ野郎のせいで驚いちゃってるじゃないですか!お客さん!だからこんな出迎えの仕方やめようって散々言ったのに!」

「はっ、その、つけまつ毛汚らしく付けまくっているおブスギャル女に言われる筋合いはないわよ。ねえ?マスターちゃん?」

 マスター、と、呼ばれた男は二十代後半、いや二十代前半でも充分通るような外見をしていた。薄いグレーのかかった銀髪を揺らし、大声を上げたせいか、喉に手を当てて、ごほ、と、咳き込んでいる。

「大丈夫っすか、マスター」

そう声をかけたのは、マスターと呼ばれる男とはすこし違う、色を抜きに抜ききった、刺々しい色をした銀髪で褐色の青年だった。マスターの背中をそっと、さすっている。

 どうやらこの四人が、このすこし寂れたアンティーク調の喫茶店とは、まるで合わない出迎えをしたようだ。

「あ、すみません!どうぞ、いらっしゃいませ!中に入ってください。お席は好きなところで!」

「あ、えと……、はい、」

 ミルク色の優しい色をした白髪をツインテールにしている、ギャルと呼ばれていた少女に声をかけられ、二拍ほどおいてから、店の中に入り、隅っこのテーブル席に座った。

 一人で来たのに、テーブル席に座るのは気が引けたが、カウンターには、オカマ、と、呼ばれていた男と、ギャルが言い合っており、カウンターの向こうにマスターと褐色の青年がいて、その輪の中に入っていくのは、どうも気まずい気持ちになった。

「褐色ちゃん、羨ましいわ〜、マスターちゃんの背中さすられるなんて……アタシもマスターちゃんに触りたいわ、それに触られたい……そして抱かれた、」

「オカマくそ野郎は黙りやがれですよ!きもい!!」

 ギャルが、オカマに向かって吠える。どうやらこの二人の仲は、あまり良くはないらしい。

 テーブルの隅っこに置いてある、シンプルなメニュー表を取って、目を通す。

「ここのおすすめは珈琲よ。ここの店より美味しい珈琲なんて無いわ」

「あ、……そうなんですか」

 オカマはにこり、と中性的な整った顔で微笑んでみせる。すこし疑問があったので、ちょっぴり勇気を出して聞いてみることにした。

「あの……貴方はオカマ……なんですか?その……女装してないので……」

「ああ、それね、」

 オカマはそう言って青紫がかった黒髪の左側を、耳にかきあげた。とても、形のいい、耳をしている。彼、もしくは彼女の雰囲気は、どこか、妖美だ。

「このくそオカマ野郎、この店に最初に来たときは女装してたんです。だからその名残りでオカマって呼んでるんですよ。正しくはオネエに近いんでしょうけど、まあ、こんなくそごみなやつ、呼ぶときはくそ野郎でいいでしょう」

「ま、今でもたまに女装はするけれど、別に心が女ってわけじゃないわね、私の場合。どう呼ばれても構わないけれど、ブスなギャルには何て呼ばれても鳥肌立つだけね、ああ、忌々しい」

「忌々しいのはこっちの台詞ですから!!死ぬ資格すらないので、どうか足だけトラックに轢かれて歩けないようになってください!!この店に来れないようになっちゃえばいいんですよ!!」

「アンタ、声がでかいのよ!!耳がキンキンするわ、黙りなさい!アンタの方こそ、その口、今日こそ縫って喋れないようにしてやるわ!」

「やれるもんならやってみろってんですよ、くそオカマ野郎!!ていうか、そこの席どいてくださいよ!いつも言ってんでしょ、そこは私の特等席だって!!」

「なんでアンタの言うこと聞いてやんなきゃなんないのよ!このカウンターの真ん中で、マスターちゃんの珈琲煎れてるところ見れるのが最高なの、アンタにこの席は勿体ないわ、しかも、隣に座ってくんじゃないわよ!!床にでも座ってなさいな!!」

「はぁあああ!!!?」

「うるさいって言ってんでしょ!!?」

 …………騒がしい。その後、五分ほどオカマとギャルの言い争いが続き、終わりの見えない煩さに、目眩がしてきた頃、褐色の青年が口を開いた。

「まあまあ、お二人さん落ち着いて。ここは殆ど常連さんしか来ないから、いつもならいいけど、今日は初めてのお客さんが来てくれたんだから静かにしましょ。じゃなきゃ、もう来てくれなくなりますよ」

