第2話 「ほしいものは何ですか?」

 綿のパンツ。ブリーフじゃなくてトランクスのような形だ。赤い。

 スラックス。やはりこれも綿製品。白い。

 ワイシャツ。絹のような肌ざわり。真っ白。

 ジャケット。素材は分からないが、石油製品みたいな着心地だ。ベージュ。

 これでタイでもしていたら貴族の子弟に見えただろうか。


 3日経ったそうだ。

 精神と身体が一致しないことによる体調不良、という医学的に全く根拠のない異世界やぶ医者診断を鵜呑みにするほど愚かではないが、だいたいにして大きく外れているとも言えない今日この頃。

 紅茶をすすると、何やら得体のしれない良い香りが鼻孔に広がった。

 ああ、そうそう。

 ここはやはり異世界だった。同じ宇宙の違う星なのか、元いた世界から連続的に分岐存在した別の宇宙のうちの確率論が偶然に定まった重なった世界なのか、時間を経た地球なのかは判断できないが、少なくとも日本じゃないことはたしかだ。城の一室でこうしてくつろぐということが、日本では難しかったし、諸外国でもそうそうできる体験でもないわけだから、やはりそうだね、異世界であることは認めなければならないようだ。

 邪神アルデヌテにより隔離された世界。魔王と名乗った少女はそう言っていた。

 そんなスパゲティの茹で方みたいな名前の邪神が宇宙を想像したりといった馬鹿馬鹿しい宗教用の字面はもちろん事実ではないだろう。真実かもしれないが。せいぜいその邪神とやらはスパゲティを美味しく食べられる程度の能力しか持っていないに違いない。ぼくはしっかり芯がなくなるまで茹でたのが好きだけどね。

 元の世界と遜色ない見た目のクッキーを食べ食べ、紅茶を一口。

 まぁ、どうでもいいか。

 せっかくなので、この素晴らしい世界で存在しない女神の祝福でも受け取るそぶりを見せながら、魔王城ライフでも楽しもうかね。

 もうひとつ紅茶を一口。

 クッキー食べ食べ。

 ゲフー。

 ああ、


「しあわせ~」

「じゃないわ!何を魔王城で幸福を噛みしめておるか貴様は!!」


 ああ、なんかちんちくりんがやってきた。

 ああ、違う違う。ちんちくりんじゃなかった。

 魔王様だ。

 ちんちくりんの魔王様は先日と同じ格好でいらっしゃった。

 せっかくのティータイムを邪魔されたので、仕返しに笑顔で出迎えよう。


「これはこれは魔王様。ごきげんよう。お便秘ですか?」

「誰が便秘だ!」


 少女は顔と瞳を真っ赤にして怒る。笑っていた方がかわいい背丈、といっても実は今のぼくと同じくらい、なんだから、怒った顔をするなんてもったいない。もっとも、眼力だけでハウンドドッグを射殺せそうな目つきなので、邪神アルデヌテとやらが笑ったような顔になるだけかもしれないが。


「我は毎朝快便だぞ」 


 まぁ、その邪神とやらには対面したこともないので採点はできないな、なんてことを考えていたら桃色の髪をしたツインテールはそんなことを宣った。


「ああ、ごめん魔王様。その情報は年端もいかない少女の口から聞いてはいけないことだよ。痴女みたいな格好してるからお腹冷やして調子悪くなってないかなーって思って、余計なお世話だったね」

「誰が痴女か!」


 この少女、マイクロビキニロリマントのくせして痴女の自覚がないらしい。由々しき事態だ。


「はいはい、ごめんって」

「まったく貴様は……」


 憎々しげに口ずさみ、紅茶やらクッキーの皿が乗った丸テーブルの対面の席へ腰を下ろした。魔王は3センチ角のクッキーをひとつまみ、両手で持ってもむもむかりかりと食べ始める。貴様、げっ歯類か。

 すると、さっきから気配を消していたメイドが部屋から出ていく。この紅茶セットを準備してくれたり、意識を失っている間のいろいろな世話や起きてからの身の回りの世話を一身に受け持ってくれた、控えめに表現して美人なサキュバスのメイド。この世界で間違いなく一番お世話になっているのは彼女である。

 名前はユーキュリス、愛称ユキさん。

 本来は魔王城の近衛兵であるそうだが、戦時でもなく、特に素行の悪い者は目立たたなく、謀略の影も形も見えない今、暇なのでメイドごっこをしている本職じゃないメイドさんだ。いつもにこにこしていて物腰は柔らか。コルセットで絞ったウェストは絞っていなくてもよくくびれていて、メイド服の開いた胸元では真っ白いおもちがしっかりと谷間を作っている。愛称のユキの名の通り、雪を彷彿とさせる白髪はふわふわのショートボブにしており、フリルの付いたキャップで整えられていた。サキュバスというと淫魔、すなわち妖艶なビッチ、なんてイメージからは程遠く、清楚と可憐という言葉がよく似合う女性だ。自分とはちょっと不釣り合いだけど、お近づきになれたら絶対にうれしい。


「それで」


 カリカリとクッキーを齧っていた木鼠が皿の上に残っていた分すべてを口の中にしまい込んでから、ようやくお話を再開した。


「お前をわざわざ異世界から召喚した理由を忘れたのか?図書館は見てみたのだろう?」

「まぁ、見たよ」


 軽く嘆息しそうになったので紅茶で飲み込む。


「あれは、すごいね」

「うん、すごいのだ!」


 魔王は上機嫌になった。この魔王、城やその設備や配下の者を褒めると、簡単に期限が取れる。ちょろい魔王様だ。


「でもすごすぎて、ちょっと眩暈がするほどだ。あれは到底整理できるもんじゃないよ」

「先にも言ったが本を整理する必要はない。あそこから異世界の知識を抽出して、我々魔物に更なる発展をもたらすのが貴様の仕事だ。そうできる魔法も、すでにその身体には刻み込んであるではないか」

