記憶フロッピー2


 終業まであと30分というところで、部長が声をかけてきた。

「おう、片付いたな。このまま維持しとけよ」

 相変わらず鼻に掛かった声で嫌見たらしい言い方だ。

「はい、わかりました」

「あぁそうだ。大三商事から来ている注文書、あの内容で良いから社印押して注文しておけ」

「え?」

「なんだ、なんか問題でもあるのか?」

「いえ、別に」とは言ったが、頭の中では焦っていた。大三商事の注文書は先程シュレッダーに投入した覚えがある。とっくに終わっている内容かと思っていた。

 まぁいい。大三商事の担当に連絡してもう一度書類を取り寄せれば良い話だ。俺は担当へ連絡した。

「あぁ、石黒さん。お世話になっております。――お久しぶりです。――はい、あの実は先日頂いたご提案ですが――はい、注文することになりましたので、再度値引きした注文書を頂きたいのですが――」

 石黒は「それはありがとうございます。さっそく内容を確認しますので少々お待ちください」と言って電話を保留にした。

しばらくすると再び石黒が電話に出て「値引き不可です」と悪びれもせずに言った。

 ずいぶんと傲慢ごうまんな担当者だ。注文してやるというのに割引きできないとは。俺は食い下がらずさらに続けた。

「すみません、私が書類を紛失してしまって申し訳ないのですが、そこをなんとかできませんか。申し訳ございませんがなんとかお願いします」

「そこを、と言いますと?」

「値引きした金額です」

 すると石黒は自分では判断できないので一度社内で確認すると言い電話を切った。

 めんどうなことになってしまった。値引き出来ないとなると、確か50万円ほど金額が上がってしまう。あの注文書は部長による商談の結果、「今回だけ特別に」という条件で大三商事に値引きしてもらったのだ。

「値上げはおまえの給料何か月分だ? あ? 書類の管理もできないのか」部長の鼻に掛かった声で人を見下すような言い方が頭に過ぎる。ちくしょう。

 終業のチャイムが鳴った。今日は朝から最悪な一日だった。



 帰りにコンビニでハンバーグ弁当と缶ビール、酒のつまみの焼き鳥を買って帰った。

 スーツを脱ぎハンガーに掛けようとした時、カタカタと音がした。そういえばフロッピーディスクを胸ポケットにしまったままだった。システム部の中島に聞くのを忘れていた。

 自宅のパソコンでフロッピーディスクは読み込めただろうか。数年前に購入したノートパソコンの側面をみると、フロッピーディスクの読み込み口があった。

 よし、これで確認してみるか。俺はパソコンを起動した。

 パソコンデスクに座りサイドテーブルに買ってきたハンバーグ弁当と缶ビール、焼き鳥を置いた。


 フロッピーディスクを挿し込むと、ジーカカ、ジジジジと読み込み始めた。

 プシュッっと缶ビールを開け、ゴクリゴクリと喉を潤す。ハンバーグ弁当をつまみながらフロッピーディスクの中身を見てみることにした。

 データの中身を確認すると、テキストファイルが一つだけ保存されていた。ファイル名は「おれ」となっている。一体何のファイルだろうか。俺はテキストファイルを開いた。


19**年6月9日午前8時20分 横浜市平井病院にて誕生する

19**年9月24日午後3時12分 一人で留守番中にスナック菓子を喉に詰まらせ一時意識不明に

19**年3月18日午後4時41分 好意を寄せた和佳子に手紙を渡す

19**年4月8日午前8時 後の親友となる隆と出会う


 一体どういうことだ。この内容は俺のことが書かれている。さらに読み進めてみる。


19**年10月20日午前11時23分 ブランコから転倒し前歯の一部が欠ける

19**年11月3日午後10時3分 野球部の藤原と喧嘩をする

19**年9月6日午前11時54分 保険代理店の営業職での内定が決まる

19**年12月5日午後6時 保険代理店を退職

20**年5月10日午後2時18分 パチンコランドボンバーで45万円荒稼ぎをする



 テキストの内容は、一行に一項目横書きで書かれており、どれも一言二言の内容で簡潔に書かれている。

 日付は日記のように毎日書かれているわけではなく、一日置きで書かれることもあれば、一週間置き、一ヶ月に一回だけ書かれていることもある。

 一体誰がこんなものを作ったのだ。

 マウスで画面をスクロールしテキストの最後の行を確かめる。年代が徐々に現在に近づいてくる。どうやら俺が出生したときから今までの内容が書かれているらしい。

 スクロールが止まった。最後の行を読む。


20**年11月27日午後5時53分 大三商事・石黒に、注文書記載の値引き額は対応不可と言われる


 今日の出来事が書かれていた。いったいどういうことだ。

 大三商事の件はまだ誰にも話していない。知っているとすれば石黒とその上司ぐらいだろう。もし彼らが今日の出来事を書いたとしても、俺の出生から現在までの人生を書くことはできない。

 では一体誰がこんなことを。会社の人間か、それとも身内か。

 しかしそこで俺は「誰もこの文章を書くことができない」ことに気がついた。

 なぜならこのフロッピーディスクは今の今まで俺の上着の胸ポケットにしまっていたからだ。

 石黒に値引き不可と言われた時には、既に俺の胸ポケットにフロッピーディスクが入っていた。未来を予言していない限り、この内容は物理的に書くことなどできないのだ。

 では一体どうやって書いたのだろうか。それよりも何のために書いたのだろうか。テキストの最後の行を眺めながら考えていると、今日の石黒の対応に、無性に腹がたってきた。客に向かって値引き不可とはどういうことだ。

