epilogue.――salt.


翌日退院して学校に戻って数日経っても、以前のように川瀬とすれ違うような事はなくなった。

あれから何も聞いていない。

寮部屋も、もうネームプレートが外されて、新しい二号棟は当然の事ながらシンと静まり返っていた。


木下は火傷と中毒症状が重篤ではあるが、どうやら命は取り留めたらしい事だけ噂で耳にした。





そして、俺とれえの関係はというと、その後一気に変化した


…わけもなく。


長年友達として一緒にいたのに

はい、今日から恋人の距離感でっつうわけにもいかない

相変わらず、ぎこちない一進一退だ。


それでも時折触れる手のひらとか、今までより少し近くにいるれえが、何より安心してんのがわかると、まあ急ぐ事もないかって気になってくる。


今のところは。



だって俺は10年待ったんだ。

本当にれえが俺を好きになるなら

それまでの時間は大した苦じゃない

だからもう容赦なんかしない



屋上は相変わらずの穴場感で、この日もイイ風が吹いていた。

今二人きりになれるのはほぼこの昼休憩の屋上でだけだった。

むしろそれすら今の俺にはいい塩気…

ならぬ甘い障害だ。


「…くに」

「ん」

「手、離し、て」

「嫌だ?」

「や、…じゃな…けど」


手のひらを合わせてるだけで真っ赤になる。

触れるとガチガチに緊張する。

さすがに、悪い事してるみたいで俺は礼の手を離した。


あーあ…これ、いつまで続くんだろうな…

すげー楽しい


って頭抱えてたら、不機嫌な態度にれえの眼にはうつったのか

慌てるみたいに俺の手をとってぎゅっとした。


「やっぱ…やめない」


………


容赦しないって心の中で啖呵切っといて、俺早々にれえに負けんのか

殺しにかかってる。

れえのデレは凶悪だ


「無理すんなれえ」

「してない、お前だけ大人ぶんな」

「ぶってないでしょ」

「……まだ、」

「ん」


まだ、飽きたりしないで


風で消されそうなくらい小さく、れえがそう言った。

ああ…

こうやって俺れえに負け続けんのかな

震えるれえに唇を寄せた。




「両想い、おっめでと~う☆」


ばーんと屋上の扉が開いて聞き覚えのある声が聞こえた。

川瀬が両手を天に掲げて万歳した状態で立っていた。


「あ、ゴメンネ。続けて続けて」

「なななな、かわせ!」

「そうだよー!れーちゃん覚えてくれたんだ俺の名前」

そう言うと川瀬は走り寄って嬉しげにれえに抱きついた。

「ヤメロ」

「なんだよなんだよお。れーちゃん照れてんの」

「川瀬、陽菜は?」


テンション高かった川瀬は俺の言葉に居住いを正すとそれでも明るい笑顔で言った。

「明日退院できるって!」

「……よかったな」


少し照れるように笑った川瀬は、昂った気持ちを飲みこむように小さく一呼吸置くとまたテンション高く言った。

「それから!晴れて来年度からほんとの後輩になる事に決定しましたー!!」


川瀬が掲げた紙には、入学許可証の文字と立派な判が押されている。

「…ここ入んのか、お前」

「うん!学校のえらーいおじさんと話してたらさ、すんごい心配してくれて、学費免除するから来なさいって」


相変わらずほんとにこいつは世渡り上手つうか、要領いいつうか…


「てわけで俺諦めてないから、れーちゃんと別れたら次は俺と付き合ってね。くにひこせんぱい☆」



あっけにとられてるれえをしり目に、そのまま階段に向かう扉を抜けながら、川瀬が俺にだけ見えるように親指立てて歯を見せて笑った。

子供のいたずらの合図みたいなその表情に、俺も思わず吹き出した。



まるで嵐が去ったような脱力感に、

俺達は目を合わせ言葉もなくしばらく肩を揺らして笑っていた。

俺たちの関係は、これからどう変化するんだろう…考えてもわからない。


だけど

ただ、れえがそばにいてこんな風に笑ってるだけで、

どんな事でも乗り越えていけるような気がした。





…『sugar.』に続く!…



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salt. 黒須カナエ @kurosukurosu

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