雪の日の待合所

なちゅぱ

雪の日の待合所

「参ったな……」

冬休みを利用した里帰りの道中のことだった。不幸にも、雪によるトラブルで電車が止まってしまい、私は人気のない無人駅で一晩を過ごすことになった。せめて持ち合わせがあればホテルにでも泊まれたのだろうが、生憎と、学生の身である私には、帰省の電車代でさえ懐に響く有様だ。幸い、無人駅と言えども壁と屋根のある待合室があったお陰で、雪の中凍え死ぬことはなさそうだった。

「まぁ、体調を崩しそうではあるが」

外はごぅと唸りを上げる吹雪に白く染まり、待合室である小屋の中にも、ストーブなんて気の利く物は無い。ここで寝れば、まず間違いなく風邪を引く。そう確信させてくれる状況だった。

「ま、それも明日までだ」

体調を崩したとしても、実家に帰ってしまえば、看病してくれる人がいる。死ぬよりはマシだと、無理矢理自分を納得させた。

コートをかき抱き、苛められた小学生みたいに縮こまる。息を膝に吐きかけ、震える身体を押さえつけるように額を押し付けた。



ガラッ


そうして一時間が経っただろうか。未だ眠気の訪れない身体にやきもきしてきた頃、突如小屋の戸が開けられた。もしや近くの住人が見回りにでも来たのだろうかと期待して顔を上げる。

「…………」

そこには、確かに人がいた。

だがそれは、こちらを助けに来た気の優しい村人などではなかった。寒さに鼻を紅くし、髪を雪で凍らせた一人の少女だった。学校指定だろう飾り気の無いコートと、疲れからか何処か生気の無い顔が雪女を思わせる。

彼女は後ろ手に戸を閉めると、私のすぐ隣に腰を下ろした。中学生ぐらいだろうか。その顔にはまだあどけなさが残り、赤みの差した頬が寒そうに震えている。私と同じく、雪宿りだろうか。しかしもう止むのを待つには遅い時間だ。このままここで夜を越すのだろう。

「寒いね。ここ」

私は何となく、彼女に話しかけていた。コートに丸まった情けない格好だけれど、寒いのだから仕方ない。

「…………」

コクリと、頷いた気がした。私は何だかそれが嬉しくて、言葉を続ける。知れず、心細くなっていたのかもしれない。

「私は大学生なんだ。今日は実家に帰ろうかと思ってたんだけど、電車止まっちゃったから」

聞かれてもないのに、身の上を話し出す自分に、ちょっと浮かれてるのかもしれないな、なんて思った。同じ境遇の仲間がいる。それだけで、寒さが少し和らいだ気がした。

「大学もよく雪が降るところだけれど、ここはすごいね。なんか遭難したみたいだよ」

無人駅の待合室とはいえ、外の景色と私達の心境は、まるで遭難者のそれに近い。寒くて、心細くて、隣にいる名も知らぬ誰かに縋ってしまいたくなる気持ち。

「そうなんと、おなじなら……」

と。

返ってくると思っていなかった声が聴こえて、一瞬幻聴でも聞いたのかと錯覚した。

そのか細く小さな声は、隣で身を竦める、彼女のものだった。

「くっついてたほうが、あったかいのかな」

その声もまた、少女らしいあどけないものであった。私は何故だか無性に彼女が愛おしく思えて、その冷えた身体を抱きしめた。

「あっ……」

小さく声をもらす彼女の髪は、凍って冷たかったけれど。

濡れたコートを脱いだ彼女の身体は、まるでゆたんぽのように暖かかった。

「ごめん。驚いた?」

私は自分でもその行動にびっくりしながらも、腕を緩めずに訊ねた。きっと彼女も嫌がってはいない。そう思ったからだ。

「ううん……あったかい」

さっきまで寒さに震えていたはずの少女も、私に縋りつくように腕を背に回してきた。


名前も知らない、見ず知らずの男女。


それが寒さから逃れる。それだけのために、身を寄せ合っていた。

考えてみればおかしな話だと思う。いくら寒かったからといって、初対面の男女が抱き合っているのだ。それも大学生と中学生。歳の差を考えれば、まるで私が襲っているようだ。実際、抱きついたのは私からだから、そう非難されても何も言えないが。

でも仕方ないじゃないか。

私は寒くて、心細くて。誰かに、それこそ彼女のような幼い子にも縋ってしまいたくなるのは。

ふと、そこで彼女のこと、腕の中におさまる少女のことを想った。てっきり私と同じく、電車が止まって立ち往生しているのかと思っていたが、実際どうなんだろう。一目見たときの、あの凍ったような表情がどうも頭の端をちらつく。