「わ、それは嫌です!」

「まあ、マスターちゃんの珈琲飲んだらアタシ達がいくらうるさくしてたって来るに決まっているけれどねー?」

「気に食わないですけど、そこはくそオカマ野郎に同意ですね、言い合うのも気色悪いので、やめます」

 ほっ、と、胸を撫で下ろした……漸くすこし、静かになった。

「ご注文はお決まりっすか?お客さん」

 褐色の青年に声をかけられる。

「珈琲!ここの店はなんてったって珈琲がおすすめです!外、雪たんまり降ってて寒かったでしょう?珈琲飲んであったまってください」

 ギャルがあどけない笑顔を見せた。確かに、身体も冷えているし、この店に来たのも、珈琲が美味しいと風の噂で聞いたからだ。そして、お腹も空いている。

「じゃあ珈琲と、オムライスをお願いします」

「あー、すみません、材料切らせちゃってて」

 カウンターの奥で、いつの間にか煙草を吸っているマスターはだるそうに、そう言った。

「あ、なら、サンドウィッチを一つ」

「それも材料切らせちゃってますねー」

 ぷかぷか。

 口から吐き出した煙草の煙を、輪っかにして遊びながら、マスターはこちらを見向きもせずに言う。

 おかしくはないだろうか。なら何故、メニュー表にバツをつけておかなかったのだろうか。ぐぅ、と、腹の音が鳴って、思い悩む。

「何か……食べられるものはありますか?」

「あーー……無いですね、申し訳ないですけど珈琲しかないもんで」

「え……」

 なら、何のためのメニュー表なんだ、これは。

 すこし苛立ちを覚え、帰ろうか、とも一瞬考えたとき、オカマが笑った。

「ふふ、出たわね、マスターちゃんの悪い癖」

 ギャルは立ち上がり、カウンターの奥のマスターを睨む。

「もーー!材料、ほんとはあるじゃないですか、さっき見ましたよ、冷蔵庫!」

「あらー、バレちゃった?」

「当ったり前じゃないですか!いつもそうでしょ、材料ないって嘘ついて!メニュー表の意味!!!」

「俺、珈琲しか煎れないから」

 ふわぁ、と欠伸をして、心底どうでもいいようにマスターは首をこきこき、と、鳴らす。

「メニュー表には珈琲以外にもカフェオレカフェラテココアオレンジジュースオムライスサンドイッチパンケーキとか沢山書いてあるんだけどなぁ!!?」

「それギャルちゃん担当だから」

「雇われた覚えないんですけど!?私もただのお客さんです!!」

「俺の代わりに作ってくれたらいつも通り、珈琲ただでおかわり自由にするけど……どう?」

 三白眼で、目の下にクマのあるマスターの目が、悪戯げに細められる。

 ギャルは、ゔっ、と、唸って、すこし考えてから、諦めたようにため息を吐いて、マスターと褐色の青年のいるカウンターの裏に回った。マスターがそれを見て、ふ、と、笑う。

 冷蔵庫を空け、中身を吟味しながら、ギャルは腕まくりをする。

「まあこれでオーナーさんの珈琲をただで飲めるからいいんですけど…」

「ギャルちゃんが来てくれてからこの店大繁盛よ、可愛い子がいるって来てくれる常連さん増えた」

「あ〜〜、そんなこと言われたらやるしかないじゃないですかぁ」

「このおブスのどこが可愛いって!?」

「くそオカマ野郎は黙れってんですよ!!!」

 また二人の言い争いが始まるのかと思いきや、ギャルはこちらを向いて、首を傾けた。

「お客さん、オムライスでいいですか?」

「え?あ、はい……ありがとう、ございます」

「あはは、お客さんがお礼言うなんて変ですよ、お金払うんですから」