 俺は、目の前のキーボードを動かした。


20**年11月27日午後5時53分 大三商事・石黒に、注文書記載の値引き額は対応可と言われる


「対応不可」を「対応可」に書き換えて保存してやった。

 ばかばかしい。そんなことをしても一向にイライラが治まるわけでもなかった。

 焼き鳥をつまみながらビールを飲む。アルコールが気持ち良く回り、イライラよりもムラムラする気持ちが出てきた。

 訳の分からないフロッピーディスクのことを考えるのは止めにし、インターネットで今日の「おかず」を探しに行くことにした。

 お気に入りのアダルトサイトにアクセスする。トップページから新着の動画を見つけると俺はパソコンの前でズボンと下着を脱いだ。



 翌日、会社に行くと不思議なことが起こった。

 大三商事の石黒から電話がかかってきて、先程値引きした注文書をFAXしたと言うのだ。

 昨日の話では、「値引き不可」と言っていたではないかと聞くと、そんなことは言っていない、値引きさせていただきます、と石黒は言った。

 よく分からなかったが、当初の値引き額にて注文書を出せるので深く考えなかった。

 しかも後ほど送られてきたFAXを確認すると、当初よりさらに値引きした金額になっていた。安いに越したことはないので、そのまましれっと注文した。


 クリーンデスクにしたせいか仕事が捗るようになり、気がつけば遅くまで残業をしていた。仕事が嫌な俺にとってはかなり珍しいことだ。

 会社を出ようとしたところ、システム部の中島もちょうどが帰ろうとしていたので飲みに誘った。

 渋谷の安い居酒屋に入る。生ビール二つを頼み、とりあえず乾杯をする。

「今週も長かったな」

「あぁ、総務がクリーンデスクなんかやるから大変だったよ」

「ははは、おまえのデスクは昔から汚ねぇもんな」

「うるせぇ」

 俺と中島は同い年で、同時期に揃って中途入社したことから、会社では唯一気が合う人物だ。

「そうだ。昨日そのクリーンデスクで掃除してたらよ、妙なフロッピーが出てきたんだ」

「フロッピー? なんの?」

「それがさ、よく分からないんだよな。テキストデータだったんだが、その内容がよ、俺の人生日記のようなもんが出てきたんだ」

「人生日記? なんだそりゃ」

「俺の今までの人生が事細かく書いてあったんだ。生まれた時間から小学校に入学した日とか、親友と喧嘩した日まで、とにかくいろいろ。しかもそれが昨日の出来事まで書いてあったんだよ」

「なんだか気持ち悪いな」

「だろう。しかもな、昨日、午前中にそのフロッピーを発見してからずっと俺の胸ポケットにフロッピーを入れてたんだがな、それなのに家に帰って内容を見た時には、昨日の午後のことが書かれていたんだよ。どういうことだかわかるか?」

「未来を予言していたってことか」

「だよな。そう考えるよな。そんなことってあるのか?」

「ないだろうな……」中島は少し考えるように黙った。

 ふと周りの喧騒が耳に入った。すいませーん、と叫ぶ声や笑い声、なにか大声で愚痴を話している声。

 俺は生ビールを飲む。

 中島は考えがまとまったようで話を続けた。

「そのフロッピーの目的がなんなのかは分からないが、未来を予言しているように見せる手法はないこともない」

「どうやって?」

「それはテキストファイルなんだよな」

「あぁそうだったはず」

「そのときネットには繋いでいたか?」

「あぁ。もちろん」

「なるほど。テキストファイルに似せたアイコンの実行形式ファイルだったら可能かもしれんな」

「なにを言ってるんだ? もっと分かりやすく説明してくれ」

 システム部の連中は皆、専門用語で話すからよく分からない。

「簡単に言うと、昨日見たというテキストデータはフロッピー内に保存されていた訳ではなく、インターネットを介して表示されていた、という可能性だ。プログラムを組める奴なら割と簡単に作れるぞ」

「なるほど、胸ポケットに入っているから書き換えることができないと見せかけておいて、実はインターネットの情報を表示しているだけというのか」

「そうだな。理由はよく分からないが、何らかの理由でお前の情報が洩れ、何らかの目的でそれをお前に予言という形で見せている、といったところじゃないか」

「ネットを使って表示してるってのは分かるもんなのか?」

「インターネットの接続を切った環境でも表示できるかどうか確認してみればわかるかもな。あとはファイルの拡張子ってわかるか? それが『.txt』じゃなく『.exe』、つまり実行形式のファイルだったら確定だな」

「おう、ありがとう。帰ったら確かめてみるわ」

「あとはウイルスに感染している可能性だな」

「ウイルスかー。それはあるかもしれない」

「どうして?」

「エロサイトよく見てるんだよな。あぁいうサイトってなんかウイルスがいるんだろ?」

「はは、なるほどな。昔ほど多くないだろうが、確かにそういうサイトもあるだろうな」

「おまえも見てるのか? なんか良いサイト紹介してくれよ」

 その後、飲み屋の喧騒の中で独身男二人の会話は続いた。

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