神孝行の物語


「っはははははははいいじゃないか! ――いいじゃないか玉の輿! いや逆か。おもいっきり逆玉だろう、それ!」

「いや、笑い事じゃないんですよ……」


 そうして、僕は実に久しぶりに会議室を訪れていた。

 よう、と軽い調子で僕を迎えた白衣のエビルに、僕は近況を語って聞かせた。

 久しぶりに帰省した息子の話を聞く母親のように、エビルは楽しそうに笑った。

 

「いや、よかったじゃないか、本当に。なんだかんだでなってんじゃないか、幸せに。あたしとしては本望ってとこだよ」

「あの人と一緒になることが本当に幸せなんでしょうか」

「ぜーたく言うない」


 けたけたとひとしきり腹を抱えて笑った後で。

 エビルは、さみしそうに、けれどきっぱりと――呟いた。


「これで最後にしようと思う。あんたの魂を、天国ここに繋ぐのは」

「……まあ、そうなりますよね」


 今となってはもう危機は去った。僕の人生はこれからも続いていく。

 世界滅亡という非日常を終えて、異世界での日常に、戻っていく。

 たかだかひとりの人間が、ネタバレ気質の神様と気楽にくっちゃべっていていい時間は――もう、終わりを迎えるのだろう。


「……紅本さんは、どうなりましたか?」

「さて、ね。とりあえず、あれから大急ぎで固定力は切ったよ」

「なるほど」

「だから、どうなったかはあいつ次第。……知りたいかい?」

「……いえ」


 特別な人間でいられたのは、過去の話。これで神と話すのも最後、僕はただの、ひとりの人間へと戻る。異世界で暮らす人間が、違う世界のことなんか気にしている暇はもうないのである。身の程をわきまえなくてはならないのだ。

 ……でも。


 心配そうに、僕のほうをちらちらと見るその顔を見て――

 ずいぶん表情豊かな神様だよなあと、僕は改めて思った。


「前から思ってたんですけど、エビルって、こう……おばちゃんみたいですよね?」

「最後の最後にケンカ売って帰ろうってかい?」

「いえ、そうじゃなくて……なんというか、人間臭いというか」

「……あたしが人間臭いんじゃなくて、あんたらがあたしに似てんだよ!」


 似せて作ったから似るに決まってんだろとエビルはばしばしと円卓を叩き、それから、深々とため息をついた。


「どんくさいとこ、ダメなとこ、どうしようもないくらいにダメなとこ……全部、あたしに似ちまった。……全部あたしの中にあるものだよ。世界に絶望して、大勢の人間を殺した……あいつの意思も」

「ってことは、僕とか紅本さんみたいな……生かそうとした意思も、その中にあるってことですよね」

「……生意気なこと言ってんじゃねーやい」

「あいた」


 この上なくばっちりのタイミングで合いの手を入れたはずなのだが、エビルは恥ずかしそうに鼻先をこすった後、僕にデコピンをしてみせた。神のデコピン。わりあい痛い。

 それで場の空気が弛緩したので、この機会に聞きたいことを聞いておく。


「あのですね、前から気になってたんですけど」

「なに?」

「現世で死んで異世界に転生して、異世界でもまた死んだら、どうなるんです?」


 泥藤はどこへ行ったのだろう、という疑問のつもりだった。

 どうしようかねえ、とエビルは灰色の髪をかきむしる。


「……地獄でも作ればいいのかね? 魂更生プログラム」

「じ、地獄ですか……」

「いやまあ地獄は冗談だけど。まあ、なんとかしようとは思ってるよ。転生救済システムも、こんな事件が起きたとなっちゃあ一から組み直さなきゃならないし……」


 救済システムを見直す。それはつまり、システムがまだ必要であるということ。

 つまり、現世が再び正常に稼働し始めたと、言外に言っているようなものではないか――そう思ったけれど、指摘はしない。

 代わりに、別のことを聞く。


「いや、僕が異世界でまた死んだらどうなるのかなー、って。今度は現世に転生したりすんのかなって、気になってたんですけど」

「……あんたね、それあたしが言ったら完全なネタバレだよ。人生のネタバレ。あんたは普通の人間に戻るの。ドジな神様なんか忘れてふつーの人間の幸せな人生を送るの! 余計なことを気にしない!」


