第39話

 ホームルームは淡々と進行した。石塚先生は、エリをめぐるトラブルが起こる前と同じくらいに溌剌として、チョーク投げの腕も衰えてはいなかった。つまり一人は昏倒させられたということだ。

 しかしそんなことはお構いなしに、先生は調子を崩さずに


「さて、突然だが竹園は転校することになった」


 と一言。


「え……。エリちゃんここに来たばっかりですよね?」


 女子のか細い声が嫌に響く。


「ああ、そうだな。だが家庭の事情なんだそうだ。どうしようもない」


 教室は寂しげな沈黙に包まれた。ここでぎゃあぎゃあ騒がないあたり、流石は石塚先生のクラスだと言える。

 僕は俯いた。やはり、ここまで大きな判断――転校という一大事は、防ぐことができなかったのだ。


「まあ、竹園には竹園の生き方がある。クラスの皆にはとてもよくしてもらったから、よろしく伝えてくれとのことだ」


 先生は机の間を闊歩しながらそう語る。その時、軽く僕の机に手をついた。ふとそちらに目を遣ると、一枚の紙切れがそこに置かれたのだということに気づいた。

 僕はそっと手を伸ばし、裏返す。そこには、先生独特の速記された文字で、駅名と時刻が書かれていた。間違いない。エリがこの街を離れる時に使う、新幹線の駅と発車時刻をメモしたものだ。放課後、十分時間が経ってからの発車だ。帰りのホームルームが終わってから向かっても、随分余裕がある。

 僕はそっと、その紙切れをポケットに忍ばせた。


         ※


 昼休み。嵐山・風間両先輩と話そうと、僕は三階への階段に足をかけようとした。その時、


「優希!」

「優希くん!」


 二人の先輩がいた。彼らもいつもと変わらない様子で、階段を下りてくる。


「いい作戦だったろ?」


 ニヤリと唇を歪める嵐山先輩。


「全く、無茶につき合わせるんだから……。でも、お陰でエリちゃんとは天体観測ができたわけね?」

「あ、は、はい」


 僕はどもりながら応答した。

 しかし、あれは天体観測だったのだろうか? それ以上『何か』意味合いがあったような気がする。お互いの気持ちを確かめ合う、とか。

 ただ一つ確かなのは、昨夜、エリと過ごした時間は、まるで夢のようだったということだ。起きたまま見られる夢。そんなものがあったとしたら、きっとこのようなものを指すのだろう。


 僕が黙考していると、


「俺たちは、エリちゃんの見送りには行かないぜ」

「えっ?」

「だってお前、せっかくなんだから一人で見送って来いよ。俺たちが行っても邪魔だろう?」

「そんなことは……」

「無理しなくていいのよ、優希くん」


 風間先輩が一歩、僕に向かって踏み出した。


「あたしたちも、下手な横突きはしたくないからね」


 そう言って、僕の手を取った。


「あたしたちの分まで、エリちゃんによろしくね」


         ※


「午後六時三十四分……」


 紙切れに書かれた時刻を確かめる。それからスマホをチェックすると、もうあと五分もなかった。僕はぼんやり、新幹線改札口に佇んでいる。

 まさかこの期に及んで勘違いしたか? と思った矢先、


「あっ、優希!」

「エリ!」


 やっとエリの姿が見えた。後ろには両親が立っていて、しかし口を挟んでくることはなかった。黒服たちの姿も見えない。


「もう時間はないよ?」

「うん」


 エリは頷いた。しかし、顔にはあの向日葵のような笑みが浮かんでいる。


「大丈夫、今までたくさん話したでしょう? だからもう、話さなくてもいいの」

「え? 話さなくてもって――」


 するとエリは、僕の右肩を抱き寄せ、そっと僕と唇を合わせた。


 普通だったら『こんな公衆の面前で!』とか『両親がそこにいるのに!』とか考えるものだろう。それ以前に、僕が落ち着いてはいられないだろう。

 だが、現に僕は冷静だったし、周囲の目も気にならなかった。ただただ、目の前の顔面零距離の少女が愛しくてならなかった。流石に腕を回してエリを抱き寄せるほどの度胸はなかったけれど。


 エリはそっと顔を離し、


「電話する」

「うん」

「メールもLineもする」

「うん」

「それじゃ……」


 エリはゆっくりと僕のそばを通り過ぎて、新幹線改札口を抜けた。エリの両親がどんな顔をしていたのかは記憶にない。だが、僕とエリの間の絆の強さを見せつけられたとは思ったかもしれない。


         ※


 僕は何とも言えない心境で、夜道をとぼとぼ帰った。


「お帰り、優希くん」

「ただいま帰りました、伯母さん」

「エリさんとは、ちゃんとお別れできた?」


 ああ、そうか。伯父さん・伯母さんも僕とエリの仲は知っていたのか。


「お別れなんてしてませんよ」

「えっ?」


 首を傾げる伯母さん。僕は微笑んで見せてから、自室への階段を上った。


 確かに、人に話してしまえば『大人の力で別れを強要された二人の高校生』に見えるかもしれない。

 だが、そんなことはなかった。

 

 毎日会うことはできない。でもそれ以上に強い思いが、僕とエリを結びつけてくれている。

 あと三、四ヶ月もすれば、夏の大三角形が夜空に見られる。向日葵だって咲きだすだろう。 

 同じ景色を、僕たちは遠くあっても共有できる。


 僕はベッドに仰向けになりながら、考えた。

 

 今の僕には、『どんな人間になりたいか』という目標がある。

 具体的には? 考えるまでもない。


「僕はずっと、君のそばにいられる人間になるよ」


 遠くへ行ってしまった向日葵に向かって、僕は小さく呟いた。


 THE END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

流星群と向日葵の春 岩井喬 @i1g37310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