冷めない年越し蕎麦

鈍く光るテールランプがやけに大きく見え目を軽く擦る。速度を出し過ぎていないか、心配で速度計を見るついでに隣のデジタル時計に目をやり唇を固く結ぶ。

ゼロが並んだ時計は新しい年を迎え入れ、俺はまた取り残されたような感覚に心臓を掴まれる。


結婚してすぐに務めた運送会社。長く働いていることもあって給料に不満はない。しかし、どうしても長時間の拘束は避けられず一人娘にはいつも寂しい思いをさせてしまっていた。


『梨花、残業になった。先に寝ていなさい』


メッセージに返信は来ていない。突き放すような冷たい文面。どうしてもっと気の利いた事が言えないのか。

怒ったのかもしれない。静かに寝たのかもしれない。一人きりの、寂しい家で。


「雪さん······」


作年末の雨の日、病弱な妻は新しい年を迎えることなく息を引き取った。

それから必死に働いて、なんとか良い親であろうと、不自由なく育てようと頑張った。

そんなこと、出来ないのに。




家に着いたのは二時を過ぎようとしていた頃。助手席に置いてあるコンビニの年越し蕎麦を迷いながら手に持ち、ゆっくりとマンションの階段を上がる。

足取りは重く、自宅の前で何度か呼吸を整える。静かに鍵を回し、梨花を起こさないようドアノブを捻った。


「お父さん?」


暗いはずの玄関には、音を聞きつけて出迎えてくれる梨花がいた。ストールを肩に羽織らせるその姿が、妻に重なり言葉に詰まる。


「梨花、寝ていなさいと······」

「へへ、約束も守らないお父さんの言いつけは聞きませんよーだ」

「梨花······」

「あ、それお蕎麦? お腹減ってたんだよ! 早く一緒に食べようよ!」


俺の手からコンビニ袋を取り上げる梨花は優しい笑みを浮かべると、そそくさと台所へ行ってしまった。

暖かい部屋で上着を脱ぎ、炬燵に入って梨花の背中を見つめる。寂しかったろうに、怒らないんだな。


「はい!」

「あぁ」


レンジに入れただけの蕎麦から湯気が立ち上る。

梨花は笑顔で箸を割った。


「お父さん」

「なんだ?」

「明けましておめでとう」

「明けましておめでとう。はは、年越し蕎麦だぞ」

「気持ちが大事なの!」


むくれる梨花に頬を緩ませ、蕎麦を啜った。

三人で食べる蕎麦じゃないのに、どうしてこんなにも暖かいのだろう。


「······暖かいな」

「え、熱かった?」


蕎麦を啜りながらキョトンとする間抜けな顔が愛おしくて仕方ない。


そっか、気持ちが大事だものな。




窓の外には、雪が降り始めていた。

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1000文字短編集 琴野 音 @siru69

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