美里楽一の奔走・Ⅲ

 電話の直後、探偵事務所にパトカーを一台呼び、坂下を警察署で保護してもらった。脅迫状のことも取り調べを受けるに違いない。

「で、だ。気付いたか? あいつの左手の薬指」

「婚約指輪ですか?」

「だけじゃない、洞察力が足りないな」

「……精進します」

「婚約指輪の下に絆創膏を巻いていたんだ」

「へえ、怪我でもしたんですかね」

「さあな。んじゃラク、現場、いってら」

 このようにして、僕は毎度毎度事件現場に送り込まれる。決して布団さん本人は赴かないのだ。それは生粋のひきこもりの習性であり、依頼の度のお約束であり、布団さんの確固たるアイデンティティーでもある。

「それじゃ、いってきます」



「失礼します」

 明らかに場違いであるという自覚を持ちつつ、周りの警察関係者の視線をかいくぐり矢部警部の元へ辿り着く。

「毎度すみません」

「良いってことよ、ひきこもりの嬢ちゃんの差し金だろ? 存分に捜査しちまってくれや」

何故か矢部警部は布団さんに対して絶対的な信頼を置いてある節がある。おかげでその斥候である僕が現場にすんなり入れるし、ありがたいのだけど。

「まずは有るはずのない物……」

 布団さんから教えてもらった捜査の順番。まずは普通なら有るはずのない物を探す。例えば男性の部屋に女性モノの下着だったり。次に普通なら有るはずなのに無い物。例えば男性の部屋に男性モノの下着が一枚も無ければ怪しいってことだ。そして最後は、複数で一組と見做される物だ。意外と情報の見落としが多く、一番神経を尖らせて調べろ、とのことだ。例えばそれはチェスの駒であったり、箸であったり、またカレンダーであったり、だ。

「んぐっ、うわあああああああああああああああああ!」

 突然部屋の中のソファー辺りから叫び声が聞こえた、うるさい。そして現場の誰一人としてその叫び声に反応はしない、これもまたお約束なのだ。

「しっ、死体!」

「おい東間うるせえ!」

東間刑事だ。東間刑事は刑事のくせに死体を見ると必ず一度気絶してしまう。僕でさえ今でも吐き気は多少あるものの、ある程度は慣れたというのに、情けない。

「おはようございます、東間刑事」

「あれっ、美里君じゃない。今日も捜査の協力を?」

「はい、布団さんのお遣いです」

「凄いねぇ、僕なんて未だに死体に慣れないのに……」

全くだ。

「よーっし、僕も張り切って捜査しちゃおっかなぁ!」

「はい、頑張ってください」

死体は苦手だけれども、捜査はいつも全力、元気いっぱいの新人刑事東間さん。頼りにはしていない。僕も布団さんも、もしかすると矢部警部も。

 さて、改めて現場を見て回ろうか。被害者はついさっきまで探偵事務所にいた坂下さんの婚約者の津田将司。死因は刺殺、左胸を正面からナイフのような刃物で一突き、だそうだ。どうしても自殺は考えられず、殺人と視て間違いなさそうだ。

 死体は、と。うん、やっぱり何度見ても慣れない。心地の良い物ではない。遺留品は、回収されてるか。

「ポケットの中とか、何か入ってました?」

「いんや、何も」

ポケットの中は何もなし、と。

 傷跡も違和感、無しかな。ごく普通の刺し傷、こんな非日常な様子をと認定できるのも如何なものかと思うけど、慣れたものは仕方ない。

 次は部屋の中。テーブルの上には何も書かれていないメモ帳。冊子になっているタイプだ。一枚目は、まだ破られてなさそうだ。メモ帳にダイイングメッセージとかあるかと思ったけど、そう甘くもなかった。

「……ん?」

「どうかしたか?」

「いえ、このメモ帳の端っこのこれ…… 棒人間、ですかね?」

よく見るとメモ帳の端っこに小さく棒人間が描かれていた。

「みたいだな、何の落書きだ」

「次のページは…… あ、同じだ、端っこに、ほら」

表紙の一枚と同じように次のページにもページの端っこに棒人間がいた。

「もしかしてこれ、パラパラ漫画、ですかね」

「かもな、津田が書いたのか?」

「さあ、こればかりは筆跡でも分かりませんから」

「……へぇ、面白いなこれ」

どうやら全ページに描かれているらしい。実際にパラパラしてみた。棒人間が空を見上げており、カメラは空へズームアップ。空は満天、そして月。その月が満ちて欠けて、また棒人間へカメラが戻る、というものだった。

 持って帰りたいところだけど、これも一応証拠品になるだろう。面倒だけど全ページをケータイのカメラで撮影しておいた。すごい数になった。

「にしても、可哀そうだよね。まだ若いのに」

 いつの間にか隣に東間刑事がいた。

「歳、いくつですっけ?」

「僕? 28だよ」

「なんで東間刑事の歳をこのタイミングで聞くと思うんですか……」

間が抜ける。

「あぁ、津田の? えっとね、22だね。まだ大学生だよ……」

「へえ、大学に通ってるんですか?」

「うん、都内の大学にね、文学部だとかなんとか」

 良い情報が聞けた、これは後々聞き込みに行く必要がありそうだ。

「そういえば、坂下美鈴の話は聞いてます?」

「え、誰それ?」

「津田の婚約者って話の女か?」

「ちょっと矢部さん、僕聞いてないんですけど!?」

「倒れてたからな、丁度」

東間刑事、よくこんなので毎回ちゃんと現場に呼ばれるな。矢部警部が連れてきてるのかな。

「へぇ、婚約者ねぇ。でも指輪はまだ、と」

「えっ?」

「いや、婚約はしてるのに指輪はしてなかったんだねぇ、ってさ」

東間刑事の言葉でそのことに気付く。津田は左手の薬指に婚約指輪をはめていないのである。

「そうですよ東間刑事! 確かに指輪が無い!」

「えっ、もしかして僕お手柄?」

「まさか、盗られたか?」

婚約指輪を盗る、そんな強盗があるだろうか。金目の物が目当てならば指輪はもちろんとして、財布や通帳、その他お金になりそうな物がもっとあるのに。

 何か他の意図があって婚約指輪を盗んだとか、考えられないでもない。この事件の全貌が見えない以上、出てきた情報は貴賤無く取っていく。

 これはこの事件のかなり重要なキーかもしれない。婚約指輪が無い、と……

 一通り室内、それから寝室など他の部屋も見て回ったが気になるものは無かった。ベッドの下にエロ本が何冊かあったがそれ自体に特に意味は無く、ああこういう性癖なんだな、といった程度の情報だった。念のため記述しておいたが。

「今日は引き揚げます、お疲れさまでした」

「おう、嬢ちゃんから話聞けたらまた連絡してくれ」

「じゃあね美里君!」

 僕個人の推理では、現時点で容疑者は一人も浮かび上がってこなかった。

 さてと、布団さんの推理が楽しみだ。

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ひきこもり探偵 安良河 布団 ほろよいビスケ @Ritz_Horoyoi316

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