 ギャルは手際良く材料を揃え、オーナーも同じく珈琲を煎れだした。

 褐色の青年は、ポケットから煙草を取り出し、オカマは「オーナーちゃんは、ほんと指先綺麗よね〜」なんて言っている。

「え、12時!!?」

 すると、急に悲鳴を上げるような声でギャルが叫んだ。

「あ、違う、この店の柱時計壊れてるんだった、びっくりしたー……」

「どうしたの、ギャルちゃん。今日なんか予定でもあるの?」

 褐色の青年が、壁に寄りかかり、テーブルの上の灰皿に、吸殻をとんとん、と、落としながら聞く。

「映画観に行くんですよー、あ、褐色さん時計つけてますね、何時かわかります?」

「俺の時計も壊れてるからわかんないなあ」

「じゃあなんでつけてるんですか!?時計の意味ないじゃないですか!!」

「んー…………デザイン?」

「もういいですよ、映画まではまだ時間結構あると思うし……」

 調理を続けながら、ギャルはため息を吐く。

「大体、アンタ映画なんて誰と行くのよ?」

「? 一人ですけど」

「寂しいったらないわね、わかっちゃいたけどアンタ、見た目も性格もブスなんだから、どうせ友達一人もいないんでしょう?」

「くそオカマ野郎だって、友達いないでしょうよ?」

「アンタと違って、アタシは遊ぶ男には困ってないのよ」

「ようは友達はいないってことじゃないですか」

「うっさいわね」

「ていうか、皆さんは友達いらっしゃるんですか?」

 ………………。

 沈黙が走る。それはもう、一気に走っていった。

 ギャルの玉ねぎを切る音だけが、店に響く。

「…………んー、俺はオカマさんと同じで遊ぶ相手には困ってない、程度かなあ」

 褐色の青年が、天井を仰ぎながら言った。ギャルが、手を動かしながらオーナーの方へ視線を向ける。

「オーナーさんは?」

「俺はその、柱時計がおともだち」

「わあ、聞かなきゃよかった…………そんな気はしてましたけど私達みんな友達いないんですね。恋人も」

「恋人はいるよ」

「誰ですか?」

「そこの柱時計」

「うわぁ…………マスターさん見た目も声も格好いいですけど、流石に今の言葉は、引かざる得ないですよ……」

「本当だって」

「本当だから引いてるんですよ……」

 マスターさんがそんな冗談言うようには思えないし、と、ギャル。卵を混ぜ、半熟にしたものをライスの上にとろっ、と、フライパンを傾け、のせる。そこにソースをたっぷりかけた。ふぅ、と息を吐く。

「オムライス出来上がり〜!!」

「こっちも珈琲できた」

「じゃあ一緒に持って行きますね!」

 子犬のように楽しげに、ギャルがオムライスと珈琲を持って、こちらに来た。

「どうぞ、オムライスと珈琲です〜!オムライス、デミグラスソースにしたんですけど大丈夫ですか?」

「俺、オムライスはデミグラスソースの方が好きなので、寧ろ嬉しいです」

「わ、私と一緒ですね!」

 彼女が笑うと、周りに、お花畑が広がっているように見えた。それほど、あどけなく、楽しそうな笑顔だ。

「じゃ、いただきます」

「どうぞ〜〜!!」

「おブスギャルのオムライスは大したことないだろうけれど、オーナーちゃんの珈琲の味は保証するわ」

「ぶん殴りますですよ、くそオカマ野郎」

 包まれたオムライスではなく、ライスの上から卵を零したオムライス。デミグラスソースと混ざり合い、腹の音を更に大きく鳴らしてしまいそうになるほど、美味しそうな香りだ。スプーンで掬って、一口。ぱくり。