 じろりと冷たい目を向けて、エビルは答えてくれなかった。

 でも、僕としては――


「生んでくれと頼んで生まれてくる命はいない」という言葉が、

 今でも、頭に残っていた。



 神様がいるなら世界がこんな厳しいものになるはずはない。

 こんな世界に生んでほしくなんかなかった。そう考えたことは、何度もあった。

 でも、神様も意外と苦労していると知ってしまったからだろうか。


 すべてを創造した神の立場にあって、けれど、その神ですら、決して言われることのない言葉。


 ほんの少しだけ、親孝行のようなことがしたくなった。



「また現世に生まれ変われるなら、いいかなって。思ってたんですよ」

「あん?」

「いやあ、いろいろありましたけど。つらいこともいっぱいありましたけど。っていうか、つらいことのほうがいっぱいありましたけど……なんだかんだで、生きていくのも悪くないなって、思えましたから。だから、もう一度――いえ、何度でも」



「あなたが作ったこの世界に、僕は、何度でも――って。そう思ったんです」



 しばらく、神は黙っていた。

 僕も、神も、何も言わなかった。


 やがて――――



「シチュエーションに」


 神は、ゆっくりと右手を持ち上げると、


「酔ってんじゃ」


 その中指を親指で押さえつけ――


「ないよっ!」

「あいたっ」


 僕の額に、強烈なデコピンを叩きこんだ。

 涙がにじむほどの痛さに、僕はその場でへたり込む。


「……今生きてるやつがさあ、すでに生まれてきたやつがさあ。そーいうこと、言っても、しょうがないだろうに。酔ってんじゃないよ、まったく」


 あーあ、とエビルは真上を向いて、それから両手で顔を覆った。

 まったく、まったく、ほんとに、こいつは……そんなふうに、何度もぼやく。


「……酔ってんじゃ、ないよ。……ほんとに」


 エビルは、顔を覆う両手を、最後まで、どけようとはしなかった。


 結局、それから僕たちは一言も会話を交わすことはなく、

 やがて、僕のタイムリミットが訪れる。


 だから、僕が最後に聞いたのは――――



「……ありがとう」



 蚊が鳴くように小さな声。

 世界を創った神がこぼした、小さな、感謝の言葉だった。






 さて。

 これで、神様は心を入れ換えた。自分の役目から目をそらすことなく、下界をきっちり監視して、そして現世と異世界は今よりずっといい世界になっていく――の、だろうか? そうとも言い切れないのが難しい。

 どれだけ気合いを入れたところで、飼ってる金魚はいずれ死ぬのだ。


 でも、まあ。


 金魚だって死ぬのは嫌だ。なんだかんだで死ぬのは嫌だ。

 ずいぶんと奇妙な運命をたどることにはなったけれど、それでも。


 この世に、生まれてしまった以上は――これからも、生きていくしかないだろう。






 魔王を倒して一か月。

 今のところ、僕は五人目の僕とまだ出会っていない。

 二人目の泥藤とも出会っていない。


 もちろん、紅本とも、会っていない。



 四月十二日の夜は、きっと明けた。




 たぶん、これから先も、ずっと――――会うことは、ない。



















      現世と異世界両方滅亡


         END





   目を逸らさず、自分の作った世界の面倒を見続けると決意した神様と、



   これから先もこの世に生まれてきたいと望んだ蓮川創の物語は、



   たぶん、これからもずっと永遠に―――――――つづく

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現世と異世界両方滅亡 胆座無人 @Turnzanite

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