芥川也寸志の遺作「いのち」が完成に至るまで
本棚をあさっていると、開導百遠諱総修大法要記念誌「随喜」というのが出てきた。
遺作の詳細が載っていました。
小山日誠 上人(当時、奉修本部長、後に御講有)、なかにし礼(作詞)、芥川真澄(芥川也寸志夫人)、鈴木行一(補作)によるコメントが掲載されている。
その本をもとに、「いのち」完成に至るまでの道のりを簡単に紹介したいと思う。
佛立開導日扇聖人百回御遠諱記念行事の一環として作曲された 開導日扇聖人奉讃歌・オーケストラとコーラスのための「いのち」。
企画は長谷川内局の時代に起こる。
指田日軌師(企画室室長)から全音出版社の島田会長(東京乗泉寺所属)へ、島田会長から松岡新平(日本音楽著作権協会常務理事)へ伝わり、
なかにし礼(理事)・芥川也寸志(理事長)にそれぞれ作詞・作曲を委嘱するに至った。
それから3年後に作品は完成することになる。
なかにし礼は、法華経・佛立宗に関して研究を重ね、芥川也寸志とも話し合い手直しをし、昭和63年初めに歌詞を完成させる。
歌詞の完成後、芥川也寸志による作曲が始まったが、肺がんを患い、63年6月に手術。
退院の後、夏は軽井沢で静養しながらこの曲の作曲を続けるが、11月に再び入院。
(静養時、お見舞いに行ったなかにし礼に対して、芥川也寸志は「南無妙法蓮華経と永遠に繰り返すんだ」とスコアを前に両手を合わせながら歌ったという)
この時点で完成していたのは合唱の全部とオーケストラの総譜の6分の1であった。
曲の完成の遅れを気にかけた芥川也寸志は作曲家仲間の松村禎三・黛敏郎と相談。
新進作曲家であった鈴木行一に残りのオーケストラの補作を依頼することになる。
12月、芥川也寸志から鈴木行一に電話があり、作曲の構想について指示する。
(鈴木行一によると「曲は、ドレミのド音が最初から最後までずーっと鳴っている。あとは、南無妙法蓮華経の御題目を、延々と続けて、オーケストラで、それをユニゾンで堂々とやってくれ」と言われたという)
完成を見ぬまま、平成元年1月31日、芥川也寸志逝去。
5月2日東京、サントリーホールにおいて開催された、外山雄三指揮、東京交響楽団・新交響楽団・東京混声合唱団による「芥川也寸志追悼演奏会」で世界初演。(この収益や著作権料、本門佛立宗からの寄付などが「芥川作曲賞」制定のための基金へ)
続いて、御正当大法要当日7月17日、京都市こども文化会館にて、外山雄三指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団により演奏される。
(敬称略・開導百遠諱総修大法要記念誌「随喜」を参考)
芥川也寸志の絶筆、再演なるか!? あしもす @sinfonians
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