「うーん、まぁそうなんだけどさぁ。あれは多分、個人でどうこうできないレベル、というわけじゃなくて、どうこうできないようにしてあるんじゃないだろうかと思ってね」

「ほう?」


 聞こう。魔王は脚を組んだ。マントの下はビキニなんだから、あんまり開放的な行動は慎んでもらいたい。ぼくが元いた世界ではロリコンは社会から排除されるべきだと一般的に考えられていたんだ。

 紅茶が空になった。

 ユキさんがティーポットとクッキーが山盛りになった大皿を持って音もなく入室した。ふつう入室の際には用件を言いそうなものだが、魔王領での給仕はいちいち声を掛けることをしない方がよいのだそうだ。人間社会の方ではまた異なったメイド文化がある、とユキさんは楽しそうに話してくれた。魔王様のカップのついでにぼくのカップにもおかわりを注いでくれたのでお礼を言う。彼女は小さく会釈をしてまた気配を消した。気配を消すのは近衛兵の鍛錬なのか、メイドのたしなみなのか、後で聞いてみよう。

 新たに追加されたクッキーをさっそくカリカリ食べ始めた魔王様を見やる。


「ぼくの見立てでは、あれは図書館じゃない。でも知識の取り出しは図書館のそれという、ちゃぶ台をひっくり返した挙句キーボードをがっしゃんがっしゃん破壊したくなるほど面倒くさい性質を持っている代物だ」

「?」


 図書館。

 魔王城の地下には図書館があった。

 城は行政機関なのだから図書館を別個に作ればいいと思う。

 外見はない。地下室の体ををなしているので外見はないという意味もあるが、あれはどこか別の空間に繋がっているのではないかと、ファンタジー丸出しの馬鹿馬鹿しい結論を提示しなければならない。魔王城の地下には図書館の他に地下倉庫と地下牢と拷問部屋など、様々な施設が存在していた。それらの見取り図と大まかな寸法を眺めると、図書館が他の場所と干渉しているのだ。これはもう、実体はそこにないと思考停止した方が早かった。魔王様曰く、そうなのだそうだ。

 図書館の内装は八角柱をしていた。しかし、底は多分ない。そこにはありとあらゆる人間の知り得たことが、図書館ができたころから、

 時間順に、

 並列に、

 文章の形で、

 それぞれの言語で、

書かれ続けていた。それらは、

 本の形をして、

 無限に長い本棚に、

 人間の手に負えない速さで、

 完全に、

増えていた。

 戦慄を覚えるというのは、あの図書館を見たときのことを言うのだとはじめて知った。あれは多分宇宙のコードの一部分を無理やり引き抜いているのだ。なんという強欲か。

 この暴力的な知識の山から知識を抽出するには、魔法が必須だった。もともと図書館を造った魔王が用意したものだという。

 それは、術者の欲する知識をイメージの通りに本にして表すものだった。

 《知識を欲する魔法》

 手にできる知識は絶対に術者に縛られる。

 これは呪いだ。


「ぼくらが使っていたインターネットを“不完全”と表すなら、魔王城の図書館は『完全なインターネット』みたいなもんだね。そして《知識を欲する魔法》は超高度にお節介なAIが司る検索エンジン、といったところかな。情報の海という表現はまさしくこの図書館を表すのにピッタリじゃないか」

「訳の分からんことをぬかすな。言語翻訳は共通概念にしか働かんのだ。向こうの言葉でしゃべるんじゃない」


 白髪のメイドさんの方を見やれば、こちらをにこにこ顔で見ながら、こてん、と首を傾げた。

 うん、かわいい。


「よし、分かった」


 数瞬だけ考える。彼らの知識体系はアナログな爺さん婆さんのようなものだろう。最近では年寄りがスマホを持っていることも珍しくはないが。


「ええと、図書館の本が多すぎてどっから手を付けていいか分からないので、ぼくのお仕事は依頼解決形式にしたらいいんじゃないかな?という提案をしたい。どうだろう?」

「む、別に構わんな」


 あっさり通ってしまった。

 おっと、これはさすがに罪悪感だ。

 だって楽をするためにした提案なんだから。

 紅茶を口に含む。

 得体のしれないよい香り。


 いいや。

 楽をしよう。

 のんびりしよう。

 呼吸を整えよう。

 背伸びをしよう。

 そうして魔王城のみんなの役に立つお仕事をしようじゃないか。

 前の世界は、ちょっと忙しすぎたんだ。

 前の世界は、ちょっと面倒くさすぎたんだ。


「では早速我が」


 と、喋りだしたリス魔王様を遮って、


「もちろん、お客さん第一号はユキさんだよ。大分お世話になってしまったんで、そのお礼にね」


 と、メイドに言う。

 魔王が何か言いたそうだったが、引っ込んだ。

 いい子だ。あとで何か買ってあげよう。


「何か困ったこととか、

 何かほしいものとか、

 何かしてほしいとか、

 上司を消したいとか、

 魔王になりたいとか、ありませんか?」

「あれ?魔王?あれ?」


 サキュバスのメイドは少し困ったように思案した。

 でもすぐに花が咲いたように、けれどどこか控えめに笑顔になった。


「では、新しいオナ○ーグッズがほしいです。木の張り型には飽きてしまって」


【メインクエスト:ユキさんのオ○グッズ製作】が発生しました。

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