「〜〜〜〜っ!!!??」

「あら、どうしたの?やっぱり、おブスギャルの料理はポイズンクッキングだった?」

「まさかっ!」

 じゅくじゅく、と、口内で溶けていく卵とデミグラスソース、絡み合うライス。

 ごくんっ。

「こんな美味しいオムライス食べたことありません!!」

「わ、やった、嬉しい!!」

「はぁ〜〜、つまんないわねえ、おブスギャルの料理食べた人はみんなそう言うわ。ま、私は絶対食べないけれど」

「土下座されたって作りませんよ」

 何度食べたって、例え、毎日このオムライスが出たとしても、飽きることなく食べることができるだろう。それほど、美味しくて食べる手が止まらない。

 ……あ。珈琲。

 すっかり、忘れていた。冷める前に飲まなければ。

 テーブルの隅に置いてあるミルクを一つ、珈琲に入れてかき混ぜる。豊かな香りが鼻腔をくすぐった。ふーっ、と息を吹きかけて、カップに口をつける。

 ごくりっ。

 男の喉仏が上下した。

「え、………………」

「ふふ、それも予想通りの反応ね。オーナーちゃんの珈琲飲んだ人はみんなそうなるわ。愉快ね」

 美味しい、の、次元じゃない。苦いのに、あまい。喉から胃にかけて、汚いものが洗い流されていくような感覚。洗練された味、と、いうのは、こういうことか。

「言葉じゃ言い表せないほど…………美味しいです、いや、美味しいという域すら超えているんですが、なんと言えばいいか……」

「……そりゃ、どーも」

 オーナーは、煙草を吸いながら、ぶっきらぼうに返した。

 ただ、自分以外にはそうは見えなかったらしく、

「わぁ〜〜!オーナーさんの照れてる顔久しぶりに見た!最近、常連さんしか来なかったから……」

「かわいい顔ね、オーナーちゃん。ああ、やっぱり、一回でいいからアタシ抱いてみる気はな、」

「黙って。オカマくそ野郎はほんとに黙ってください」

「ちょ、ギャルちゃん。やめなさい、こんなおっさん、写メろうとするんじゃないよ」

「え〜!!?顔隠さないでくださいよ!」

 すかさず、スマホを取り出したギャルに、オーナーは煙草を持ってない手で顔を隠す。ギャルはむっ、と、頬を膨らませた。

「大変っすね、オーナー」

「わかってるなら助けてくんないかな、褐色くん」

「嫌っすよ、助けたら俺が標的になりますもん」

 何本目か、かなりのヘビースモーカーだと思われる褐色の青年は、煙草を吸いながら、苦笑する。

「あらよくわかってるじゃない、褐色ちゃん、貴方も一回でいいから、アタシと遊んでみない?ハマるわよ」

「わー、オカマさん美人だからなあ、そう上目遣いで言われるとクるものがありますね……ま、予定が空いてるとき是非」

「そう言っていっつも流すんだから。ずるいわね」

「褐色さん、褐色さん!オーナーさんの代わりに写メっていいですか!?」

「俺でいいなら、いつでもどーぞ」


「……え?」

 

 男は戸惑い、咄嗟に声を上げた。

「? どうかしましたか?お客さん」

「いや……オカマさんは、まあわかるんですけど……褐色の方も"そちら"……なんですか?」

「あー、俺ですか。俺はどちらもイケるくちっすね。つっても性的対象が男女どっちもいけるだけで、恋愛感情抱いたことあるのは男しかいないっすけど」

「あははははっ、そっかあ、そうですよね、初めての方は知らなくて当たり前ですよね。紹介しますね、」

 ギャルは軽快に笑い、こほん、と咳払いを一つ。

「まず、この隣にいるくそオカマ野郎がゲイです、しかも受け専門。所謂バリネコってやつですね。女は、いけないどころか大嫌いらしいです。ついでに私も、こいつが死ぬほど嫌いです。で、褐色のお兄さんなんですけど、この人はバイです。今どっちでもイケると言った通りで、好きになったことがあるのは男だけっていうのは私も初耳でした。で、マスターさんなんですが、この人はゲイ、になるんでしょうか。でもオカマくそ野郎と褐色のお兄さんとは違って、恋人の、ぼろぼろな柱時計さんに一途な方なのでゲイとかホモとかいうより、好きになった相手がたまたま男だったってだけの話だと思います。柱時計さんは男らしいです。オカマくそ野郎と褐色さんは遊び人で恋人はいません。で、私ですが、私が好きになるのは男の人です。心が男ってこともありません。でも恋人がいたこともないですし、なので私の彼氏は二次元ってところでしょうか。アニメや乙女ゲームが好きです……っと、これくらいかな?他に聞きたいことはありますか?」

「い、いえ……ただ驚いてしまって……気を悪くしたらすみません」

「まさか。こんなこと何度も何千回も言わされたことだもの。気にしやしないわ」

「そっすね。ねえ?マスター」

「まあ、そうだね」

 なんというか……キャラ濃いなあ。なんて、男は思った。バリネコのオカマに、バイの青年、柱時計を男だと言い、恋人だというオーナー。二次元に恋するギャル。そして、すこし、愉快になった。なんて面白そうな組み合わせなんだろう、と。

「あと、褐色さんはマスターさんと一緒にここに住んでます。ね?」

「そうだね」

「うん」

 マスターと褐色の青年は静かに肯定した。

「バイとゲイが二人屋根の下……。ま、ヤることは一つよね」

「てめーの脳みそは胎児のときに置いてきたでございますですかぁ?二人がんな仲な訳ないでしょ!!!」

「アンタ、声きんきんうっるさいのよ!褐色ちゃんバイだしマスターホモよ?充分、有り得るでしょ」

 ぶん、と勢い良く首を振り、ギャルは、オカマから、マスターと褐色の青年の方を、交互に見やった。

「有り得るんですか!?」

「「さあね」」

「いやいやいやいや、え、なんですこの店??そういう人ばっかです!?まあ、珈琲美味しいから、なんでもいいですけども……」

「あ、そういえばギャルちゃんの分の珈琲も煎れといたよ。ちょっと冷めてるだろうけど、ギャルちゃん猫舌だから丁度いいかも」

「やった、ありがとうございます〜!」

 マスターは立ち上がり、カップに珈琲を注ぐ。マスターさんはほんとに指が長くて綺麗ですね〜、なんて、仲が悪いはずのオカマと同じようなことを言っていることに気付いて、くすっ、と、咄嗟に笑みが零れた。