「ねぇ。君はどうして、ここに来たの?」

訊くべきではなかったかもしれない。自分のことを話したのはただ、私が話したかったからだ。それに私には、後ろめたいことも、知られて恥ずかしいこともなかった。

だが彼女はどうなのか。

こうして抱きしめることを許してくれるほどに優しいのか。突き放す気も起きぬほど弱っているからなのか。

彼女は私の胸に額を擦りつけ、顔を隠してしまった。やはり訊くべきではなかったかと、謝罪の言葉を舌に乗せようとしたとき。

「……おねぇ、ちゃん」

泣き声だった。

堪えてた涙が、零れ出す。

「ぅっ……ひっ…………うぅ……」

それでも彼女は、涙を堪えようとしていた。声を殺そうと、胸が額で押される。

私はそんな彼女の背中をゆっくりと撫でながら、その耳に囁いた。

「いいよ。これも何かの縁さ。存分に泣くといい」

雪の中、ひっそりと佇む待合所に。

その晩、少女の泣き声が響いた。



目一杯泣いて、落ち着いた彼女は、訥々と話し出した。自分のこと。そして、死んでしまった姉のことを。

彼女の両親は、およそ二年前に地震で亡くなったらしい。私もニュースになっていたから憶えている。その地震の犠牲者の中に、彼女の両親もいたのだろう。

姉は未だ幼かった彼女を育てるため、大学を中退して働き出した。彼女は両親を失った代わりを求めるように、姉にべったりだったようだ。

だが。

「そう。事故で……」

姉は仕事からの帰宅中、交通事故で亡くなった。

唯一の家族であった姉さえ失い、彼女は何も考えることが出来なくなってしまったらしい。学校にも行かず、気付けば雪の中、隣町まで歩いてきていたようだ。そこでこの待合所を見つけ、雪宿りに来たらしい。

可哀想だと思う。私は親を亡くしたことがないから解らないが、ドラマや漫画で見てきた登場人物は皆、深い悲しみに襲われていた。それこそ、頭が真っ白になって、自分から命を捨てるような行動をすることだって。

でも、ここにいる。

「ありがと。ここに来てくれて」

私は彼女の髪を撫で、心からの言葉を囁く。

「えっ……」

「だって、私は一人じゃ心細かった。それに、あのまま雪の中にいたら、死んじゃうかもしれなかったんだよ?」

彼女がこちらの目を覗き込んでくる。その頬はあっためたお陰か、血の通った色をしている。

「ん?何かおかしなこと言ってるかな」

首を傾げてみる。このまま顔を近付けたら唇同士がくっつきそうだなぁ、なんて思いながら、髪を撫で続ける。こうしていると、私の方が癒される気持ちになるのだから不思議だ。

「あの、えっと……」

口ごもる彼女。言葉を探しているのか、ぽろぽろと言葉の切れ端が零れている。どうやらもう少しかかるみたいだから。こっちの言いたいことから先に言ってしまおう。

「ねぇ。さっきも言ったけれど、これも何かの縁だと思うんだ。本当に身寄りがないのなら――うちに来る?」

「え……いまなんて」

「私はこれでも男だからね。警戒されても仕方ないけれど、話を聞いちゃったら他人事だと思えなくてね。何より、このまま朝になったらさよならってのは、少しさびしいな……って」

多少の下心が無いとは言い切れない。彼女は可愛らしいし、こうして抱いていると暖かい。しかし、どうも性的な対象としてよりも、仲間意識とでも呼べばいいのだろうか。ただ雪の中、同じ小屋で暖を取ったというだけなのに、手放しがたい。

「まだ、名前も知らないのに?」

「うん。まぁ、それは縁が切れなかったときに、教えてもらうということで」

目が覚めて朝になったとき。彼女が私と一緒にいたいと思ってくれたとき、教えてもらおう。

あ、寝る、って考えたら一気に眠気が押し寄せてきた。

「ほ、本気……なの?」

「うん。本気だよ……」

段々と視界が狭まっていく。眠気に目蓋が耐えられなくなってきていた。

「ごめん。眠くて……。もう、寝る……ね」

「あっ……うん。おやすみなさい」

私の言葉に困惑したままだったけれど、それだけは言ってくれた。

私はそれが嬉しくて、ゆっくりと、夢の中へと旅立っていった。

最後まで、彼女の温もりは安心感を与えてくれた。


***


目を覚ますと、腕の中にいた筈の温もりはいなくなっていた。まるで夢を見ていた気分だ。

ぐっと背筋を伸ばすと、窓の外が見えた。雪は止んでいた。

「っ……ふぅ。電車いつだろ」

時刻表を確認しようと外へ出る。すると――

「おはようございます」

大きめなスーツケースを引き摺った、照れくさそうな笑顔とぶつかった。

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