ふわふわの毛布

@ns_ky_20151225

ふわふわの毛布

 先生は、だれも悪気はなかったんだと言った。みんな良かれと思ってしたことなんだよと。


 顕微鏡の調子が悪く、映像が画面にうつらない。先生は説明書を見ながら配線をしらべている。しゃがむとうすくなった頭のてっぺんと耳のうえの白髪がめだった。線をいじりながら、間をつなぐためにぼそぼそと話をはじめた。


「先生が君たちくらいのころに蜂に刺されたことがある。痛くて泣いたよ。君らは蜂が刺すって知らないだろ」


 ぼくは、あのふんわりとこまかいやわらかい毛の虫が昔は刺したんだというのは知っていたけれど、みんなが黙っていたので黙っていた。


「ほかにも毒虫や触るとかぶれる草なんかがあった。ぼくらはひどい目に会いながらそういう生き物をおぼえたもんだ」

 画面が点灯したが映像は送られていない。光だけがちらちらしている。


「“キカイ”以後の生物がすっかり変わってしまったことは習ったよね」


 “キカイ”の発音は“機械”とはちがっていた。以前の時代を知っているおとなたちはこういう変な発音をした。“奇怪”に似ていたが、あるいは意味をかけているのかもしれない。


 先生の言うとおり、“キカイ”についてはしつこいほど習った。

 “キカイ”は家畜や農作物の品種改良につかうための道具として開発された。それは遺伝子の分子を直接つまんで操作できるほどの極小の機械だった。多数の個体が集合することによってある程度の判断をおこなうことができ、あらかじめ目標を設定して対象の生物に注入すればかってに増えながら体内にひろがってあっという間に改良が終わる。そして生殖にかかわる部分も操作するので、“キカイ”自体が寿命を終えたり体外に排出されたりしても、その改良は子や孫にずっとつたえられる。


「“キカイ”が研究所から漏れた理由はいまでもわかりません。わざとか事故かもわからない。そのとき、先生は先生になるための勉強をしていたけれど、ほんとうに世界が終わるんじゃないかって心配したよ」


 先生は不具合をなおすのをあきらめ、いったんすべての機器の電源を落として最初からすべてやりなおすことに決めたようだった。


「でも、これだけは言えると思う。“キカイ”をつくったひとたちには悪気なんかなかった。たくさんの食料や人々の役にたつ素材を提供してくれる生物をつくってみんなを豊かにしようとしたんでしょう。そうすればみんな喧嘩しなくてよくなるって考えたんだろうね」


 それぞれの機器が再起動をはじめた。


「でも、悪いところがなかったわけじゃない。かれらは漏れたことをすこしのあいだ隠した。そして、じぶんたちの作ったものを抑えられなかった。まあ、わざとだったとしたらそれも当然だけど」


 “キカイ”は設定どおり動作した。まずは家畜や農作物に感染して改良をおこなった。牛なら良質の肉や乳がたくさん生産できるようになり、病気に強くなった。米や麦も同様に収量が上がったが、生産のための費用は下がった。遺伝子をいじられたものをいやがる人々もいたが、それしか食べるものや利用するものがなくなったのだからあきらめるしかなかった。


「倍々ゲームで増える“キカイ”の駆除は失敗しつづけ、そのうちに野生の生き物にも感染をはじめたんだ」


 自然環境で活動をつづけるうちに突然変異のようなことを起こした“キカイ”は、野生生物をも設定された目標にしたがうようにつくりかえはじめた。

 幸いにも、人間に影響をあたえないように設計された部分はたもたれ、人の体内ではなんの害もなかったが、それ以外の全生物の家畜化が完了するのにさほどの時間はいらなかった。


「やっと“キカイ”を自然界から駆除できたけれど、遅すぎた。いまではほとんどあらゆる生物が人間の役にたつようになって、こわい生き物はどこにもいなくなった。“キカイ”は見た目もつくりかえてしまったからね」


 種の区別はつく程度に面影は残っている。けれど、見た目で恐怖や不快感、生理的な嫌悪を感じさせるような生き物はいなくなった。みんなかわいくなった。それもあらかじめ設定されていたことなのか、生物を人類の役にたつようにするという目標を“キカイ”なりに解釈し、外観の変更もおこなったのかはわからない。

 毛むくじゃらで刺さないハチ、いつも丸まっている無毒ムカデ、風船細工のようなクモ。

 多くの種は変化に耐えきれず絶滅したが、人類は残った種でやっていけた。それは“キカイ”による改造のおかげだったので、もう元に戻す事はできなかった。


「結果、“牙をむく自然”はなくなって、“ふわふわの毛布”みたいになってしまいました。いつまでも快適にくるまっていられるでしょう。でも……」


 そのあとなにを言ったかはよく聞き取れなかった。


 顕微鏡がなおり、初期画面が映った。先生は池の水がはいった容器をおいた。

「じゃ、授業にもどります。中庭の池でとってきた水です。どんな微生物がいるか見てみましょう。そして、“キカイ”以前と比べてみましょう」

 そこには教科書で見た微生物がたくさんいた。ミジンコが多かった。昔と比べるとまるまるとして、尖った突起物はなくなっていた。感覚器官は子犬の瞳のように見える。女子が「かわいい」とつぶやいた。ぼくも、今の先生の話を聞き、表情を見たのに、その女子と同じことを感じていた。「かわいい」と。

 ミジンコは幼児のようにあちこちにぶつかりながら漂っていた。

 

 了

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