公主、頑張りなされや

中田祐三

第1話

意外な言葉に思わず眉をしかめる。


隣にいる妾候補はプイとそっぽを向いて何も言わない。


なんとはなしにその仕草に興を削がれ、また原因を作った正妻にも非難がましく言葉を紡ぐ。


「繭月よ…そんなことを言ってしまったら興醒めしてしまうとは思わないのか?」


「これはしたり……私は夫である公主のことを考えて発言しただけでございます」


悪びれず、意外そうに答える繭月の答えを聞き、閉口してしまう。


「今日は疲れた……伽はよい」


公主と呼ばれた男はそれだけ言うと自室へと戻っていってしまった。


後に残されて恨みがましく見つめる妾候補を涼しく受け流し、ニコリと笑う。


まるで悪意などないかのように。


やがて居心地が悪かったのか妾候補は鼻を鳴らして廊下を進んでいってしまった。


今は対立するのは得策ではないという事を女と権力のある家で育まれた本能で察知したのだ。


冷め切った関係ですもの、つけいる隙はやがて訪れるはずというほくそ笑みを隠さずに……。







晩夏とは言えまだ外は暑い。


たとえ夜中であってもだ……。


「……それで気掛かりは終わったのか?」


パタパタと水鳥の羽で作った扇で扇ぎながら、鬱陶しそうに答える。


華美な装飾の施された部屋の対角線上には、繭月が寝間着用の衣装に包まれて正座している。


「はい……ああ、それともう一つありました」


ニコリと笑ってその後は続けない。


公主が発言を許可するのを待っているのだ。


嫌な女だ。 あくまで自分は仕えているという態度を崩さない。


そしてこちらからの答えを待っているということは公の話ではなく私的なことであろう。


他の臣のように仕えていながら私的なことを指摘出来るこの間柄はなんとも奇妙なものだな。


心中深くでつぶやく。


「よい……話してみよ」


「はい、それでは……妾を囲うのは構いませぬが、子を作るのは暫く自重なされますよう」


「何故だ?」


昼間に邪魔されたことを根に持ちながらも、疑問を投げかける。


その反応が面白いのか、はたまた快なのか、なんとも言えない微笑みで、繭月が答える。


「子がお生まれになれば二ヶ月の間にこの世から去ることになりましょうから」


「…………なるほど」


そう答えるのがやっとであった。


繭月は優良な官僚一族の出身であったが、先代の公主の時に政争に敗れてしまい一部を除いて族滅の浮き目にあっている。


しかし破れたりとはいえ、そこは何十何百もの家を踏み台にしてきた古家。


残された一部の人間と彼らに仕えていた恩義も利益も分かつ有象無象の者達が歴史から消え去ろうとしていた繭月の家を見事復興させたのだ。


それどころか次代の公主である自分の正妻にと推挙し、また公家がそれを認めざるを得ないほどに勢力を回復させてしまっている。


だから……なればこそ……か。


かつて亡滅しかけた危機ゆえか、一族の危機になる可能性になるものは即座に排除する。


つまり正妻である繭月との間に男子が産まれるまでは他の女に子を産ませることは見逃せないということだ。


「なんとも無慈悲な話ではないか」


公主の言葉に、


「私もそう思いまする。私にとっては所詮は他人の子でも、公主から見れば実子なのですから」


一番無慈悲なのは貴様自身ではないのか?