 煎れてもらった珈琲に砂糖とミルクをだばだばと入れて、ギャルはそれを美味しそうに飲む。ふいに、ギャルが、こちらに振り向き疑問を投げかけてきた。

「お客さんは、ゲイとかバイとかじゃないんです?」

「え? うん、もう結婚して妻もいるし……ああ、あと友達もそれなりにいるよ」

「ほぇ〜、なんだかいいですね、幸せそうで!」

「そうかな? 俺はあなた達四人の方が幸せに見えるけど……楽しそうだし仲良さそうだし」

「仲いいわけないじゃないですか」

「仲いいわけないじゃない」

 オカマとギャルの声がぴったりと重なった。

「褐色さんとオーナーさんとは仲いいですけど、くそオカマ野郎と仲いいわけないでしょ!」

「その台詞、まるまんまアンタに返すわ。あとアンタ、その口紅やめなさいよ、真っ赤で気持ち悪いわ。オーナーちゃんの煎れた珈琲のカップに口紅の跡ついちゃったじゃない、汚らわしい」

 ぞくっ。

 ───気のせいだろうか。

 今、一瞬、オカマの目が細められ、鳥肌立つほどの……怖い目つきになった。

 そんなことに、ギャルは気にもせずに本日何回目かのオカマとの口喧嘩を始めている。

 はあ。オカマは息を吐いて、ポケットから煙草を取り出した。女がよく吸うようなタールが低く、煙の少ないタイプの煙草だ。口に咥え、高そうなジッポで煙草の先端に火を灯す。

