記憶フロッピー
雹月あさみ
記憶フロッピー1
「申し訳ございません」
「何度言ったら分かるんだ! この程度ならアルバイトでもしっかりやってくれるよ。もういい! 明日から来なくていい」
「申し訳ございません。もう一度チャンスを……」
「いや、もうおまえにはうんざりだ。出ていってくれ、時間切れだ」
――俺の人生、こんなはずじゃない。
ジリリリリリリと騒々しい目覚まし時計の音で目が覚めた。朝から嫌な夢を見てしまった。仕事場の上司に説教されるという、なんとも寝覚めの悪い夢だった。
今日は週明けの月曜日。また憂鬱な5日間が始まるのだ。そう思うとなかなか布団から起き上がれない。
しかも12月に差し掛かろうとしている朝は特段冷えて寒い。外からすきま風が入るらしく、冷たい空気が肌に当たる。
俺の住むおんぼろアパートは、周辺一帯の都市開発プロジェクト計画から二度も外れ、未だに築ウン十年を更新し続けている。
このままもう一眠りしたいと、布団に潜り込んだが、程なくして仕方なく起き上がった。憂鬱な1週間の始まりだ。
俺は出勤の準備を始めた。歯磨きをすると吐き気がする。昨日遅くまで起きていたので寝不足によるものもあるだろうが、憂鬱な仕事が始まることへの拒否反応の方がより強いだろう。
テレビを見ながらワイシャツに着替える。ニュースでは各所でクリスマスツリーのイルミネーションが始まったと伝えている。
俺は毎年この季節が嫌いだ。特に仕事帰りの帰路が嫌いだ。
街はどこもきらびやかになり、誰もが幸せそうに見える。
だが俺は、そんな奴らを見ると孤独感を味わい、空虚感を覚えるのだ。ここ最近はそんな虚しさを埋めるかのように朝まで風俗やキャバクラにいくことが多くなっていた。
テレビではおすすめのデートスポットなど紹介してやがる。
早く正月休みが来てほしい。今年は有給を使って16連休にするつもりだ。特に何をするでもないが、誰にも会わず家でのんびりと休みたい。
会社に出社すると、部長が俺のデスクにやってきた。
「総務からクリーンデスクの通達が来ているのは知っているか?」
返答に困った。クリーンデスクとは、情報の漏洩や紛失を防ぐために、個人情報や会社の機密書類などをデスクの上に置かないようにする取り組みだ。
その取り組みが先日、全社員に向けて通達が出されたのは知っていた。しかし俺のデスクは整理整頓されることなく未だに散らかっている。
先週飲んだままのどぶ川のようにどす黒く濁ったコーヒー。メーカーからもらったカタログや社内書類で作られた2棟の高層ビル。
3棟目も順調に建設中で、高層ビルの周辺には、いつ飲んだか分からない空の紅茶の紙パックや菓子パンの袋が散らばっている。
さらに液晶モニタの周りには付箋紙が見境なくベタベタと貼られている。
隣のデスクは埋め立て地か原っぱといったところだろうか。パソコンと液晶モニタ以外に物はなくしっかりクリーンデスクをしている。
「おまえのデスクはとても整理整頓されているとは思えないのだがな。おまえだけだぞ整理してないのは」
いや、俺だけではない。広報部の連中だって散らかっていた。なんで俺だけが言われるのだ。確かに部長の管轄内なら、散らかっているのは俺ぐらいだろう。だが、なぜ俺だけなんだ。会社全体の取り組みだろう。
部長のあの鼻にかかった声で見下すような言い方では、素直に謝る気にもなれない。
俺が不服そうに黙っていると部長は、「つべこべ言わずにさっさと片づけろよ」と追い打ちをかけて、自席に戻っていった。
ふと、視線に気づく。見ると数人の社員がこちらを見ていた。俺と部長のやりとりを見ていたようだ。
「なんだよ。わかったよ。・・・・・・ったく」