喉まででかかって飲み込む。


「止めることはできぬのか?」


まだ子を成したことはないが、それでも実子を殺めると言われては『そうか』と納得出来るはずがない。


だが繭月の答えはにべも無い。


「無理でございましょうね……仮に私が止めたとしても一族の誰か、臣下、利を共にする者達がやるでしょう」


「つまりは止める気も無く、阻止することもできないということか」


「まことに残念なことに」


静かに視線を下げて肯定する。


「後は私の一族を誅滅するしか手はございませんが……」


俯いていた瞳をあげ、無表情だが、挑戦的に公主を見据える。


「それは面白い。だがその数年後にはこの俺自身が首をはねられるであろうな」


「……よくご理解しているますようで何よりでございます」


うやうやしい態度の底に見える反感が見てとれる。


いかにこの国で並ぶ者のいない権力者であろうが、所詮は一個の人間に過ぎない。


自分の手足となり実務を担当する官僚組織がなければ国を治めることは出来ない。


国が大きかろうが小さかろうが行政を担当する組織はどうしても必要だからだ。


当然そんな実務を担当する組織には信頼のおける人間が必要であり同時に能力のある人材やノウハウも欲していた。


つまり繭月のような長い実務経験と組織の中のノウハウが熟成している一族の協力が国の維持には必要不可欠となっている。


歴史と正統性と実質的な軍権を治めている王族と内務のことはほぼ寡占状態の官僚組織という二つの権力の割拠によって国体は維持されている。


そんな状態で王族が粛清を始めたところで良くて失敗、悪ければ成功して数百年の大乱となるだろう。


いずれにしても我は国を滅ぼした愚滅な男として歴史に評価されるだろう。


「ふん…!そんな愚劣なことが出来るか!千年の笑いものになるわ」


答えを聞くとコロコロと笑い繭月が返す。


「それでこそ公主様でございます。でなければ私が伴侶とするには格が足りなかったかと心配してしまいました」


「……やはり俺はお前のことが大嫌いだ」


「はい……ですが子は三人は作ってもらいますゆえ、頑張りましょうね」


「それも統べる者の義務か……目が眩むわ」


それを聞き終え、繭月が立ち上がる。

そして公主の隣にフワリと座る。


枕元の行灯をふっと消し、辺りは暗闇と虫の鳴く音だけとなった。


「公主様……私には子供の頃からの夢がございます」


「…それは何だ?」


「はい……家族仲良く幸せに過ごすこと……それだけが私の生きる道でこざいます」


ふと繭月の両親は自身の目の前で処刑されたということを思い出した。


罪名は反乱準備。 真実かどうかはわからないし、考える必要もない。


天から授かりし王権(ということになっている)も美麗字句に飾られた文章が偶然を必然のように書きたてただけだ。


なので、利益の流れ次第で不忠者が愛国者となり変わる。


事実、当代では繭月の殺された両親や一族の者達は讒言によって無残な死を遂げた忠臣となっている。


(実務や国の要職を兼任するようになれば自然とそうなる)


「……そうなればよいな」


公主である彼とて十年どころか来年生きている保証はないし、生きていたとしても公位を奪われて幽閉されているかもしれない。


「はい……なのでそのための努力も犠牲も惜しみませんので」


「ふん、お前のような姦物を伴侶にしなければとはな……」


「……でも頼もしいでしょう?」


返事はしなかった。 ただそっと頭を撫でてやる。


国という大きな機巧の中では彼も彼女も部品の一つにしか過ぎない。


円滑に回らなければ代替え可能な存在。


そして替えられた者の末路は憐れだ。


歴史が証明してくれている。


歴代の公主の中で狂人が稀に出るのもわかる。


並ぶ者の居ない天上の代行者として育てられて運悪く『部品』ということに気づいてしまい、その差に自尊心を傷つけられ、狭苦しい

公宮に心を潰される。


だが彼はそうならなかった。


傍らにいる賢妻のおかげだ。


おそらく繭月も同じであろう。


彼と繭月は互いに互いを疎ましく思いながらも己が『部品』だということを認識し、交換されないことを願っている。


皮肉なことにこの女と俺は機巧の一部としてはこれ以上無いほどに噛み合っている。


「まったく嫌な女だお前は……」


意味を正確に捉え、女っぽくクスリと笑う。


「皮肉ですか……でもそれが女の私が生きる道ですから」


その言葉だけは優しかった。


それを合図に目を瞑り、繭月を引き寄せる。


「どうか忘れないでくださいね……私の生きる道が有為様が最も幸福に生きる道でもあるのですよ」


『部品としての名前』ではない夫の名を呼び、繭月が慣れたように頬に細い指を添える。


「やはりお前は嫌な女だ」


その後は何も言わず、妻の胸に顔を埋める。


夫婦としての姿がそこにはあった。

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