「……あ、」

 ふと、スマホの時間を見て男は立ち上がった。

「? どうしました?」

「いや、そろそろ帰らなきゃと思って……用事があるので」

「ああ、そういえばそうだった!私もそろそろ映画観に行く時間だ!」

「お会計こっちっす」

「どうも」

 褐色の青年に会計を済ませてから、改めて、店の中を見渡す。

 ……うん、とてもいい雰囲気だ。

「……俺、ここの店好きです。また来ますね」

「ゔぉ、えっ、っ!」

「!?」

 途端、同じく店を出ようと立ち上がっていたギャルが、今にも吐きそうに、口元を押さえていた。ぐらっ、と傾いた身体をすんでのところで堪えている。

「大丈夫ですか!?どうしたんです!?」

「あ゛っ……気にしない、でください、ちょっと、……煙草の煙、吸いすぎちゃったみたいで……」

「ああ、確かに……」

 三人が煙草を吸っているせいで、店の中は煙たくなっていた。煙草を吸わない人や、煙に慣れていない人には、苦しい環境だろう。ギャルの蹲った背中をさする。

「放っておきなさいな、このおブス女、たまにそうなるんだから。珍しいことじゃないわ」

「そんな……」

 仲が悪いとはいえ、そんな言い方……。

 そこにオーナーが、すっ、と、現れ、ギャルを支える。

「ギャルちゃん、映画は次の時間にして、すこし休んだ方がいい。俺の部屋貸すから」

「いえ、そこまでは……もう収まってきたし……でも映画は次の時間にすることにしてちょっと休みますね。洗い物も、すっかり忘れてたから」

「そんなの俺がやるつて」

「駄目ですよ……そう言って、いつもやらないで、洗い物溜まるんですからほんと……私がいないときは全くどうしてたんだか、」

「もういいから黙って。とにかく、ここらへん煙薄いから座って」

「はい……あ、お客さん、お見苦しところ見せちゃってすみません。また来てくださいね」

「……はい」

 そう言って、男は外に出た。彼女は大丈夫だろうか。近い内にまた顔を出そう。

 粉雪の降る中、男は店を後にした。















 真夜中───店を閉め切った空間には、一人、マスターが古びた柱時計の向かいに座り、それに向かって、喋っていた……語りかけていた。

「────で、ギャルちゃんは無事に帰ったよ。ちゃんと洗い物までして。たまにああなるから、心配だから換気扇増やそうか悩んでんだ」

 じゅっ。

 煙草に火を灯して、天井に向かって煙を吐く。

「……お前はまだ、動いてはくれないんだな」

 止まったままだ、もう、何年も。数えるのをやめるほどに。

 がたん、と、軋む音がして、オーナーは音のする方に首を傾けた。

「……褐色。スーツってことは、今日は仕事か?」

 シャワーから上がったばかりなのだろう。まだシャツのボタンを閉めていない。───左腰にある刺青。久しぶりに見た。壊れて使えない腕時計も、また、つけている。

「はい。その前にちょっと遊んできますけど」

「男?女?」

「秘密っす」

 ははっ、と、褐色の青年は空笑いしてから、真顔で、オーナーを見つめる。

「…………いつまで、そんな、虚しいことしてるんすか。もうそこには、誰もいないでしょう」

 哀れむような目線。

 でもそれは、自分も、同じだった。

「…いるさ。ここに、あいつはいるんだ。俺の恋人は目の前に、いるじゃないか」

 くい、と顎で、時間を刻まない、12時で止まったままの、柱時計を指す。


 (壊れてるんだ、この人はもう、)


 そう、褐色の青年は思った。俺と同じように狂っている。人の輪から、外れてしまっている。それがただ、赤いか赤くないかだけの違いで。

「俺の親友は、恋人は……"よう" は、ここに、いる」

「……そっすか」

「お前の方こそどうなんだ。その壊れた時計も、刺青も、いつまで引きずってるつもりなんだ」

「"しゅうさん"。それは触れない約束でしょう。あと俺がスーツ着る度、哀れむような目で見てくるのやめてくれないっすかね」

「それは"秋比良あきひら"。お前もだろう?」

「……俺が警察様の裏仕事で犯罪者殺し回って荒稼ぎしてるのが、そんなに気に食わないっすか?言っときますけ、」

「違う、」

 褐色の青年───秋比良の言葉を、オーナー……春、は、遮った。

「俺が哀れんでいるのは、お前がいつまでも過去を引きずってるからだ」

「お互い様でしょう、そんなの」

「いや、違う。お前の時間は、まだ動く。俺とお前は違う、お前は、時間を捨てることだって出来るんだ」

「期待してもらっちゃって光栄ですけどね、俺は過去も、時間も捨てられる人間じゃないですよ。生まれたときから、俺、おかしかったんですから───親友とか、恋人なんて、もう二度といらないんです」

「そのわりに、刺青も、時計も、捨てられはしないんだな」

「ま、そっすね」

「……秋比良、俺はお前の親友の"代わり"に銀髪にした。でもそんなのは無意味だ。俺じゃお前を救えも、掬えも、しないんだ。もう一度言う。俺とお前は違う。お前は時間を動かすことも、捨てることだって出来るんだ……いつかわかる」

 はっ、と秋比良は笑う。嘲笑う。そんなわけないのに。"あのとき"からずっと、もう一歩も、……動けやしないのに。

「……時間になるんで、俺もう行きますね」

「ああ、気を付けてな」

「なににですか。ただセックスして、人殺しに行くだけですよ。いつものことでしょう」

「そうだな…………ただ今日は、言いたい気分だったんだ」

「そっすか、じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、」

 そう言うと、カラン、と音がなって秋比良は夜の街に消えた。


 春は、考える。

 秋比良の、刺青、止まった時計。オカマの、ギャルを見るときのまるで憎んでいるかのような視線。ギャルの、煙で吐き気がしたと嘯いて、隠したなにかへの拒絶反応。

「ギャルちゃん……隠せてないよ、」

 俯いて、春は言う。

 さっき、オムライスを作るため、玉ねぎを切るときにギャルが使った包丁。柄の部分まで洗われていた。それを触ったとき、すこしベタついていた。多分、BBクリーム。手の平───いや、身体全てに塗りこまれ、隠されているであろう、本来の彼女の、肌の色とは、果たして……



 これは、夜のような、お話。

 暗い影をそれぞれ誰もが持っている。

 だから、三人に渡した"あれ"。

 これから、どうなるのだろう。

 時間はまだ、止まったままだ。


 「……秋比良は、俺が狂っていると思っているんだろうな」

 そうかもしれない、そうじゃないかもしれない。

 けれど、そうじゃないんだとすれば、誰でも、時間は動き出す。

 ───始まる気が、する。

 なら、


 「始めようか。なあ、陽?」


 夜のような物語が……始まる。





 

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