Epilogue: 約束
拝啓 相庭恵様
昨年の夏に命を助けていただいたこと、返す返すも感謝の念が募ります。
あれから、沢山の出来事がありましたね。
私の人生は、あなたと幸に出会ったことで賑やかさを取り戻しました。
あなたは私の言葉を信じませんでした。でも、それで構いません。ご不快でしたら、読み飛ばしてくださって結構です。
ここから書くのは、不死病患者の生活についてです。
私たちは、それぞれの外見年齢に応じた生活サイクルを繰り返します。
私の場合は、中学一年から高校三年までの学生生活がそれにあたります。
長ければ三年。短くて一年。それほどの期間で、対人関係を白紙に戻します。
ですから、私は、学校で親しい友人を作ることはできません。
付き合いが長年に及べば、成長しないこの身を不審に思われます。
生涯にわたっての友人を持つなど、とても望めないのです。
私は昨年、伴侶を失いました。
結婚はしていません。恋愛関係でもありません。
でも、私をガレキの中から救い、生涯をかけて傍にいてくれた人でした。
私に残った、唯一の、深い関わりを持つ人でした。
それを失えば、あとは、途切れ途切れに偽りの人生を繰り返し、薄情な関係だけを細く結び繋ぎ、繰り返し断ち切る、そんな未来しかありませんでした。
それは、ただ、命を失わずにいるだけで、人生とは呼べません。
無意義で不毛な日々でした。
あのとき、きっと私は死にたかったのでしょう。
猫を助けるなんて建前を掲げていたのは、自分への言い訳でした。
孤独に耐えかね、この先の涯てのない人生に怯え、自暴自棄になっていたのです。
あなたとの出会いは、幸いでした。
私は、他者との関係を結ぶことで、恵と幸と友達になることで救われたのです。
幸の状況には、共感するところが多かったです。
恵が私の言動を疑い、信じていないことは、むしろ私を何の変哲もない普通の女の子として扱ってくれて、気が楽になりました。
出会えてよかった。
あなたたちが、私に関わってくれて、よかった。
この気持ちを、伝えておきたいと思いました。
東京に来るときは、是非連絡を下さい。
私も、群馬へ赴くときには一報を入れます。
出来ればで構いません。また、会いたいです。
追伸
文化祭に来てくれたこと、本当に嬉しかったです。ありがとう。
敬具 中原季世
*
幸が、家に帰って来た。
食卓に幸がいる光景が、妙に懐かしくて馴染みがある眺めだった。
新居が、ようやく我が家になったような気がした。
手術の日からもうすぐ五ヶ月が経つ。
――春休みを待ち、相庭家は群馬に引越した。
手術が成功し、症状の改善が見込まれた幸の日常生活を取り返すために、心強い専門家のいる病院の近くへ家族で引越してきたのだ。
群馬の大学病院のそばで、病院まで徒歩で五分もかからない。
新居には、東京の我が家になかったものが二つある。
幸の姿と、母のピアノだ。
俺の去年のバイト代の、三分の一がピアノになった。
母が嫁入りのときに持ってきたものと同じ、木目調のアップライトピアノだ。
母はサプライズに大喜びしてくれたけど、練習はゼロからのスタートになるというので、聴衆に向けた演奏はしばらくおあずけだ。
俺と親父が先に入居し、待つこと二週間。
今日、ようやく、母と幸も合流し、食卓を共に囲むことができた。
食卓には幸の好物だけが並んでいた。
幸は少し背が伸びたようだった。
やせ衰えていた身体に、少しずつ筋肉がついていた。
まだ、歳相応には見えない。
彼が不死病か否か、それが判明するまでもう少し時間がかかりそうだ。
親父が久々に酔って寝るほど酒を飲んで、母に抱き起こされて寝室へと向かう。
しばらく、寝室から、喜びに震えて泣くような母親の囁き声と、親父の相槌が、かすかに聞こえていた。
幸は、新居を眩しそうに眺めている。
その頬に、自然と笑みが浮かんでいた。
いつ話そうかとずっとタイミングを窺っていたが、今だと思ってそれを取り出す。
季世から届いた手紙だ。
コンビニで買ったような、シンプルな封筒だった。
「幸。このあいだ、季世から手紙を貰ったよ。これ」
内容は、俺たち兄弟に宛てられたようなものだ。
だから、幸にも手紙を見せる。
「僕も読んでいいの?」
「大丈夫。幸のことも書いてある」
幸は慈しむように、大事に手紙を読んだ。
それから、静かに息を吐く。
「幸は、季世とそういう話をしてたのか? 俺、全然だった。季世は無口だし、俺は口下手だし。あんまり話が弾んだことがない」