俺は仕方なく片づけを始めた。紙パックや菓子パンの袋などまとめてごみ箱に捨てた。給湯室に行き、飲み残したコーヒーを捨てた。マグカップにはコーヒーの入っていた部分にくっきりと線がついていたが、汚れを取るのが面倒だったのでそのまま軽く濯いでデスクに戻った。
続いて液晶モニタに貼ってある付箋紙は、よくよく確認すると今となってはほとんど必要ないメモだったので、これらもまとめてごみ箱へ捨てた。
高層ビルの書類は迂闊に触れると崩れそうなので、上から順に整理していくことにした。
まずは一番上にあるメーカーからもらった新製品のカタログを手に取る。新製品といっても、もう半年も前のものだ。
こんなものいつまでもとっていないですぐに捨てればよいのだ。俺はごみ箱にカタログを投げ入れた。
高層ビルに目をやるとまた同じカタログが出てきた。メーカー担当者から「社内で共有してくれ」と、複数部もらっていたことを思い出す。それらもごみ箱に捨てた。
そうやってひとつひとつ見ては捨て、見ては捨てを繰り返し、ようやく高層ビル1棟を片づけ終えた。メーカーカタログが8割を占めていた。今後カタログはもらわないようにしよう。
高層ビル2棟目の解体に取りかかる。2棟目は細々とした書類が層を作っていた。
一束手に取り、パラパラと内容を確認してみる。
機密保持契約書やら稟議申請書、システム改修要望申請書といった日付も内容もバラバラの書類だ。
この中から完了済みの案件と進行中の案件を分けて、さらに保管する必要がある書類か、破棄する書類かを確認する必要がある。これは気が遠くなりそうな作業だ。
俺は書類の束をごっそりと持てるだけ持って、業務用大型シュレッダーがある場所に移動した。
一枚ずつ確認し、いらない書類はシュレッダーに差し込んでいく。ガガガガガとシュレッダーは音を立てながら書類を裁断していく。
だが数枚繰り返したところで動きを止めた。無理だ。こんな手間の掛かる方法だと午前中が終わってしまう。通常の仕事もしなければならないのだ。
一束手に取りさっと目を通し、進行中の案件でなければそのままシュレッダーに入れることにした。俺のことだ、大事な書類ならこんな書類の束の中には入れないだろう。
業務用大型シュレッダーは30枚近くまとめて裁断できる。これで大幅に時間短縮ができそうだ。
俺はさくさくとシュレッダーに書類を入れていった。
ピッピッピッと警告音が鳴り、シュレッダーは裁断を停止した。
「なんだ?」
シュレッダーには入ったままの書類が途中で止まっている。枚数が多すぎたようだ。詰まった書類を取り出してみると、中に黒いフロッピーディスクが1枚紛れ込んでいた。
フロッピーディスクの上部にはシュレッダーの刃が食い込んだ痕が残っている。どうやらこいつが原因のようだ。
フロッピーディスクには、手書きで「おれ」というタイトルがついていた。
おれって何だ? 俺は書いた覚えがない。いったい何のデータが入っているのかも見当がつかない。
第一、会社のパソコンにはすでにフロッピーディスクを読み取るドライブすらついていない。こんな一昔前の記録メディアを読み取れるようなパソコンはもうないのだ。
いや。確かシステム部の中島のパソコンなら読み取れるかもしれない。中身が気になったので後で確認してみることにした。
フロッピーディスクを胸ポケットにしまい裁断を再開した。
高層ビルの2棟目も解体し、3棟目もほとんど不要なものばかりで、必要な書類は数十枚程度だった。
それらの書類をデスクに置いておくと、また部長に嫌味を言われるので、引き出しの中へしまった。
引き出しの中もかなり散乱していたが、クリーンデスクの取り組みは「デスクの上を整頓」なのでそのまま黙認した。
ようやく俺は通常の仕事に取り掛かった。
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