ひきこもり探偵 安良河 布団
ほろよいビスケ
プロローグ 安良河布団という女
カタカタと、タイピング音が鳴り響く。
部屋の明かりはPCモニターのブルーライトのみ。匿名掲示板にて書き込みとリロードを高速で繰り返す彼女の後姿を一時眺めるが、まるでこちらに気が付く様子はない。
しめた、と思い僕はポケットに手を突っ込み、そっとそれを取り出した。微かに鳴る右手の甲とポケットによる衣擦れの音で彼女に気付かれないだろうか、野獣を狩る狩人にでもなり切って最大限の注意をする。ここで気が付かれでもしたら即刻ゲームオーバーだ。
思い返せば彼女との思い出は少なくない。一緒に映画を観た、彼女は特にアニメ映画が好きだ。一緒に話をした、話題はいつもアニメのことか、匿名掲示板でこんなスレッドが建っていた、など。僕から振ってみる話題には全く興味を示してくれない。だがそれでも楽しかった。興味を示さずとも、話は必ず聞いてくれる、彼女だけかもしれない。もちろん彼女が話す話題も僕は好きだ。あまり詳しくはないけど、楽しそうに話す彼女を見ているだけで僕は幸せなのだから。一緒にご飯を食べた。彼女に作ってもらったこともあったし、僕が作ってあげたこともあった。
さて、もう、良いか。今更彼女にかける情けなどない、一思いにやってやる。これも、きっと彼女の為なんだ。きっと、きっときっときっと。
そうして僕は―――
「布団さん、目、悪くなりますよ」
リモコンを左手に持ち替え、親指で一番上のボタンを押した。
「まぶし……」
「うわぁ、またこんなに散らかしてるし。一昨日片付けたばかりじゃないですか、綺麗になった部屋を見て、今度こそ散らかさないように気を付けよう、なんて思いやりは芽生えないんですか」
手慣れた手順で散らかった本やゲーム、カップ麺のゴミを片付ける。まとめた本を本棚の所定の場所に戻そうとしたら、今度は巻数がバラバラになって収納された漫画が目に入り、抱えた本は全て床に置き、1巻から順に並べ替えるという面倒な作業に入る。だが嫌いじゃない。
「ゴミ出し、しました? 確か昨日燃えるゴミでしたよね」
「めんどい……」
「はぁ、だと思いました」
本棚の整理は終え、やっと床に置いていた本を置ける。
「本棚の整理、ちゃんとやってくださいね。巻数はバラバラでも良いから、せめて読み終えた本は本棚に戻してください。傷みますから」
「べつにいい」
「ダメです、本が可哀そうです」
「……きをつける」
「はい、お願いします」
ふと、気になる書類の束が目に入った。
「これ、まだ使うヤツですか?」
女性の名前、年齢、住所から趣味まで、あらゆるプロフィールが書き込まれている。1枚捲ると次は男性、その次は女性、その次も女性、次は続けて3枚男性。
「もういらない、かいけつした」
「さすがですね、それじゃ、シュレッダーにかけて捨てときますね」
知らない人だけど、プライバシーの保護には気を付けなくては。
「あっ、布団さんコーヒー飲みます?」
「のむ」
「ちょっと待っててくださいね」
部屋を出てキッチンに向かう。本格的なサイフォンを使ってコーヒー淹れる、小さい頃に叔父に習ったから得意だ。すぐ隣の棚に置いてあるピンク色のカップを取り出し、出来上がったコーヒーを注ぐ。角砂糖は4個、ミルクもたっぷり、布団さんの味覚は極端だ。
もう1つカップを取り出し、僕の分も注ぐ。角砂糖もミルクも入れない、ブラックのままで。
2つのカップをお盆に乗せて「ふとんのへや」と書かれた部屋に戻る。
「はい、お待たせしました」
「ありがと」
「今日は朝ごはん、何食べました? お昼、作りますよ」
「はいぱーかっぷ、げきからきむちあじ」
「好きですね、それ。僕は辛すぎて一口でギブアップですよ」
「おいしいのに」
布団さんの味覚は極端だ。
「じゃあお昼はご飯モノにしますね、何が良いかな……」
ピンポーン。
思案に入ろうとしていたところでチャイムが鳴る、お客さんだろうか。
「出てきます」
「てらー」
今日はどんなお客さんだろう、どんな新しいことが待っているのだろう。不謹慎ながらも胸を躍らせながらドアを開ける。
「あの、ここって探偵事務所、ですよね……?」
「はい! 安良河探偵事務所へようこそ! 奥で所長がお待ちです!」
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