「僕も、わりと僕が一方的に喋ってたけどね。聞けば答えてくれるって感じで、随分根掘り葉掘り聞いちゃったな。気を悪くしてなかったなら、いいけど」
「手紙の感じだったら、怒ってないだろ、べつに」
「そうだね。……手紙、僕にも来るかな」
「来るよ、きっと。っていうか、自分から出してみてもいいじゃん」
「うん、そうだね。うーん」
幸はほうじ茶を飲んで、黙り込む。
「幸の見舞い、来てたんだろ、季世。引越す直前までさ」
「そうだねえ。退院前日まで、通ってくれてた」
「元気にしてた? まあ、変わりないか」
他愛のない、世間話を続ける。
本当に聞きたいのはそこじゃない。自分でも、それは分かっている。
気になるのは、幸の、告白の結果だった。
でも、なんとなく察しがつく。
ここまで話して、話題にするのを避けているということは、つまりそういうことだろう。
「……幸は、振られたのか?」
「恵君。僕、病人なんだから労わってくれない? 今心臓が止まりそうになった」
「えっ! ごめん……!」
本気で冷や汗を浮かべながら謝る俺を、幸は意地悪そうなニヤニヤ顔で見ていた。
「うそ。病人ジョーク」
「それ、まじで怖いからやめて」
「ごめんごめん」
幸はほうじ茶をすする。
それから、「んー」と唸った。
「結論を教えると――」
「うん」
幸が勿体つけるから、胸の内がはらはらと落ち着かない。
「答えは保留にされたんだ」
「……保留?」
「『三年後も同じ気持ちだったら、また言って』って」
「はっきりしない答えだな……」
「うあー、長いな、三年って」
テーブルに突っ伏して、幸が嘆いた。
つまり季世は、幸のことを、即断るほど嫌いというわけではなく、同じように、即付き合うほど好きでもない。
少し、肩から力が抜けた。緊張が解けて、気が楽になる。
――なんでだろう。
季世は、幸にこう答えたという。
『幸はまだ病室の外を知らない。これから社会復帰して、そのときに、いろんな人に出会う。そうしたら、私より相性のいい相手が見つかるかもしれない。そのときの枷に、なりたくない。人間の三年は短いようで長い。沢山の変化がある。生きるというのは、そういうことだから』
それは、三年後も縁が続いていることが前提の言葉だ。
だから、少し、安心した。
「手紙を読んだら、恵君のほうが脈有りっぽくて焦る」
「別に、俺はそんなつもりじゃ――ない、つもり、だけど……」
「煮え切らないなー。余裕があるね」
「だから、勝手に深読みするなってば」
「うん。でも、恵君も、これからはもっと自分のこと考えたらいいよ。そしたら、自分の気持ちも分かるかもね」
幸が兄らしさを装って忠告する。
「まだ、分からないってば。まずは手紙の返事を考えないと」
「うん。……そうだ、花火の約束、覚えてる?」
夏休みのいつだったか、病院の屋上で、三人で紙飛行機を飛ばして遊んだ。
あの時の約束は、何気なく結んだつもりで、ずっと覚えていた。
――東京湾の、大きな花火大会とかさ。行こうよ。来年くらいに。
ずっと意識していたことを悟られたくなくて、さりげなさを装って答える。
「ああ――あったな、そんな話」
「東京じゃなくても、どこでもいいけど、見に行こうよ、三人で」
「いいね、それ。手紙に書いておく」
幸が笑う。
想像してみる。
どこか、大きな川沿いで花火大会があって、ごちゃごちゃした人ごみの合間に屋台が並んでいる。幸は花火が始まる前から子供みたいに目を輝かせている。
季世はきっと浴衣が似合うだろう。
浴衣を着ると、年下とは思えないほど大人っぽい。
――想像の中で、経験した思い出のように、未来の光景が浮かんだ。
「花火だけじゃ満足しないよ。海に行ったり、お祭りに行ったり、バーベキューしたり、あと、美術館にも、博物館にも行きたいな。映画館で映画を見るのも、何年ぶりになるかな。やりたいことは、いっぱいあるんだ。ひと夏だけじゃ、済まないよ」
「うん。俺も、ずっと待ってた。旅行に行きたいな。どっか、どこでもいいけど。徳島とか」
「いいね、それ」
話し出せば、やりたいことは、尽きなかった。
先の約束をすることで、未来と今が地続きになった気がして勇気がわいた。
二人で思いつくままに描くプランには、必ずあの子の姿がある。
季世も一緒に。
言葉にせずとも、それが分かった。
手紙の返事は明日にも出そう。
そうして俺も、伝えよう。
『また会う日が、楽しみです』って。
テロメアの子供たち 詠野万知子 @liculuco
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